|
カテゴリ:家族
先日からの手紙の整理は全く先が見えないほどはまり込んでしまってます。
今までは(時間よりも心の)余裕が無かったせいでもあります。←言い訳。 しかし30年以上のモノに目を通すだけでも相当のパワーというかエネルギーが必要です。不思議と夜の方がやる気になるのですが、寒いこともありなるべく昼間の明るい時にやってます。今までの手紙を読むのですが、字が読みにくかったり、紙がはがれにくかったりして結構目と手にはハードです。 全部最低一度は読んでいるのだけど、通年で読むとどこかの誰かの随筆を読んでるみたいです。オニオンという共通したひとりに宛てられた文章をまとめると、つまりレジュメですがオニオンの人となりがわかってくるようです。気が強くてしっかり者は良い方ですが、これはポジにもネガにもとれるのです。あちこちに出されたオニオンが書いた手紙はもう残っていないでしょうけど、それらを読まなくてもなんとなくわかるような気がします。まるでオニオンは別のオニオンというひとりを読んでいるようです。 1985年くらいから2000年分ですから、それだけでも15年xクリスマスカードと誕生カードx数十人=莫大な量です。年代別には分けてありましたが、それでも混じっているのですね。。ベルギーに来るあたりからですからね。。中にはいつのものか月日が書いていないのがあります。スタンプもよく見えないモノが殆どですから、それを見るだけでも。。 でもこの作業を続けていると、ちゃんとリクエストに答えたのだろうかと思ってしまいます。オニオンの性格は几帳面だから、きっと一つ一つに返事しているはずです。たった30年前ですから記憶も生きています。 ここの訪問者の方には、30年前と言ってもどういう時代だったのかわからないことでしょう。しかし、オニオンは日本を出たのは45年前ですから、その頃のことになるとはっきりとした事はあまり覚えていません。でも恐ろしく記憶は良いオニオンですので、思い出は過去のモノだし、他の人は皆忘れていること掘り起こしても意味が無いということで、覚えておくのをやめようとしています。ところが、この記憶は勝手にインプットされますのでなかなか消えてくれません。新しいことについては、自分でぼーとしてれば残ることは無いようです。そのせいかやっと最近になって、上書きに励むようになりました。つまり削除したものは永久的に削除です。 まぁ、いい意味でも逆の意味でも(過去の)手紙の束はパンドラの箱です。いずれにせよ、これらを処分することによって相当のスペースが空きますので気分も爽快になること間違いないです 出来事は誕生、死亡、病気、大地震、引っ越し、卒業、離婚、再婚、各国のニュースとかですが、実家が一時宝塚にいた時が1995年の地震の年でした。あの時のことは今でもはっきり覚えています。ニュースで聞いてから、何度も何度も日本に電話をかけ続けたのですが誰も出なくて心配でした。結局ついに父が出てくれましたが、それまでの時間はオニオンの心臓はパクパクでした。その地震のせいでか病弱だった心臓をもった妹の状態が悪化して後逝きました。それだけオニオンの心臓が丈夫だったのですが。。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021.02.02 01:51:21
コメント(0) | コメントを書く
[家族] カテゴリの最新記事
|
|