120.アッツ島玉砕(10) 撃つな、私はクリスチャンだ
(カモメ)「アッツ島玉砕」(北海道新聞社)によると、アッツ島の米国沿岸警備隊の書類の中に辰口軍医の最後に関する記事がありました。(ウツボ)そうだね。辰口軍医は野戦病院(洞穴)より飛び出した時、殺された。聖書を手に振りながら英語で叫んだが、米兵は銃を撃ったんだ。(カモメ)アリューシャンの風で声が聞こえなかったのです。「撃つな、私はクリスチャンだ」と叫ぶのを目撃者は聞いたということです。(ウツボ)辰口軍医は米国の医科大学で学んでいる。夫人も米国へ留学し、そこで結婚した。二人は将来米国で暮らすことを考えていたんだ。(カモメ)そうですね。夫婦ともにアメリカが好きだった。辰口軍医は日記を詳細につけており、後にその日記は英訳され、米兵の間で広く読まれました。辰口軍医の遺族は戦後米国へ移住したそうです。(ウツボ)モリソン著「太平洋戦争アメリカ海軍作戦史・第七巻」には「アメリカ軍は上陸兵力一万一千名中、戦死者約六百人、負傷者約千二百名を出した」と述べている。(カモメ)「昭和日本史5太平洋戦争後期」(暁教育図書)によると、6月初旬、天皇はアッツ島玉砕について大本営の陸海軍両総長を叱りつけたと言われています。(ウツボ)そのお言葉の内容は次のようなものだったんだ。「陸海軍は、真にハラを打ち明けて協同作戦をやっているのか。一方が元気よく要求し、他方が成算もないのに無責任に引き受けるということはないか。話し合いのできたことは、かならず実行せよ」(カモメ)続けて読んでみます。「見透しのつけ方に無理があったようだ。こんどのような戦況の出現は、前から見透しがついていたはず。しかるに十二日の上陸以来、一週間かかって対応策の小田原評定をやり、その結果とは」と言われました。(ウツボ)お言葉を拝聴していた両総長はどんな顔をしていただろう。(カモメ)渋い顔だったでしょう。(ウツボ)「アッツ島玉砕」(北海道新聞社)によると、山崎大佐は英雄になり、二階級特進して陸軍中将となった。軍神になったというか、させられた。(カモメ)「あゝ伊号潜水艦」(光人社)によると著者の板倉光馬少佐は伊二号潜水艦の艦長として昭和18年11月14日、アリューシャン方面の作戦任務についていました。(ウツボ)その時の、興味深い話が載っているね。(カモメ)そうですね。板倉艦長によると、その夜、海は静かで月が青白く照っていた。アッツ島が墨絵のように黒く浮かんでいました。(ウツボ)そのとき、突如、アッツ島のほぼ中央と思われるところから、青白い炎のような塊が上空に舞い上がったんだね。(カモメ)何だろうと目を見張っているうちに、炎の塊はしだいにふくらみ、橙色に変わりながら、相当なスピードで板倉艦長の潜水艦のほうにやってきたそうです。(ウツボ)その途端に冷水を浴びたような戦慄が全身を走り、すぐには口をきけなかったそうだ。(カモメ)そこで板倉艦長の潜水艦はすぐに潜航しました。(ウツボ)航海長と信号兵が「艦長、あれはアッツ島の英霊です。それに間違いありません」と言ったと記されている。(カモメ)板倉艦長は「無神論者である私も、あの火の玉が信号弾でなかったことだけは断言できる」と述べています。(ウツボ)続いて「しかし何であるかは、今なお分からない。とにかく不思議なものをこの目ではっきり見たことは事実である」と述べている。(カモメ)この本に記してあるように、大本営に見捨てられて玉砕したアッツ島の英霊だったのでしょうか。(ウツボ)よく分からないが、不思議な話だね。(「アッツ島玉砕」は今回で終わりです。次回からは「大本営発表」が始まります)。