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2006/07/06
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カテゴリ:エッセイ
最近は『心』について興味がある。mixiで精神世界が好きな人とのやり取りで感じたのだが、ものの考え方が極端なのだ。神や瞑想は心の問題だとおれは考えている。心の問題を説明するための最も使いやすく、現実的な学問はどう考えたって『心理学』だろう。

でも、おれの考えでは『心理学』だけではだめなのだ。

次に有力なのが生物学なのであるが、生物学にも階層というか次元があって、『心』を説明するのに適切な次元がある。この場合は脳科学と進化生物学だと思う。

『進化生物学』の中でも心理学や社会科学に強引に圧力をかけるのが『社会生物学』と『進化心理学』だろう。『社会生物学』ラディカルに性急に心理学は生物学のことである。と主張したために社会科学者や心理学者だけでなく、同業者の進化生物学者からもぼこぼこに叩かれた。

社会のことを生物学だけで説明しようというのは、物理学で生物を説明することほど馬鹿げてはいないが、まだ、時期尚早である。

心の問題をすべて脳の問題として脳科学に期待する人もいるが、脳科学でやっていることは、主に認知機能が脳のどの部位で起こっているかの地図を作っているだけで、そこから『心』を読み取ることができるかは未知数だ。脳科学は心理学に可能性を制限することはできても、具体的に心を研究するのには現状では向いていない。

おれも心=脳であると考えているのだが、現時点で最も有力なのは認知科学だと思うのだ。

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にんち-かがく ―くわ― 4 【認知科学】
人間や生物およびコンピューター-システムの認知活動を対象にして、知識の獲得や表現、推論機構、学習、情報処理のメカニズムなどの研究をする学際的な科学。人工知能・計算機科学・心理学・言語学・神経科学(脳科学)など、広い分野とかかわり合いがある。

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心理学の進むべき道は工学的な心理学だと思うのだ。認知科学はまさにそういうところがあるし、ハードウェアにしてもソフトウェアにしても工学的なものだ。生物は工学で説明されるべき対象なのだ。工学とかコンピュータサイエンスとか話にもならないと感じる人は多いと思う。

心の説明に物理学や神を持ち出す人なんかは、認知科学なんて知りたくもないだろう。生物学的説明すら知ろうともしない。物理学がすべての可能性に制限を加えているように、生物学は認知科学や心理学に制限を加える役割をしているのだ。

おれが『心』を説明するときは『社会生物学』がメインになっている。しかし、社会生物学を含む進化生物学はその重要性を知られていないように感じる。

『社会生物学』と『認知科学』はほぼ同じ次元といえる。大きすぎず小さすぎず、真理からも遠すぎず近すぎず、ちょうどいい中間点なのだ。心理学になるとどうしても『経験則』以上のものは得られないような感じがする。心理学は実用的で使える知識なのだが、『心』『魂』『意識』なんかを哲学的に説明するには還元主義の連鎖から離れすぎている。『心理学』は『生物学』に還元できるとは言いがたいのだ。ここには文理の壁がある。だから、文理の中間に位置する『認知科学』や『進化生物学』が心の哲学としては主戦場にならなければならないはずだ。

なのに、精神世界が好きな人は複雑なことを考えたくないらしい。なぜだかわからないが、中間的な視点を嫌うのだ。極端な究極ばかり考える。おれが議論したいことを議論できないのだ。おれのほうはあちら側に出向いていくことはできる。鍵となる本も読むつもりだ。でも、その逆はなかなか難しいみたいだ。

おれは精神世界が嫌いというより、そういうのを好きな人の知識の偏向やそのフィルターが気に入らないのだと思う。精神世界や宗教のメリットは否定しない。でも、そこで語られる真実は認めるわけにはいかない。そういう世界の効果については議論する余地はあるが、真実や哲学的なことに関しては議論の余地はないと思う。

だいたい、アカデミックな世界ではとっくに決着がついている問題だ。厳密な学問で決着がついていることを素人同士で議論しても何にもならない。いつまでもゾンビのような存在はいるが、数学的証明ほど厳密ではないが、科学的にはとっくに決着はついているのだ。

おれの役目はそういう事実を知らせて、フィルターを弱くすることなのかもしれない。なぜそうしたいのかはじっくり考えてみる。別にほっといてもいいのだ。でも、放っておけないのだ。

確かに、感じることができる人はたくさんいる。だからといって、それと真実はまったく別のものだ。天才が言ったことが真実とは別なことと似ているかもしれない。

何らかの信念や宗教的真実を信じきることのメリットとデメリットについては前に書いたことがある。なぜ、強いフィルターが必要なのかにも必然的な理由がある。このことも過去の記事を読み直してそれからまた書いてみようかな。

ダーウィンの危険な思想/ダニエル・C・デネット
これを読んでくれれば、話は早いのだがね。

ぜんぜん話は変わるが、おれはコントロールしたがるタイプじゃない。秩序は人並みに好きだけど、カオスはおれの身に危険がない程度ならコントロールしようとは思わない。でも、おれが精神世界にこだわるのはなんかこの性格に矛盾しているようだ。こだわる理由をしっかり掘り下げてみるべきだな。

おれは柔らかな信念がいいと思う。そんなこと言ってるから、なんでも中途半端なのかもしれないな。でも、そんなおれに向いていることもありそうだ。進路のことも決めていかないと、、、教育とか学際的な研究なんかが向いていると自分では思っている。どうするかな。

話が飛び飛びになってしまった。いくつか書きたいことができた。1日1本は更新していこうと思う。

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最終更新日  2006/07/07 02:26:16 AM
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