テーマ:今日聴いた音楽(74159)
カテゴリ:音楽その他広く一般
六本木のとなり飯倉に キャンティ というイタリアン・レストランがある。
ここにデビュー前のユーミンが、八王子から通っていたそうだ。当時まだ14歳。 ぼくは、キャンティの西麻布店には行ったことがあるが、なぜ、みんなが「キャンティ、キャンテイ」とちょっと気取っているのかわからなかった。 それが、先週のTV番組で分かった。 飯倉のキャンティ本店は、1960年にはじめて日本に出来たイタリアン・レストランらしい。海外生活の長かった川添夫妻が、まさに、 パリのカフェのように、文化人が集まってくるサロンような、ヨーロッパの香りのする、そんなお店 を目指して作ったそうだ。 だから、本格的な料理を出すだけではなく、そこでの人の交流が目的でもあったそうだ。キャンティを サロン文化の発信基地、カフェ・ソサエティとしてお店を育てていきたかったらしい。 お店の設計やインテリアも、そうした考えから作られた。 そして、当時、そのようなレストランが皆無にひとしかったことから、 黒澤明、岡本太郎、三島由紀夫、小沢征爾 などの文化人や、 来日したさいに立ち寄った外国の著名人、 たとえば、シャーリー・マクレーン、シルビー・バルタン、 ピエール・カルダン、イヴ・サンローラン、 ロバート・キャパ(写真家)ダイアナ・ロス なども多かったそうだ。 そんな雰囲気にあこがれて、 ムッシュかまやつ、篠山紀信、堺正章、加賀まりこ なども集まっていたらしい。 スパイダース結成前のかまやつ ひろしは、キャンティなどに通いつめていたため、周りからフランスかぶれ、としてムッシュかまやつと呼ばれるようになったらしい。 そこに、そんな雰囲気にあこがれて、実家の八王子から通ってくる女子中学生がいた。しかも電車賃を節約するため、JR(当時は国鉄)四谷駅から、歩いて飯倉まで通ったそうだ。 そんな、ストーリーを、内山理名が演ずるJ―WAVEディレクターが、 当時の常連客であった、ムッシュかまやつ、堺正章、加賀まり、井上順 パリまでいって、ピエール・カルダンなどにインタビューしながら、ラジオ番組を作っていくというお話。(これはラジオ番組の企画をつめていくという話) しかも、そのラジオ番組企画の話を題材にしたこのTV番組のナレーターを ユーミン本人 がつとめていて、当時のキャンティや自分のことをしゃべっている。 そこで、面白かったのは、ストーリーにあわせて、ポイント、ポイントで、当時の状況にちなんだ歌を、別のミュージシャンが歌う、という構成。 1. 荒井由美の「あの日に帰りたい」を河口恭吾が歌う。 2.「Only You」をスガシカオが、オリジナルなアレンジで歌う。とってもヘンで面白い。 3.セルジュ・ゲーンズブールの曲をクレモンティーヌが歌う 4.スティービー・ワンダーの「Movin’ On」を大黒摩季が歌う 5.スパイダースの「フリフリ」や「バンバンバン」をムッシュかまやつと、アルフィーが演奏する。みんな楽しそうに歌っている。高見沢のギターがぶんぶんうなる。 6.荒井由実の「ひこうき雲」をあやや(松浦亜弥)が歌うが、ちょっと力不足か。 エピソードは、福沢諭吉の孫で、レーサーだった常連客の福沢幸雄が、海外から持ってきた最新ファッション、最新音楽、最新情報など、まわりに大きな影響を与えたことも教えてくれる。 まさに、そうしたサロン文化と人との交流を求めて、 子供の心を持った大人と、 大人の心を持った子供 が出会う場所だった。 ユーミンは、そんな、ちょっと背伸びしながら、 大人の文化の香りを体感したくて、八王子から通い続けたそうだ。 そうしたことがきっかけになって、ユーミンは、300枚しか売れなかった、幻のレコード「返事はいらない」をレコーディングすることとなった。 売れなかったことを、ディレクターやスタッフらはちっとも気にせず、 当時、歌謡曲全盛の時に、全く違うものをやろうといって完成したのが 荒井由美のデビュー・アルバム「ひこうき雲」 1973年のことである。細野晴臣、松任谷正隆 などの全面的バックアップ。 当時の「シンガー・ソング・ライター = フォーク」という図式をぶちこわした衝撃作である。 このあと、番組は、デビュー作発売直前になくなってしまった、川添夫妻の梶子さん(たんたん)と、ふたりで好きだった曲 7.プロコルハルムの「青い影」をユーミン自身が歌う。 8. 最後に、1974年に出されたセカンド・アルバム「MISSLIM」から 「やさしさに包まれたなら」を、ユーミンが、細野晴臣や佐藤竹善 (Sing Like Talking)らをバックに歌った。 「MISSLIM」というアルバムは、ファーストと同じく細野晴臣や松任谷正隆らがバックアップしているが、さらに、山下達郎がコーラス・アレンジ、 吉田美奈子、矢野顕子 らもコーラスで参加している。 この番組、J-WAVEや東芝EMI(ユーミンが所属するレコード会社)が実名で出てくる。ユーミン自身がナレーションをやっているし、歌まで歌っている。 キャンティに集まってきた国内外の人たちの超豪華な顔ぶれに比べて、そこから誕生したのが、スパイダースや荒井由美だけなの? って、ちょっと?マークがついちゃって、ちょっと大げさだなとは思うし、 原作の「キャンティ物語」 (幻冬舎文庫)と、どのくらい違っているのだろうとは思う。 多くの同世代や、上下の世代の女性が、「ユーミン世代」だと思うのだけれども、 バブル期三部作 Delight Slight Light KISS(リフレインが叫んでいるが入っている)1988年 LOVE WARS 1989年 天国のドア 1990年 は、実は持っているのだけれども、そして、これらのCDの売り上げが、 ドリカム に破られるまでCDアルバム売上枚数 トップだったし、 当時は、ユーミンは恋愛の神様、マーケティングの神様といわれていたのだけども、 ファンの方、ユーミンと一緒に育った「ユーミン世代」のひとたち(多くは女性だと思うが)には、ごめんなさいなのだが、 正直に告白すれば、実はそれほどにファンでもなかった。 ところが、私がやっているウクレレ・バンドで、たまには女性をフロントにたたせて、男性メンバーはバックに徹しよう、すなわち、ステージ上でフロントが ウクレレ&ボーカルの女性と、 スティール・ギター&三線(沖縄の)の女性 バックが、ウクレレ、ベース、パーカッションの男性3名 で、今年の3月にライブで演奏した曲のひとつが、 「やさしさに包まれたなら」 だったのです。 メロディは知っていましたが、歌詞を真剣に聴いたこともなかったのが、楽譜を読んでみると、 ♪ 小さな頃は、神様がいて、不思議に夢をかなえ~てくれた~ぁ♪ ♪ 小さな頃は、神様がいて、毎日、夢を届けてくれた~♪ なんと、素晴しい歌詞 ではないですか。 そうか、ユーミン(この曲は荒井由実時代)の曲って、こんなことを歌っていたのか、ととっても自分の中で、ユーミンの評価が上がったのです。 そんなことを思いながら、イタリアン・レストラン、キャンティの誕生と、そこに集まった文化人、そこからバトンをわたされた(?)スパイダースやユーミンについて、思いをはせたのでありました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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