|
カテゴリ:答唱詩編
137 すべての人の救いを願い
【解説】 詩編25は、詩編34と同じく、ヘブライ語のアルファベットの第6文字(ワウ)が省略されたアルファベット詩編です。ただし、現代の底本では、他に、第2文字(ベート)と第19文字(コーフ)も欠けています。「道」ということばが何度も繰り返され、神の道を歩み続けることができるようにと、罪の許しを求める祈りがささげられます。 答唱句はアルトとバスが第2小節までC(ド)、和音も主和音を保つことで、すべての人の救いを願う精神の持続を表現しています。後半は一転して、和音も動き、特に「(待)ち望む」で、旋律は最高音のc(ド)に至り、テノールではAs(ラ♭)が経過的に用いられ、救いを待ち望むこころと決意が神に向かって高められます。 詩編唱は、六の和音から始まり、救いを待ち望む姿勢が継続されます。第3~第4小節にかけては、伴奏のテノールでFis(ファ♯)を用いて和音が属和音に至り、和音進行でも祈りでも、答唱句へと続くようになっています。 【祈りの注意】 答唱句はあまる早くならないように注意しましょう。この、ことばをゆっくりと噛み締めるように祈りたいものです。人間、誰でも一人や二人は好きになれない人がいることでしょう。その人たちのことをぜひ思い起こし、その人たちの救いを願い、この答唱を祈りたいものです。「すべてのひとの」と「救いをねがい」の後の八分休符の前の「の」「い」は、そっとつけるように歌い、ややdim.すると、ことばが生きて、祈りも深まります。 後半の「わたしは」からは、だんだん大きくしながらrit.しますが、決して、乱暴に怒鳴らないようにしましょう。「待ち望む」で、このcresc.は最高点に達しますが、「望む」からは、徐々に、dim.すると祈りも深まるのではないでしょうか。答唱句全体がP で歌われますから、このcresc.もP の中でcresc.すると、自然と祈りが深まるでしょう。 詩編は、最初の「開祭」でお話した原則を思い起こしてください。詩編唱の1節で「神よ」という呼びかけがありますが、ここで、区切りを入れると、音楽ばかりか祈りも途切れてしまいます。この詩編唱は、どの小節も一息で祈りましょう。「神よ」や「神は」の後、半角あいているのは読みやすくするため、途中で字間があいているのは楽譜の制作上の限界であることは、すでに述べています。 1節の最後の「くださぃ」は、「さ」をのばし「ぃ」をそっとつけるように、天におられる神に呼びかけるようにします。決して「さいー」と品が悪くならないようにしてください。 詩編25全体もそうですが、詩編唱でも「道」ということばがたくさん出てきますが、第一朗読で、神は、預言者エゼキエルを通して「正しくないのは、おまえたちの道ではないのか」から、イスラエルに回心を呼びかけます。この回心の呼びかけに応え、「父親の望みどおりにした」(福音朗読)ものは、「必ず生き」、神の国で永遠に「死ぬことはない」のです。詩編を歌う方も、答唱句を祈るわたしたちも、この確信をこころに刻み、願いを込めて、この答唱詩編を神にささげましょう。 最後に歌う答唱句は、この答唱詩編の締めくくりとして、テンポも少しおとし、PP で歌うと、より、この答唱句の祈りのことばが深まるでしょう。第一朗読の「知恵の書」を思い起こし、神への信頼といつくしみを願って、この答唱詩編を深めてゆきましょう。 《おことわり》 今回は、先に書いた「年間第16主日(A年)の答唱詩編」と共通するところが多いので、一部は、そこから転用いたしました。 【参考文献】 『詩編』(フランシスコ会聖書研究所訳注 サンパウロ 1968 ) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.09.05 08:09:40
|