618.陸軍撃墜王列伝(38)雲一つない空で、敵機四〇〇機に対して、こちらは四八機
(ウツボ)梶並伍長は上昇しながら、ふと松井曹長の存在を忘れていたことに気づき、あわてて旋回しながら探した。しかし、探すまでもなく、松井曹長はちゃんと梶並伍長の後方二〇メートル位に編隊を組み、大きく口を開けて笑っていた。(カモメ)梶並伍長と顔が合うと、すっと前進して来て、やや前方に出て、「よくやった」と、手まねでほめました。松井曹長と梶並伍長は意気揚々と基地へ引き上げたのですね。(ウツボ)そうだね。基地では、朝出撃した部隊はほとんど帰還しており、奇襲に成功、相当の戦果を上げていた。追尾攻撃もなかった。井上編隊も一機を撃墜していた。梶並伍長にとって、今日の初撃墜は、永遠に忘れることのできぬ一齣だった。(カモメ)昭和十八年九月二十五日、ウェワク基地の飛行第六八戦隊に着任以来、梶並進伍長は、出撃を繰り返しました。(ウツボ)そんな、晴天のある日、飛行第六八戦隊、七八戦隊、三三戦隊の四八機が警戒態勢を取るため飛び上がった。(カモメ)その日は第六八戦隊長・木村清少佐も出撃しました。木村少佐は、梶並伍長に「今日あたり来るぞ。機数は少ないが頑張ってくれ。いや絶対やってくれ」と声をかけました。(ウツボ)情報が入ってきた。「敵機は小型約四〇〇機、爆撃機はいない。位置につけ」。搭乗員はみんなトラックで運ばれ、愛機の前で飛び降りると、早駆けで機上の人となり、次々に離陸して行った。(カモメ)離陸後六分、梶並伍長など<川崎・三式戦「飛燕」液冷単座戦闘機>八機は、ウェワク山脈上空六〇〇〇メートルに勢ぞろいしました。梶並伍長は井上小隊で、松井曹長の二番機でした。(ウツボ)雲一つない空で、敵機四〇〇機に対して、こちらは四八機、約十分の一である。今日は、梶並伍長が着任して初めての大空戦になるのだ。(カモメ)梶並伍長は「こうなったら、皮を切らして肉を切れ、肉を切らして骨を切れだ。今日は、捨て身でいくのだ」と決意したのです。(ウツボ)午前十時、東の空にチカチカと輝くものが認められた。見る間に、無数の黒点と変わり、だんだん大きくなってきた。梶並伍長らと同高度に約、七、八十機が突っ込んでくる。こちらは八機だ。十対一である。(カモメ)梶並伍長は、無我夢中で松井曹長についていきました。敵も味方も発見が同時だったので、お互い高度の優位を得ようと上昇しつつ接近しました。(ウツボ)同高度で戦闘開始。八十機対八機の空戦の渦は、次第に広がって行った。松井曹長と梶並伍長の第二分隊は、井上小隊長に必死について行った。(カモメ)金魚の糞の如く、敵味方並んでくるくると旋回しています。敵もなかなか攻撃に移りません。梶並伍長は恐怖と興奮で、身体中がワナワナと震えが止まらなかったのです。誰もが、生に対する執着と死の恐ろしさを感じているのです。(ウツボ)梶並伍長は「えい、ままよ、人間は一生に一度は死ぬ。生命を捨ててかかれば、何事かならざらんだ。よし、俺の腕だめしをやってやる」と腹を決めると、だんだん落ち着いてきた。(カモメ)突然、左後上方から梶並伍長ら第二分隊の鼻づらに、雨の如く、火の矢が降ってきました。(ウツボ)余りの突然のことに、ぶったまげたが、瞬間、梶並伍長は、操縦桿を、腹につけよとばかり引っ張り、踏棒を力まかせに蹴飛ばした。(カモメ)松井曹長が翼横から白煙をすっと引きながら、左急旋回をやって敵の射撃を回避しているのが見えました。梶並伍長ら第二分隊は第一分隊を見失っていたのですね。(ウツボ)そうだね。敵はこちらを旋回でさそっておいて、その間に他の一編隊が高度を取り、より優勢な位置から、最後尾の第二分隊に攻撃をかけてきたのだ。(カモメ)敵の第一撃破回避しましたが、この不意の敵の奇襲で、たちまち今までの沈黙も破れ、不均衡な大空中戦は火ぶたを切っておとされたのです。(ウツボ)敵機はほとんど、<カーチスP-40「ウォーフォーク」単座戦闘機>だが、先ほど、上方より攻撃を仕掛けてきた一編隊四機は<リパブリックP47「サンダーボルト」戦闘機>らしく、ずんぐりしていた。(カモメ)梶並伍長は松井曹長にしっかりついていきました。突然、後方から再び敵四機の攻撃を受けました。梶並伍長は、必死で後方をチラッ、チラッと警戒しながら、敵が射程に入ってくるのを辛抱強く待ったのです。(ウツボ)その時、松井曹長を確認すべき前方に目をやった。すると前方より敵数機が接近してきた。その途端、後方から梶並伍長機の左翼を火の束がかすめたので、左急旋回で回避した。(カモメ)この時、梶並伍長は松井曹長を見失ったのです。この南海の大空に、大空中戦の最中に、ただ一機で戦わなければなりませんでした。(ウツボ)射弾を回避した梶並伍長は、無謀ではあるが、高度を取るべく、充分に速度を付けて右旋回で上昇しつつ周りを見まわした。(カモメ)あちらこちらで、白煙を引きながら、大空戦の真っ最中でした。見えるのは敵ばかりだったのです。