愛情によって生まれる劣等感
土曜に私が東京で出たここたつのセミナーの中で印象的だったのが「できない自分を許す」というNARUTOというアニメのイタチのセリフでした。 できないことがあるからこそ、それを補ってくれる周りの人がいるわけでそれに気がついたとき感謝も生まれるし、できない人のことも許せる自分になっていくのだと。いつしか完璧になることが成長だと人は勘違いしてしまいます。自分に厳しくて、できるのが当たり前だと思っていると他人に厳しくなってしまいがちで知らず知らずできない人に劣等感やプレッシャーを与えてしまっていることがあります。ひきこもりの子どもたちは医者だの先生だのという職業の厳格な親のケースが多く親があまりにも完璧に見えて自分が「ああはなれない」と劣等感を抱いてしまっているという話も聞きます。そんな時の解決法は、親が仕事を辞めて子どもと遊んであげるとほとんど治るそうです。男の子はお母さん女の子はお父さんに原因があり子供によっては母親が夫に対して怖くて何も逆らえず母親が体を張って子どもを父親から守ってあげてなかったから憎しみを抱えているような場合もありつきつめていくとやはり夫婦関係に問題があることが多いので子供の問題の相談を受けてもどちらかというと親の夫婦のあり方を見直した方が早いということになるものです。親は良かれと思ってやっていることでもかえってて子どもたちを傷つけてしまうんですよね。私の子どもたちは脳に障害があるから普通に座っていられなくて寝転がってばかりいます。元夫もそうなのですがずっと家ではベッドの上でマンガを読み、ネットもし、テレビも見るというくらい一日中寝転がっています。座ることに集中しようとすると疲れてしまって何もできなくなると本に書いてあったので「寝ててもしかたない」とずっとあきらめて放っていました。でも人間の神経というものは使わないと発達しない。劣っているところをカバーするように他の細胞は活性化してつながったいくわけで今回この体をうまく機能させていくにはできないからと、かばって使わせないままでは社会に対応できなくなるのだと気が付きました。ちょっと負荷がかかってもがんばったら自分でできるようになるかもしれない可能性を奪っていたのかな…と反省です。親としては忍耐を持って見守るという方針に変えました。いきなり自分でやりなさいというようなのも問題なのだそうで本人に考えさせたり、やらせたりして嫌~めんどくせ~になる前にはやめるけど、ぎりぎりまでは脳なり神経なりを使わせるよう努めてみるそれも楽しみながらというテーマで。まるでリハビリのようですが…厳しくもあり、でもやらないと退化してせっかくの才能も発揮できないかもしれないのです。親としては心配で子どもががっかりしないように悲しい思いをしなくて済むようになど苦労するのであれば前もって除去してあげたいと思うものですがそうすることでできないという悔しさやできるようになりたいと思う意欲やできた時の達成感を奪ってきていたのかもしれないと思ったら子供に構いすぎたり、旦那に構いすぎたり(母親のように)というのはかえって相手を駄目にしてしまい、劣等感を植え付けることになってしまっていつか復讐を受けることになります。愛からの行動だとしても・・・・残念なことです。早いうちに気が付けて良かった。毎回東京に行くたびにここたつも、天○堂さんもたくさんの気付きをいただけて感謝です。