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意外な戦史を語る~  カモメとウツボのメクルメク戦史対談

意外な戦史を語る~ カモメとウツボのメクルメク戦史対談

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2006.08.18
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カテゴリ:戦艦大和の沈没
(カモメ)神重徳大佐の話に入る前に大和より巨大な戦艦の建造計画について、「連合艦隊の最後」(角川文庫)について具体的な記述がありますので、少し紹介しておきます。

(ウツボ)10万トンの巨大戦艦だね。

(カモメ)そうです。その二隻の艦名は「紀伊」と「尾張」で、昭和二十年に完成予定だった。これが完成していたら、戦艦大和は今ほど注目されずに、歴史的に名を残すのは「紀伊」と「尾張」だった。

(ウツボ)それこそ不沈戦艦として、また史上最大の巨大戦艦として歴史上名声を馳せたでしょうね。

(カモメ)そうですね。先ほど言われたように排水量は10万トンです。20インチの主砲を搭載する予定で、呉工廠で試作にかかっていた。5万メートルの距離で厚さ16インチの鋼鈑を貫く威力を持っていた。だが戦争の様相は航空機中心になり建造中止になった。設計も未了のままの段階だったですけどもね。

(ウツボ)日本海軍の建造技術はたいしたものだね。

(カモメ)まさに日本帝国海軍の造艦技術力の凄さを示すものですね。このへんで、そろそろ神重徳大佐に移りましょうか。

(ウツボ)そうだね。神重徳大佐は海兵48期で、海軍大学校を首席で卒業している。ドイツ駐在武官の補佐官としてドイツに二年くらいいた。日独伊三国同盟推進の急先鋒だった。

(カモメ)ところで、神大佐は昭和20年8月15日の終戦の日から一ヵ月後の9月15日、殉職していますね。

(ウツボ)それは、公務で飛行機で北海道部隊へ行き、連絡を終え、白菊練習機で帰る途中、津軽海峡に不時着した訳だ。

(カモメ)搭乗員は救助されましたよね。

〈ウツボ)そう。だが神大佐は、飛行機に残ったまま手を振って別れ、海に沈んだ。脱出する余裕はあったということだ。45歳だった。殉職で少将に進級した。

(カモメ)自殺という説もありますね。

(ウツボ)その説では、戦艦大和沖縄海上特攻作戦を推進した当事者の1人として責任をとったといわれている。だが、神大佐の息子、神重隆氏は、「丸エキストラ戦史と旅26・参謀の功罪」(潮書房)に寄稿しており、その中で、武藤誠氏(元鹿児島県警本部長)の話を紹介している。

(カモメ)武藤誠氏は神大佐が不時着する前、千歳空港で神大佐を見送った人ですね。

(ウツボ)そう。武藤氏の話によると「神大佐は飛び立つ前。快活に話をしておられ、とても自殺とは考えられぬ」と言っていた、と神大佐の息子、神重隆氏は記している。

(カモメ)それは、息子としては、もちろん生きていて欲しかったからね。自殺と考えたくない。

(ウツボ)だが、当の本人が死んでいるので、真相は永久に謎なんだよ。

(カモメ)それはそうですけど。やはり状況から判断すると責任をとったと。

(ウツボ)いやいや、あくまで憶測の域を出ないのだから、断定は出来ないと俺は思う。第一責任をとると言ったって、大和特攻の決済は当時の豊田連合艦隊司令長官がしているのだから。豊田連合艦隊司令長官も戦後、この作戦を決済したことについて、「私としてはずいぶん苦しい思いをしたが、こうするほかに仕方がなかったのだという以外に弁解はしたくない」と述懐している。この作戦の了承をしたのだから。豊田はあくまで反対すればよかった。他の参謀だって同様だ。だが、強く反対できないものがあったんだ。しかし、この作戦が行われなくとも、いずれにしても大和は他の作戦に使用され沈んでいた可能性もある。

(カモメ)だが事実上、本土決戦はなかったし、大和を外に出さなければ、内地で生き残っていた可能性はあった。それはそれとして、豊田長官の苦しい思いというのは、やはり軍令部総長、及川古志郎大将の天皇への奏上の時のことでしょうね。

(ウツボ)そうだろうね。それは重要なことだから、後でじっくり話そうよ。

(カモメ)分かりました。話を進めますか。さて天一号作戦発動の経過についてですが。昭和20年3月26日、アメリカの艦隊が、沖縄の西方約五カイリにあらわれた。4月1日、アメリカ軍四個師団が沖縄本島に上陸した。

(ウツボ)日本海軍の残存2000機あまりの航空機による沖縄特攻作戦「菊水一号作戦」は4月4日に発動された。

(カモメ)「日本軍艦戦記」(文春文庫)によると4月4日、連合艦隊参謀・三上作夫中佐は、連合艦隊先任参謀の神重徳大佐から緊急電話を受けた。「軍令部総長(及川大将)が陛下に作戦奏上の時海上部隊の作戦能力について御下問があった。大和部隊の沖縄突入作戦が計画される」と。

(ウツボ)三上参謀は仰天した訳だ。

(カモメ)はい。三上は草鹿参謀長に報告したが、参謀長はウムと言ったきりコメントしなかったという。

(ウツボ)このことについて宇垣五航艦長官はその陣中日誌「戦藻録(せんそうろく)」に「主因は軍令部総長奏上の際、航空部隊だけの総攻撃なるやの御下問に対し、海軍の全兵力を使用致すと奏答せるに在りと云う」「帷幄(大本営)に在りて、総長の責任、蓋し軽しとせざるなり」と書いている。

(カモメ)及川軍令部総長に責任があると。

(ウツボ)そうだよ。天皇がふと思いつかれて海軍海上部隊について聞かれたのを、それに対するお答えが及川軍令部総長のひょうたんから駒がでたような大和の突然の出撃の要因だったとしたら、総長の責任軽からずと宇垣長官がいうのも一理ある話だ。次回でもう少しこのことを掘り下げようよ。







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最終更新日  2015.09.14 22:42:41


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