カテゴリ:宮城
(前回記事旭山(石巻市北村)を訪れる(その1 桜と眺望)(2024年04月14日)に続いています。) 山頂に、朝日山計仙麻神社がある。 旭山神社ともいい、かつては深谷一宮旭山宝竜大権現とも称されていた。延喜式神名帳にも名を残し、古くから河南地区の産土神として信仰を集めている。創祀の年代は不明で、大同年間(806-810)坂上田村麻呂が陸奥侵攻に際し、戦勝を祈願、戦勝後千束の田を寄進したことが社伝にみられる。本殿は昭和11年改築。 祭神 倉稲魂命 豊玉姫命 例祭 4月下旬 (下記の宮城の旅サイトから。) 参道をのぼる途中、左右にもみどころがあった。坂道の下の方から取り上げていくが、まず、旭山観音堂だ。説明版を読んでみる。 ------------ 旭山観音堂 旭山観音堂は亡学童や戦没者の冥福を祈らんため発願し 昭和13年建立したもので 文豪徳富蘇峯(ママ)定礎し御堂は東北大学小倉強教授の設計 平安時代の様式で三間二面単層四注造の本瓦葺回廊をめぐらし 前面は張り出し 背面の子持石とよく調和し 結構荘厳清水観音堂を髣髴せしめる 聖観音像は元帝展審査委員国方林三の作 国宝的傑作である 扁額「観自在」は蘇峯(ママ)の筆 旭山御堂の中に拝みぬ 端厳微妙の聖観世音 土井晩翠 ------------ 参道から観音堂に分かれ行く箇所には、左に上記の説明版、右には愛知揆一書になる「旭山聖観音」の石碑がある。 小径を進んでいくと、しばらくして断崖にせり出すように建立された観音堂が現れる。すぐ上には奇岩が聳え立っている。説明版に言う子持石だろう。堂宇の周りを歩いてみた。 次に、聖観音の入口から参道を少しだけ登ったところに、桃太郎神社の入口がある。 左に分け入って歩くと、すぐに開けた場に出て、小さな祠と大きな石碑がある。碑には、「日本一桃太郎神社 内閣総理大臣 岸信介 書」とある。 お社には、なぜか猫たちが大集合。 立派な碑の裏側を読んでみる。次のように刻まれていると思うが、判読しかねる部分もあり、自信がない。 ------------ 桃太郎 ここに生まれて ふるさとの なほ新しく 栄ゆる 旭山 昭和三十二年四月二十八日 斎藤 荘次郎 謹 ------------ 桃太郎神社から参道に戻りさらに登ると、右手に「旭山不動尊」と石柱がある。右側面には、「日本大学総長勲一等医学博士鈴木勝書」とある。左側面には「昭和五十一年四月二十八日 日本大学理□ 医学博士 □野一 建立」と(読み間違い容赦下さい)。 さて、石碑の辺りから脇に立ち入ると、下り道の石段があり、降りていく。石は整形に切られており、最近整備された道のようだ。 不動明王様は、東日本大震災の後、今は北村の高福寺に移されているのだそうだ(下記サイト)。なお、上の画像でお堂前の高台に至る手前から、下の沢に降りる階段がある。湧き水の場所に降りるためだろうか。 ・宮城の旅 旭山 ・石巻市サイト 県立自然公園旭山 訪問日 2024年4月14日 ■今回訪問の記事 ・旭山(石巻市北村)を訪れる(その1 桜と眺望)(2024年04月14日) ・旭山(石巻市北村)を訪れる(その2 神社、観音堂など)(2024年04月14日) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.04.14 22:03:01
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