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カテゴリ:自由
とかく他人が理解してくれないと嘆く人が多い中、せめて自分自身を理解しているといえるか考えてみましょう。
自分が他人を理解しようとしないのに、他人が自分を理解するわけはありません。 何も溶け込む必要はありません。ただ理解してあげるだけでいいのです。 なんの恐れもありません。そんなに簡単に理解できるものではないからです。 理解するのが難しいことがわかれば、エゴイスティックに嘆くこともないでしょう。 理解とは、その人の立場になってみることです。 いつもいじわるな人がいたら、なぜそんなに振る舞うのかを考えてみればいいのです。 すぐにはわからなくてもいいのです。わかろうとすることが必要です。 本当に理解しあえればそれでこの世の戦いは終わりです。人々が理解できないから差別があるのです。貧富の差ができるのです。それは理想ということになってます。我々はそれに向かって生きているのかもしれません。 最初は信じていたものが、何かで躓き騙されて、不審になり自分だけの世界を作り、同類と集まってクラスを作ります。つまりに通った経験者が集まっていくのです。だから、そういうクラスに出会ったらほっとするのかもしれません。 でもずっと単独でやっていく場合もあります。人を信じる前に自分を信じることができたら、不審者だけの集まりなんていりません。数さえありゃ良いってなもんでもないのです。それに集まりの中には掟があって自由に行動できないことがあります。人間はそういう規則を作るの好きですね。自分たちが何かに縛られないと自信がないもんだから頼りなくなるのでしょう。どんな思想グループにしても人々が集まって会合したりします。どこかの引き寄せの法則グループも仲間を作ることを進めています。確かに相乗効果があるのでしょうけど、実際一人のほうが気楽です。自由です。 何を選ぶかは各人の自由です。社会のシステムに入っていればいろいろと守られて良いと感じる人は社会の一員になればいいのです。そして何か不都合があれば、それは社会のせいだと嘆いていればいいのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016.03.21 08:03:50
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