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カテゴリ:答唱詩編
18 いのちあるすべてのものに
【解説】 今日の詩編145は、先週の詩編119と同じく、7つアルファベット詩編の一つです。この答唱詩編では歌われませんが、詩編の2節は367「賛美の賛歌(Te Deum)」の11節で歌われます。同じく、10節(詩編唱の5節前半)と15および16節(詩編唱の7節)は、教会の、公式の「食前の祈り」として用いられています。 今日の第一朗読は、イザヤ55:6-9ですが、前半の6-7は、四旬節の入祭の歌の311「神を求めよ」として歌われます。四旬節のテーマである、「回心」がこのイザヤ55:6-の主題ですが、今日の福音朗読との関連では、6節の「天が地を高く超えているように、わたしの道は、あなたたちの道を、わたしの思いはわたしたちの思いを、高く超えている」が中心となるでしょう。これを受けて、詩編唱の1節「その偉大さははかりしれない」、4節「恵みとあわれみに満ち」、8節「そのわざはいつくしみに満ちている」が、第一朗読と福音朗読の橋渡しとなります。 ホームページの「答唱詩編」のページでも触れていますが、答唱句の旋律の音は、ミサの式次第の会衆の旋律(主の祈りの例外部分を除く)の構成音と同じです。ミサは、ことばの典礼と感謝の典礼という二つの食卓からなっていますが、この答唱句は、それをよく表しています。このほか、123「主はわれらの牧者」も共通する要素を持っています。詳しいことは、ホームページをご覧ください。 【祈りの注意】 答唱句は、雄大な信仰告白として歌いましょう。「いのちあるすべてのもの」は人間ばかりではありません。鯨や像、ゴキブリやカメムシはもちろんアメーバや地衣類に至るまで、すべての動植物に「主は食物を恵まれる」のです。この信仰告白にふさわしい祈りとしましょう。冒頭「いのちあるー」と付点四分音符で延ばす間、このことばの強さの中で cresc. すると祈りが先へと伸びてゆきます。続く「すべてのものに」は、メトロノーム的に歌うとぶっきらぼうになり、祈りになりません。ここは、やや早めにすると、ことばが生きてきます。ここまでバスは音階進行で下降しますが、これを、祈りを深める助けとしてください。また「すべての」が一拍早く出ますが、これは祈りを途切れさせないためです。他の声部は、これを聞くまで、しっかり祈りを続けたいものです。最後の「に」の後に八分休符がありますが、これを「にー」と延ばすと祈りの品位が失われます。「に」は、八分音符の間に dim. いわゆるフェイドアウトすると、ことばがいっそう生きてきます。 後半の信仰告白、旋律は最高音から始まりますが、アウフタクトのアルシスをしっかり生かすと、この音が生きてきます。最後は、雄大に、とりわけ最終回の答唱句は丁寧におさめましょう。「めぐまれる」の和音は二度から主和音になる珍しい終止です。この和音進行を、祈りにもつなげましょう。 詩編唱は、1,4,8節が歌われます。いずれも、先にあげた第一朗読を受けて、福音朗読の神のいつくしみの深さへとつながります。詩編を先唱される方は、二つの朗読もじっくり味わってから詩編を祈りましょう。4節の4小節目、『典礼聖歌』伴奏譜と『教会の祈り』および典礼用の『詩編』(あかし書房 1972 )では、「いつくしみは造られたすべてのものの上にある」となっています。ヘブライ語の原文にもこのことばはありますので、会衆用の歌詞もそのように修正していただくことを望みます。 この箇所を引き合いにして、「天国泥棒」ということばもできたようですが、神は、決して不当なことはしておらず、自分も与えていただきたかった恵みを、他の人が先に受けたり、後からの人が、自分より大きな恵みを受けると、ついつい妬みを起こしてしまうことはないでしょうか。神は「自分のものを自分のしたいように」しているのですが、わたしたちは「自分の分を受け取って」だけで帰ることがなかなかできないことも多いような気がします。 《おことわり》 今回は、先に書いた「年間第18主日(A年)の答唱詩編」と共通するところが多いので、一部は、そこから引用いたしました。 【参考文献】 『詩編』(フランシスコ会聖書研究所訳注 サンパウロ 1968 ) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.08.31 17:59:52
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