おかゆの歴史をひも解いてみると?
おかゆの歴史をひも解いてみると?最近おかゆソムリエ協会が熱い!先日紹介しました3月15日「からだにいいこと」(月刊誌)に特集されます。1昨日も都内の○○○○ワンズ(TV番組企画会社)から電話取材がありました。現在、当協会の講師を務めて下さっている須永晃仁さんを中心におかゆソムリエ協会認定講座の筆記試験問題の作成・実技(おかゆを作る)を構築中です。4月以降におかゆソムリエ協会認定講座を開講予定です。決定次第お知らせ致します。お粥の歴史日本には弥生時代、既にお米を煮て食べる習慣があったようです。お米が日本に渡ってきた頃には 調理法は蒸したものが「おこわ」で煮たものが『おかゆ』だったようです。平安時代の頃には お米の食べ方は『おかゆ』が主流となって行ったようです。今でいうお粥が文献にも登場してきます。白米を煮た白粥のほかにも 粟・ひえ・麦などを入れたお粥が作られていたようで 芥川龍之介の『芋粥』に描かれた芋粥は ヤマトイモを煮込んで作られていました。鎌倉・室町時代、戦場の兵士達は、茶碗一杯の粥を飲み込んで戦いに明け暮れました。江戸時代になると関東ではお粥=白粥=病人の食べものというような感じになっていくのですが… 関西では お粥=朝食というようにそれぞれの地方によって変化していったようです。江戸時代、幕府は、飢饉に苦しんでいる農民の救済小屋を建て、粥を振るまった記録が残っております。民族学的には、お粥は 年中行事などハレの日の食事として重要な意味があります。※ ハレの日とはお祭りなどの特別なお祝いの日の事を云います。そのひとつは 無病息災を願って1月7日に食べる七草粥。奈良時代には すでに日本に伝わっていたようです。また小正月(1月15日)には小豆粥を食べて悪鬼を避け、疫病を払うという風習があります。(順次アップして行きます。)さあ おかゆを食べましょう!薬膳粥とも言われるほど お粥は 私たちの体を助けてくれてるんですよ。おかゆに入れるもので それぞれの体調によって変えることで 効果もUPするんです。