野茂あなたを一生忘れない
Hideo NOMO,ぼくはあなたの勇姿を決して忘れない。1995年に海を渡った男、野茂英雄は、アメリカでの13年目、日本から通算して19年目のプロ生活に自らピリオドをうった。プロ野球の1年目、近鉄の野茂は、新人ながら、最多勝利、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率と主要四冠を独占。さらに、ベストナイン、新人王、沢村賞、そしてMVPを獲得。しかし、1994年に、近鉄との間で、今は普通になった代理人契約や複数年契約の問題でもめ、当時のプロ野球規約である、「日本のプロ野球界に属するものは、勝手にメジャー・リーグと契約できない」という拘束を逆手に取り、日本プロ野球界を脱退。単身、アメリカにわたり、LAドジャーズと契約。その年に、独特の体をねじるトルネード投法と名づけられたフォームから繰り出される、伸びと重みのあるストレートと、大きくおちる切れ味あるフォークボールで、メジャー・リーグの人気復活の立役者となる。オールスター戦では、先発をまかされ、2イニング無失点。1年目は結局、13勝6敗、236奪三振という素晴しい成績を残し、新人王、奪三振王のタイトル獲得。その後、1996年ロサンゼルス・ドジャースで、 9月17日の対ロッキーズ戦で日本人初のノーヒット・ノーランを達成。リーグを変わって、2001年ボストン・レッドソックス 4月4日のボルチモア・オリオールズ戦で2度目のノーヒットノーランを達成。両リーグで、ノーヒット、ノーランを達成し、メジャー史上4人目の快挙を成し遂げた。通年の成績が悪くても、あくまでも、現役、先発にこだわり、さまざまなチームを渡り歩き、マイナー契約から、メジャーにあがってきて再び活躍するなど、なんども挫折しながら、そのたびに復活してきた野茂。しかし、今年、「悔いは残る、まだまだ投げたいが、これ以上、周りに迷惑をかけたくない」として、ついに現役引退を表明した。日本で通算78勝46敗。メジャーリーグでは7球団に所属し、通算123勝109敗。日米通算200勝も達成している。こうした、数々の記録もすごいが、やはり、今と違い、何の保障や後ろ盾もなく、単身でアメリカに乗り込んで(もちろん代理人はいるが)、日本人プロ野球選手が、メジャーリーグで、十分活躍できることを、みづから身をもって示したこと。そのフロンティア・スピリットとパイオニア精神、まさにそこに敬意と感謝の意を表したい。今でこそ、イチロー、松井秀喜、松坂大輔など、メジャーで活躍するひとは多いが、彼らは、球団の力を借りて、球団から球団への移籍金を払ってもらってメジャーに行った。つまり、まわりが全部、お膳立てをしてくれるわけだ。野球、ベースボールがまったく出来なくなるかもしれない、というリスクは負っていないのだ。その点、野茂の場合は、日本のプロ野球界を去って、退路をたってアメリカに渡った。その勇気とリスクをとる志は、ほんとうに尊敬に値する。いくら、イチローが、8年連続200本安打に挑戦し、もう少しで日米通算3000本安打を達成するだろうとしても、松坂大輔がレッドソックスで活躍しようとも、野茂英雄のなしえた偉大で先駆者としての存在感には、かなわないと思う。野茂英雄、はからずも、HIDEOという名前が、英語で「HERO」という意味。アメリカで1995年、トルネード投法とともに、大旋風を巻き起こした男。私は、メジャーリーガーをばったばった三振にとってきった、彼の勇姿、目に焼きついた彼の姿を一生、忘れない。野茂英雄、いままで、お疲れ様でした。そして多くの勇気を与えてくれて、ありがとう!