八重の桜 第35回 「襄のプロポーズ」感想
先月はなかなか録画を消化する時間が取れず、一時は4週分の録画を貯めてしまった八重の桜。史跡巡りで京都に行く前に京都編までなんとか見ておこうと一気に消化、ようやくリアルタイム放映に追いつきました。会津が滅ぼされる展開までは大体把握してましたが、その後八重たち家族や散り散りになった会津藩の人々が激動の時代をどう生きぬいたのかという話は、新鮮で興味深いですね。35話「襄のプロポーズ」幼なじみの時尾が女紅場に八重を訪ねてやってくる。再会を喜ぶ二人。彼女は大殿様(松平容保)を仲人とし、藤田(前の名前:斎藤一)と結婚していた。覚馬の元に居候していた新島襄と酒を飲んで意気投合し、寡黙な藤田が妻の時尾ですら初めて見たというほどの満面の笑顔を見せるシーンが印象的でした。時尾に尚之助の様子を聞かれ、一度会ったきり手紙を出しても返事もこない、もう夫婦ではない、と悲しそうにうなだれる八重。夫婦ではなくなっても彼を思いつづける八重の元に、尚之助死亡の知らせが。母や兄・覚馬がこの日だけは彼の死を悼もうと言うと、私は仕事があるからとその場では気丈にふるまって見せるが、一人になった時八重は悲しみの涙に暮れる。落ち込む八重を襄はピクニックに誘う。しかし八重が連れてこられたのは弟・三郎が戦死した場所だった。なぜこんな所に連れてきたのかと怒る八重に、大切な人の死に向き合わなくてはいけない、死者の声に耳を傾けて言い、襄は八重の手を地面に触れさせる。見送った時の三郎の笑顔、戦死した父の最後の声、尚之助との幸せな思い出……それらが次々に蘇り涙を流す八重。少しふっきれた様子の彼女に、襄はお手製のサンドイッチを勧める。八重は美味しいと笑顔でそれを頬張るのだった。一方、襄が京都ですすめていた学校設立計画は、耶蘇教の宣教師を教師にするという事が京都の寺から猛反発を受け頓挫していた。何度も寺を訪れ説得を試みるも、毎度門前で乱暴に追い払われる襄。彼の怪我を手当する八重に襄は改めてプロポーズする。尚之助を忘れることができないからと一旦は彼の求婚を断りかけた八重だったが、尚之助の事は忘れなくてもいい、いやむしろ覚えていて下さいと言われ、襄と新たな人生を歩む決心をするのだった────いや~…死の直前まで懸命に会津戦記を書き続けた尚之助のげっそりやつれた姿は切なかったですね。そんな彼の書いた文字を手でなぞって涙する覚馬の様子もたまらなかった…。尚之助の死と、それを悼む八重たちの姿にもらい泣きの回でした。あ、そうそう。京都の幕末維新ミュージアム・霊山歴史館に行ってきました。ちょうど「会津の武士道~第2期 会津藩と新選組」(~9/1)を開催中で、八重や新島襄の写真などいろいろな資料がありました。あまり時間がなくて駆け足で見て回ったのですが、新選組関係の資料が多くて見ていて楽しかったです。