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おじん0523のヒロ散歩

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2020.01.30
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カテゴリ:東海道53次
笠寺一里塚から、今日のゴール点「七里の渡し」まで後約6キロ。
この辺りの旧東海道は北西から北方向へ進む。

11/23(土) 13:25
笠寺一里塚


一里塚は、慶長9年(1604)、幕府が主要街道を整備し、江戸日本橋を起点に、道程一
里(約4km)ごとに道の両側に塚を築き、榎などを植えたもので、旅人に距離を示した
だけでなく、荷物その他の運賃計算の基準にもなりました。
ここは、江戸から88里の所にあり、名古屋市内を通る旧東海道に残る唯一の一里塚で、
東側の塚だけが現存している


笠寺一里塚は江戸から88里のところにあるが、87里は「有松一里塚」。
因みに、この間の一里を2時間22分要した。
女子のマラソンでは、これだけの時間で10倍の42.195km走る


塚の上に榎が生い茂る


根元にはスイセン等が芽を出していた


13:27
旧東海道(県道222号線)を北西に進む
めずらしく祝日で日の丸を掲揚している家庭があった


13:31
右前方に『天林山 笠覆寺』の石柱


13:35
天林山 笠覆寺前を左に入り『笠寺天満宮東光院』
所在地:愛知県名古屋市南区笠寺町新町47


笠寺天満宮東光院ご案内
当山は真言宗智山派に属し尾張の名刹笠寺観音笠覆寺天平開創され延長8年兼平中将
再建し其の宿坊として創立以後幾餘の変遷を圣て天文5年再興し今日に至る。
本尊不動明王は伝教大師の作にして往昔紀州熊野新宮の本尊なり、しも縁有って慶安
3年当寺に伝来し厄除満願不動として信仰多い。・・・・・中略・・・・・・・・・
また、剣聖宮本武蔵は当寺に一時滞在し、天満宮に帰依し遺品数点現存す此の為武士
道上達技藝上達祈願のご利益多し、他に源範頼の由緒有り。
境内樹木多く四季折々に桜・梅・さつき・花菖蒲・茶花等の年中緑と花の絶え間なく
緑の少ない都市化の中で憩いの場として親しまれている


境内に入り、東光院本堂


宮本武蔵遺品は一般公開しておりませんのでご了承ください    東光院


13:38
尾張四観音之一 天林山 笠覆寺(りゅうふくじ)
所在地:愛知県名古屋市南区笠寺町上新町83
十一面観音を本尊とする真言宗智山派の寺院で、山号は天林山。一般には笠寺観音の
通称で知られる。尾張四観音の一つで、その他尾張三十三観音、名古屋二十一大師や
なごや七福神などの霊場の札所である。
笠寺観音山門


1300年の歴史を持ち「笠寺」の地名の由来となったお寺。名古屋を鎮護する尾張
四観音の一つにも数えられる名刹で、厄除けや縁結びなどの信仰を集めています。
松尾芭蕉の句碑や宮本武蔵の碑の史跡も多く、竹千代(後の徳川家康)と織田信広の
人質交換の場所としても有名です


玉照姫堂、後方に笠覆寺本堂
幟は「玉照姫・兼平公御夫妻」


笠覆寺
天林山と号し、真言宗。俗に笠寺観音の名で知られ、尾張四観音の一つである。
天平年中(729~ )禅光上人の開基で、十一面観世音を安置する。初め小松寺と称し
たが、延長年中(923~ )藤原兼平が堂宇を再興し、今の寺号に改めた。のち再び荒
廃したが、嘉禎4年(1238)僧阿願が朝廷に願い出て、宜陽門院庁より田畑の寄進を受
け堂塔を建立した。当寺には重要文化財・県指定文化財多数がある


多宝塔
二重の塔で、阿弥陀如来をおまつりしています


多宝塔の前に『人質交換之地』


信長攻路「桶狭間の戦い 人生大逆転街道」


多宝塔の裏(南側)にある『芭蕉句碑 春雨塚』
 「笠寺や もらぬ崖(いわや)も 春の雨   芭蕉」


西門から、左側に『白山社』『本堂』
この日は土曜日で朝市?


西門の左手に『六地蔵堂』
地獄から天界まで、全ての生きる者たちの苦悩を救おうとされる、六種のお姿のお地
蔵様がある


笠寺観世音の西門
来年の節分の案内
  前夜祭(開運厄除 祈祷) 2月2日 20:00~24:00
  節 分(豆まき 祈祷)  2月3日   9:00~17:00


笠寺観世音の西門の向かい側にある『笠寺明王』


笠寺明王後縁起
当院明王堂に安置されている烏瑟沙摩明王は、今から800年程前木曽義仲公の母君が
日頃持仏として信仰され、御子出産の折にもその功徳により安置されたと伝えられて
居ります。母君の死後、奥女中いと女がお祀りしておりましたが、義仲公粟津にて戦
死されたため、後を追い自害する際かたわらに仕えていた河地、今井の両名にご尊像
をたくしました。両名は各地を転々とした後、美濃の小木村に永住し、ご尊像は河地
家の秘仏として奥深く祀られてまいりました。
河地家二十代彦太郎氏は火災にあい、家宝一切を焼失しましたが、ご尊像のみは無事
に助かりました。氏は悟るところあって当院十八世政瑜和尚について得度、僧となり
堂を建てご尊像を祀られましたが一夜、烏瑟沙摩明王、夢枕にたたれ、我が功徳を広
く人々に授けんと告げられたため、戒師寺たる笠寺西方院にご尊像を移すことを決意。
一堂を建て笠寺明王として安置し、以後多くの善男善女の厚い信仰を集めております。
烏瑟沙摩明王の功徳
うすさま明王様は不浄を転じて清浄にする功徳をもっていますので、不浄除の守護仏
(便所の守護仏また毒蛇などの虫の害から守ってくださる仏)として、信仰されており
ます。尚この明王様は安産、婦人病、しもの病に霊験あらたかであります。
老若男女を問わずお「下」のお世話をかけないようにと祈願し、心身ともに不浄を除
き和やかで幸せな生活ができるようにとご参拝下さい      天林山 西方院


粕畠観音御縁起
現在、粕畠貝塚のある場所は「観音塚」「元観音」と呼ばれ、享保元年(1716)加藤又
兵衛勝貞氏が寄進した「南無十一面観世音大菩薩」と刻まれた碑と、千手観音さまの
座像が安置してあります。・・・・・中略・・・・・・
平成4年6月に、お堂が取り壊しとなり、縁ありまして西方院の明王堂に入られました。
厄難を除き、所願を成就してくださる観音さまとして、皆様にご参詣されています


真言宗智山派 天林寺 西方院
所在地:愛知県名古屋市南区笠寺町上新町81


木曽義仲の母が持ち歩いたといわれる不動明王がご本尊。泉増院、東光院とともに、
旧笠覆寺十二坊の一つです。怨霊や悪魔の出入り口とされるトイレを清める烏枢沙摩
(うすさま)明王を安置しています


西方院本堂


西方院境内から山門
旧東海道に面している


13:54
笠覆寺の西門前にある、旧東海道沿いの「大力餅 店」


旧東海道(県道222号線)から笠覆寺を振り返る


13:57
旧東海道(県道222号線)と環状線との「笠寺西門交差点」を渡る
交差点に「笠寺の歴史」の石碑


笠寺の歴史
江戸時代の笠寺村は、東海道第40番目の宿場である鳴海から熱田宿を結ぶ東海道筋に
あたり、農業を主な業とし、町並みには小商家、茶屋などがあった。笠寺観音は尾張
四観音の一つとして人びとにも親しまれ、今も節分などには露店が並ぶにぎわいを見
せている。・・・・・・・・


交差点を渡り、笠寺西門を振り返る


13:58
旧東海道(県道222号線)沿いの、「手打ちうどん ゆたかや 本店」
サービス品「みそ豚丼:580円+?鉢うどん:310円」⇒ 800円
美味しそうで食べたかった―!


秋葉社
右隣りは「寺町 門會堂」


14:01
名鉄名古屋本線を通り過ぎ、この先を右方向へ進む(北方向)


旧東海道は県道222号線から別れて北上


14:05
旧東海道の右側に、日蓮正宗 玉泉寺


住宅の間に、玉泉寺本堂


14:07
旧東海道の前方に高木が


旧東海道から左側(西方向)へ入る


14:11
富部神社
所在地:愛知県名古屋市南区呼続4丁目13-38


富部神社鳥居の左にある「末社 秋葉社」
皆さんきちんとお参りしておられた


富部神社
当社は慶長8年(1603)津島神社の牛頭天王を勧請したもので「戸部天王」とも「蛇毒
神天王」とも呼ばれていた。牛頭天王は神道だけでなく、仏教、陰陽道でも奉られる
神で、神道では病魔を自在に操る神として、仏教では病魔を操り四季を掌る神として
陰陽道では天体と方位を掌る神として、大切に奉られています


富部神社は慶長年間に清洲城主・松平忠吉公によって創建された神社。桃山建築の姿
を残す本殿は国の重要文化財



                                                                                      鳴海宿~宮宿-続く





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最終更新日  2020.01.30 03:00:06
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