|
カテゴリ:東海道53次
如意寺から旧東海道(県道222号線)を進む。
しばらくは主な寄道もなく旧東海道を北上する。 11/23(土) 12:13 旧東海道(県道222号線)の「作町交差点」の三叉路を右方向へ北上 左方向は、名鉄名古屋本線を渡り国道1号線の「京田交差点」 右の軒先には貝の飾り 東海道鳴海宿 榊原邦彦氏の「桶廻間合戦研究」「東海道鳴海宿」を、特価頒布中と、2500円/冊 街道沿いにメタセコイア 12:19 旧東海道と県道36号線「三皿交差点」の角にある「長翁寺」 所在地:愛知県名古屋市緑区鳴海町字花井町50 長翁寺本堂 和尚さんが元先生とか 本堂扁額「???」 境内には多くの菩薩が この辺りは旧東海道(県道222号線)を北上している。 汚水マンホール 12:25 丹下町常夜灯 鳴海宿の西の入口丹下町に建てられた常夜灯である。 表に「秋葉大権現」右に「寛政四年ーー」左に「新馬中」裏には「願主重因」と刻ま れている 寛政4年(1792)、篤志家の寄進により設置されたものである。 旅人の目印や宿場内の人々及び伝馬の馬方衆の安全と火災厄除などを秋葉社に祈願 した火防神として大切な存在であった。 平部の常夜灯と共に、鳴海宿の西端と東端の双方に残っているのは、旧宿場町として 貴重である 丹下町常夜燈を右に100m程入り左側に『光明禅寺』 光明禅寺 所在地:愛知県名古屋市緑区鳴海町丹下26 光明禅寺の山門 山門の両側に仁王像? 光明禅寺本堂 山門の天女 この後、旅友がどこか探していたが、「丹下砦」では、案内板がなかった 12:37 旧東海道に戻り紅葉がきれいに色ずいていた 12:42 街道右側に「鉾ノ木(ほこのき)貝塚」 鉢ノ木貝塚は、縄文時代早期から前期にかけての貝塚で、貝層はハイガイを主として いる。下部貝層や基底面からは、縄文のあるやや厚い土器や薄手の細線文土器、上部 貝層からは、前期中ごろの羽状縄文、爪形文を施した平底の深鉢型土器を主体として 出土しており上層土器の型式をとらえ「八ノ木式」と呼称されている。野村三郎氏に より発見された 道路標識 100m程登った「千鳥塚」へ行くことに 千句塚公園 所在地:愛知県名古屋市緑区鳴海町三王山17 公園入口の壁面に芭蕉の句が、 星崎の 闇を見よとや 啼く千鳥 芭蕉 芭蕉 生前に立てられた唯一の碑「千鳥塚」 登り切った左手です 千句塚公園の小高い丘へ向かう 右側前方に弥次さんが 千鳥塚 この碑は、鄭亮4年(1687)冬11月、寺島安信宅での歌仙「星崎の闇を見よとや啼く 千鳥」の巻が、満尾した記念に建てたもので、文字は芭蕉の筆、裏面には連衆の名、 側面に興行の年月が刻んである これは、芭蕉存命中に建てられた唯一の翁塚であり、俳文学史上稀有の遺跡といって よい。昭和52年(1977)名古屋市史跡に指定された 千句塚公園内を進む 天気も良く快晴で穏やか 緒畑稲荷神社 千句塚公園内の高台にあり、入口には狐 赤く実のついたピラカンサス 13:00 高台からは名古屋市中心部が眺望できる。 この煙突の焼却場は「名古屋市 緑環境事業所」 千句塚公園から急な階段を下りる 千句塚公園下の「山下交差点」 旧東海道(県道222号線)は、ここより手前の三王山交差点を左折して西方向へ 左が三王山交差点からの旧東海道(県道222号線) 旧東海道の「山下西交差点」から、右前方は公園から見た「名古屋市 緑環境事業所」 二級河川 天白川(てんぱくがわ) 天白橋上からの下流 右前方はJR東海道本線の「笠寺駅」辺り 天白橋の塗替え塗装及び補修を行っている 13:15 旧東海道(県道222号線)を西方向へ進む ここまでは「車線変移区間」で3車線を時間帯によって2+1に変更 歩道面のタイル「松並木」 歩道面のタイル「弥次喜多道中」 この辺りのスピード制限は30km、弥次喜多道中の看板も 街道脇に「東海道 知多郡道」の石柱に、「この先五十米南へ」と 街道沿いに「東海道分間延絵図」 現在地 旧東海道を進む、道路を横切る弥次さん 13:20 旧東海道(県道222号線)を西方向へ進むと前方に一里塚の木 笠寺一里塚 笠寺一里塚 所在地:愛知県名古屋市南区笠寺町下新町 鳴海宿~宮宿-続く お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.01.29 03:00:06
コメント(0) | コメントを書く
[東海道53次] カテゴリの最新記事
|