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カテゴリ:本は鏡
どうも翻訳ものは日本語が難しくて苦手でしたが、この作品は難なく読み切りました。
前回の〈幼年期の終わりに〉の所でmoronobuさんにご紹介頂き、GOLAさんのお薦めもあったのでトライしてみました。これも随分古くて49年前ですかーあれっ?自信無いですが、素晴らしいものはいつ読んでも凄いものです。 ダニエル・キイス氏自身が日本語版発刊に文を寄せています。そこには、日本人の女の子と老劇場プロデューサーの感想をひいてありましたが、残念な事に私は「チャーリィは私」という読み方があまりできませんでした。これはきっと良い読み方では無かったのだと不安に駆られながら最後まで惹き付けられました。登場人物の中ではわたしは、ストラウス教授でありアリスであり、妹のノーマでありました。果てはもう一人の功を焦る(名前忘れました)教授でもありました。でもわたしは手術を受ける前のチャーリィであった様には思いました。確かに子供の頃のチャーリィと自分とは一致しました。 わたしは多分今までの人生において、術後のチャーリィの様に飛び抜けた時が無かったのでチャーリィと一致すると思えないのかもしれません。でもわたしは、チャーリィが退行した時に関係した人々が感じたやるせない気持ちや無力感や喪失感は経験があると思いますし、多分、人や命に対する傲慢さも充分持ち合わせているだろうと張り裂けそうにもなります。 「僕は手術を受ける前にも人間でした」 これは強烈です。刺さります。 ・・・でもチャーリィは手術で発達と退行を味わいますが、彼にははっきりとした、子供のチャーリィが持っていなかった生きる事の自覚といって良いか迷いますが、が残ったのではないかと思うのです。 「アルジャーノンのお墓に花束を供えてください。」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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