仙波龍英 ~雑誌『NHK短歌』2007年12月号より
仙波龍英の歌から、私の注目した歌にコメント。 私はこういうのは歌や生き方は趣味ではないが、アングラ的な独特な世界をよく表現している。葬列のなかに妾のむすめあり怒る姉妹を吾(わ)はあきれたり仙波龍英『わたしは可愛い三月兎』(1985年) 13歳のときに父が急死。その年齢で「あきれる」とはいかなることだろうか。ふしだらが当然と思って育ってきたのかもしれない。仙波龍英のそんな秩序無き混沌とした内的世界をさぐってみたい。終末はアルタから環太平洋地震帯ぞひ広がりゆけよ仙波龍英『わたしは可愛い三月兎』(1985年) これなんかは新宿駅前のアルタを知らない人にはさっぱり意味をなさないのだろう。いちばん賑やかで華々しいところが終末の起点となるという、非常に陰鬱で破壊的な面を内側に隠して生きていたと思われる。たはむれに遺骨をかかへ散歩へと赴かんとして四歩あゆみし仙波龍英『墓地裏の花屋』(1992年) 私には、戯れで遺骨と散歩するという精神がちょっとわからない。亡くなった母を軽く見、公衆の迷惑を軽く見ているとしか思えないが、それが彼の感性なのかもしれない。もちろん四歩でやめたのだから、現実の視線には勝てないということなのだろう。ひら仮名は凄(すさま)じきかなはははははははははははは母は死んだ仙波龍英『墓地裏の花屋』(1992年) ここまでふざけると私は完全についていけない。「仮名」と「かな」で言葉の遊びをしているし、「ははは……」と「母」も同じく遊びである。さらに本来なら泣くべき場面なのに、「ははは……」でむしろ笑いを暗示している。ちょっと不気味ではなかろうか。墓地裏の花屋の薔薇をつくづくとながめて水無月することもなし仙波龍英『墓地裏の花屋』(1992年) 墓地裏の花屋という相反するものが混ざり合った世界で、ただ漫然と時を過ごしているというのは、そのまま死と生の渾然一体となった彼の内的世界を表現しているのだろう。アイドルのひとりが死ねば花の売れ結婚をしても売れる不可思議仙波龍英『墓地裏の花屋』(1992年) なかなか皮肉なものの見方である。まっすぐに喜んだり悲しんだりせず、斜に構えて世間を見ている。人生は一に健康二にお金三に愛情あとは泣くだけ仙波龍英『墓地裏の花屋』(1992年) 通りいっぺんの幸せの下にあるのは“泣くだけ”の人生。彼は、同棲していた女性作家が家を飛び出したあとアルコール依存症になり、心不全で48歳でなくなった。同棲というのがまた善良なる社会秩序の外にいることを意味するし、そんな日陰で彼は心の中では泣いて暮らしていたのかもしれない。アルコール依存症は、さらにその先の自暴自棄を暗示している。《『NHK短歌』のホームページ》人気blogランキング↑この記事が面白かった方、またはこのブログを応援してくれる方は、是非こちらをクリックしてください。「p(^o^) 和の空間」の Window Shopping<日本人なら“和”にこだわりたい> 《「天皇はどこから来たか?」連載中》 私の第2ブログ「時事評論@和の空間」と第3ブログ「浮世[天(あめ)]風呂 @和の空間」もよろしく。ついでにこれも→(笑)無料メルマガ『皇位継承Q&A』登録はこちらから 目次 ブログ散策:天皇制の危機 も合わせて御覧ください。