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テーマ:最近観た映画。(39047)
カテゴリ:日記のようなもの
金曜夜の会社の飲み会の後、久々すぎるボウリングに参加してたら終電逃したので近くの漫画喫茶で夜を明かし、翌日にすぐ側にあった映画館で観て来ました。
うーん、と。映画の内容、話の筋自体は、アナキンがダークサイドに堕ちてダースベイダーになってしまうというオチをみなさんご存知ですので、ネタバレ前提で話を進めていきます。 <以下ネタバレ注意!> ジェダイ評議会とパルパティーンに挟まれた形のアナキンの苦悩がうまく描かれていました。 アナキンとパドメの子供がルークとレイアというのは、周知の通りだったのですが、出産の時に死んでしまうというのをアナキンが予知してしまう事が、逆に全ての悲劇の引き金になっているという設定も私は気に入りました。 それをシス卿であるパルパティーンに『ダークサイドの力なら愛する妻の命を救う術がある』とつけこまれるのですが、それだけでアナキンが堕ちていくわけでもない。 ジェダイの掟に対して純粋であろうとしたアナキンに対して、ジェダイ評議会は彼にパルパティーンのスパイとなるように命じたり、パルパティーンがシスと判明した後の討伐でもマスター・ウィンドウはアナキンの同行をはねつける。 パルパティーンにマスター・ウィンドウがトドメを刺そうとした場面でも、アナキンはジェダイの掟に従ってパルパティーンをシスとして元老院に引き渡すように言うが、マスター・ウィンドウは元老院などの体制はパルパティーンに掌握されてしまっているとしてトドメを刺そうとして、アナキンがダークサイドに堕ちる決定的な契機を作ってしまう。 ヨーダにしても、完全な聖人として扱われてはいない。 確かに彼の言うように、死とは魂の循環であってそれを悲しむべきでないし、執着すべきではない、というのは余計な悲劇をもたらさない理知と言ってよい。 けれども実際に愛する人(母)を失った事がある人が、さらに別の愛する人(妻)を失うことを受け入れられるかというと、それはもう単純な善悪の問題ではなくなってくる部分がある。 例えば恋人同士の会話で 「どのくらい私のことが好きなの?」 と言われて、 「きみがいなければ生きていけない」 と答えて行くところまで行ってしまったのが、今回のアナキンだろう。 「あなたがいなければ生きている意味がない」 として、全世界を敵に回してでもパドメを救おうとしたアナキン。 その行き着く先でパドメを失うことになってしまうアナキンは、まさに悲劇の主人公だろう。 パンフレットの中でルーカス監督は、このスターウォーズ6部作はアナキンの贖罪の物語だと言っていたが、まさしくそのように感じた。 1-3から4-6のつなぎの部分などTVシリーズで作る予定があるとのことですが、1-3を受けて4-6のダースベイダーのエピソードもいくつか追加しても面白いんじゃないかな、と思いました。 映画全体としては非常に楽しめたし、あのマスクがはめられて、最初の呼吸音のシーンは、何か来るものがありました。 スターウォーズシリーズ好きな人なら観る価値あると思います。 エピソード4~6をレンタル屋で確保しておいてから観に行かれることをお勧めします。笑(私が行った時には4が無かったので5-6はあったものの借りずにおきました) <余談> 歌舞伎町の映画館から出て、新宿駅に向かう途中、靖国通り沿いに、ものすごい数の消防車やパトカーが集結していました。 またどこかで火災でもあったのかと思いましたが、通りがかった部分を眺める限りでは火災現場らしき所は見当たらず、逆に電話ボックスを消防隊員が抑えてたりするところから、もしやテロ予告でもあったのかな、とか思いました。 ざっと見ただけでも消防車が10台以上、パトカーも5台以上来てました。 新宿駅前にはそういったものものしい集団はいなかったし、ニュースとかでも何もやってなかったみたいですが、駅のトイレとか行った時、やはりちょっと怖いものがありました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.07.10 09:53:03
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