カテゴリ:国政・経済・法律
青森のニュースで、十和田市が耐震性などの理由で新渡戸記念館を廃止する条例改正をしたのに対して、記念館の資料保有者がの「条例の取消を求めて市を相手に訴えた」というのが報じられている。
ここで、条例の取消を求める訴訟というから、抗告訴訟だろう。とすると、条例制定(廃止する条例の制定ということになろうか)の処分性が論点になるはずだ。 ここで思い出すのが、横浜市の市立保育所民営化の訴訟。横浜地裁が条例制定に処分性を認めたことにあれこれ論評した。 ■関連する過去の記事 保育所民営化が違法? 横浜地裁判決を考える(その5 見解・続)(06年6月9日) 保育所民営化が違法? 横浜地裁判決を考える(その4 見解)(06年6月6日) 保育所民営化が違法? 横浜地裁判決を考える(その3 判決の論理・続々)(06年6月6日) 保育所民営化が違法? 横浜地裁判決を考える(その2 判決の論理・続)(06年6月6日) 保育所民営化が違法? 横浜地裁判決を考える(その1 判決の論理)(06年6月6日) 私の問題意識は特に、条例制定という自治体活動が実質的に行政処分と同視されるとする構成に対する疑問だった。法律と行政活動との関係(措置法・処分的法律の論点)も参考に、条例それ自体に処分的性格を認るめことは疑問だし、また、公選の議会が住民の意向を反映して意思を集約、表明したものである以上は、たとえそこに表面上一貫性がみえないとしても、あるいは政治的判断どの事情があったとしても、その手続や過程が団体自治として優先されるべきであって(国政なら立法裁量、あるいは話を広げれば統治行為論)、裁判所が立ち入って判断すべきではないのではないか、というものだった。 裁判所には、条例制定行為はあくまで自治体の長の総合調整の延長で、地方議会は可否を表明するワンステップにすぎないという感覚もあるのかも知れない。 実質的に考えても、私人の救済(何らかの地位の回復、損害賠償など)は、何らかの個別的な行政活動を捕まえれば良くて、あえて条例制定(可決)行為を違法とすべき必要性はさほどないのでないか。さらには、第三者との関係で判決の効果をどう考えるのかなどなど、疑問はつきない。もう10年近くにもなるが、上記のとおり当時の意識で論点は整理していた。(今じっくり読み返す時間と体力がありませんが。) その後、横浜市の事件では最高裁も、処分と実質的に同視すべき処分性を一般論としては認めた、と評されている。 今回は、条例を違法といわねばならない論理構成の必要性があるのだろうか。自治体の政策法務の観点から、また、地方議会の立場としても(条例の処分性が認められる余地が広がるとすれば)大きな関心が寄せられるべき論点だろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015.07.01 06:59:46
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