カテゴリ:宮城
かなり前のブログに記した昭和47年仙石線脱線事故。現地に石碑があると情報いただいていたので懸案でしたが、今日の午前、やっと現地で見てきました。念願かないました。
■関連する過去の記事 昭和47年の仙石線事故(2011年9月8日) (この記事に多数のコメントいただき、ありがとうございました。) 新田踏切の東(国道45号側)、踏切に向かって右手(北)、警報機のすぐ下に佇む黒い石碑。正面に「電車運転士(芳名)君殉職慰霊碑」と書かれ、左側面に「昭和47年8月18日殉職」、右には「昭和48年8月18日陸前原ノ町電車区職員一同建立」と刻まれている。 礎石の手前の左右には、花立の石に、枯れてはいるが花が供されていた。碑の手前には、踏切事故ゼロ運動のイラストが描かれた茶碗が置かれている。 また、碑の左に小さく並んでいるのは、石のお地蔵様だろうか。この事故以前にここで亡くなった人の供養として置かれていたものか。 手を合わせて居たら、何しているのかと気になったのだろう、自転車のおじさんが寄って来た。いつも踏切通っているが、碑があるのがわからなかったという。自分の知っている事故のことをお話しすると、この事故自体はご存じないようだが、子供のころに近くの本線のトンネルで小学生3人が列車にはねられて亡くなった。トンネルを抜けて出た浜でハゼが釣れるから。また、北浜の方でもよく事故があったな、などと教えてくれた。 おじさんと話している間に、仙石線の電車が上下2本、踏切を通過した。 ここにラーメン屋ありましたか、と問うと、ここだ、と、仙石線と国道45号の間の空き地区画を指した。 ちゃんと花を遣る人がいるんだな。こういうことは大事なことだ。そう言い残して、おじさんは自転車でゆっくりと踏切を渡っていった。 帰宅して、手元のゼンリン住宅地図(99年)を開くと、店の名は「そば・うどんの越之浦」、おじさんの言う子どもの死亡事故のあった東北本線トンネルは第二吉津隧道(仙石線の越ノ浦隧道と並列)、また、北浜での事故が多かったというのは、市内の仙石線が国道45号の海側に付け替わる以前のことだろうか、などと考えた。 ■関連する過去の記事 塩竈市内の仙石線と塩釜線の歴史(10年5月11日) 犠牲者を悼み、事故を伝えることは大事なこと。自分もおじさんだが、20年くらい先輩の地元の自転車おじさんに、心から共感したのでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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