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ネット上を、うろうろ、あるくと、
いろんなところで、「詩」なるものに、 ぶつかり、わからないのもあり、 さくっと、胸にくるものもあり、 「詩」って、一体、なんなのだろうと、 ここ、最近、疑問が浮かんだことがあり、 教科書以外で、読んだことないし、 とっても、意味不明だったぞ、と感じ、 そうなると、入門書などを、 すぐに、読んでしまうところが、 私の、凡人なところで、 町田町蔵は、どうやら、「詩」も、 「パンクだ、音楽だ」などという感じで、 ねじめ正一は、「言葉の塊(オブジェ)」だ、 などといい、 「肉体の強度だ」などと、難しいこといって、 わかりやすく、裸のフンドシ、一丁で、便器に、 またがり、観客の前で、絶叫するそうで、 その師匠格の、 鈴木志郎康は、「肉体を解放する虚構だ」 などという感じで、 「走れプアプアよ」など、 すごく、意味不明な、 自分の日常を解体して、 言葉の浮島をでっちあげるような、 「詩」を、昔、作っていたらしいので、 興味を、惹かれ、 鈴木志郎康の「極私的現代詩入門」という、 30年前の本、読んでしまったのだが、 鋼鉄のように、難しいというか、石頭というか、 だけど、微妙に、わかりやすいというか、 現実から、切り離した、イメージを、言葉で、 浮かべてるというか、 日常への還元を、拒否してるとゆうか、 意味から、自由にしてあげるというか、 「詩」って、「詩」の文法すら、 でっちあげてしまうことなのか、とも感じ、 「広告のコピー」とは、違って、 無用の用というか、どうやら、売れないようで、 「コピー」の対極にあるのが、 「現代詩」らしかったのだが、 わかりにくい分、予測不能な、起爆力を秘めていて、 世の中に、こんな、位相が、あったとは、 知らなかったので、驚きつつも、 今の、先端は、変わっているのだろうな、 と考えつつ、 ネット上に、これだけ、膨大な言葉群が、 氾濫しているのだから、きっと、 加速度的に、突然変異しているのだろうなと、 期待も、高まり、 またもや、借りた、本など、見ると、 やはり、わかりやすい系と、 わかりにくい系の、両極があり、 わからないことを、わからないままに、 貼り付けてる感じが、 主流なのかとも、思い、 結局、よくわからなかったが、 わからなくていいという、 歯車の止まった、 なんかが、ぴたっとしたとこに、 追い込まれてしまった気もして、 ぴたっとするなら、 ぴたっとしてればいいのだろうとも、感じ、 また、しっかり、伝わるものもあり、 単に「すき、きらい」が、 存在するだけなのだろう、てって、 だんだん、どうでもよくなり、 自由なんだなと、思った。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
June 24, 2005 03:32:07 AM
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