猫 ~雑誌『NHK短歌』2007年11月号より
「現代短歌アンソロジー 猫」から、私の注目した歌にコメント。イヌネコと蔑(なみ)して言ふがイヌネコは一切無所有の生(せい)を完(まつた)うす奥村晃作『鴇色(ときいろ)の足』 多くを所有するのも難しいが、一切無所有の境涯を送るのも難しい。まあ、中途半端な人間がこれまたちょっと劣った中途半端な人間に対して蔑んでいるだけなのかもしれない。歌を知らず歌を論ずる甲・乙をわが冷笑す 猫性(ねこしやう)われは高野公彦『天泣(てんきふ)』 NHK短歌に出ている選者だから私も顔だけは知っている。“歌を知らず歌を論ずる”この私のこのブログ記事も、あの温厚そうな顔の裏で冷笑されているんだろうか。(^^;まるく膨れ終日柿の枝に居る猫の退屈猫の憂鬱河野裕子(かわの ゆうこ )『桜森』 猫も、退屈ばかりして何もしないとだんだん憂鬱になってくるのだろうか。いや、猫がそうなるというのではなく、猫の心をもった人間がそうなるのだろう。やる(べき)事を取り上げられると、窓際に追われたサラリーマンもだんだんと退屈から憂鬱になってくるものだ。ベランダの硝子の前に来て坐る猫あり 死後のわれのごとしも花山多佳子『空合(そらあい)』 作者の場合、自分も死んだらあんなふうにこの家のベランダのところに戻ってきてじっと時を過ごしているかもしれない、と思ったのだろう。私の場合は、野良猫のように空腹を抱えてどこかをふらふらしているかも・・・。ということは餓鬼界に落ちるのか?(^^;亡き父の撮りし写真にベソかきて嘘つき娘のわれは猫抱く栗木京子『夏のうしろ』 猫を抱いているのがミソ。作者自身が猫である。猫をかぶっていて化けの皮が剥がれたのかもしれない。NHK短歌に出ているあの人の子供時代のそんな一コマかと思って想像すると面白い。白猫と目が合っている路地の裏 時の割れ目と思う下町俵 万智『サラダ記念日』 『サラダ記念日』といえば、俵万智の若い頃の作品である。女の子なら、猫と目が合った時というのは、一瞬別の世界に引き込まれたような奇妙な感覚に襲われやすいのだろう。それを時の割れ目と表現している。《『NHK短歌』のホームページ》人気blogランキング↑この記事が面白かった方、またはこのブログを応援してくれる方は、是非こちらをクリックしてください。「p(^o^) 和の空間」の Window Shopping<日本人なら“和”にこだわりたい> 《「天皇はどこから来たか?」連載中》 私の第2ブログ「時事評論@和の空間」と第3ブログ「浮世[天(あめ)]風呂 @和の空間」もよろしく。ついでにこれも→(笑)無料メルマガ『皇位継承Q&A』登録はこちらから 目次 ブログ散策:天皇制の危機 も合わせて御覧ください。