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2021.03.06
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​​​​​​​​​​あなたは誰のものか

一九五八年三月十六日(日)前本部教会



 この時間は「あなたは誰のものか」という題目で皆さんにお話します。

 この地上に生きているすべての人間は、各自ある目的のために生き、振るまっているのです。

 考えてみれば我々の人生は、私を中心にして始まり、私を中心にして終わりを結ぶようです。しかしもう一度考えてみれば、私を中心にしているような人生が曲折の多い人生であり、嘆息と悲しみの多い人生であることを、皆さんは今までの自身の実際の生活において、多く体験していると見るのです。

 また、自身を中心とする生活をして、自分だけのための生活をすれば、罪と悲しみが満ちるようになるのですが、自分を忘れて自分を否定する生活をするなら、どんな困難も無難に越えることができるという事実を、皆さんは実際の生活で感じるのです。


 すべての存在の存在要件

 我々が本質的な面で人間をより深く考えてみるなら、自分の体も自分のものではなく、自分の心も自分のものではないということを、否定することができません。また、創られた全体の被造世界、全宇宙もその主人が被造万物それ自体のようですが、より深く考えてみれば、創造主のものであることを、誰もが否定できないのです。

 例をあげると、この地球は主人が地球自体であると考えやすいのですが、この地球も宇宙に属している存在であることを否定できません。また、地球の上に存在しているすべての万物も、自らが主人であり、自ら存在し始めているように考えやすいのですが、万物もやはり地球の因縁から外れて存在できないことを、また否定できません。

 このようにすべての存在を探って見れば、大きなものから小さなものに至るまで、すべてが切っても切れない因縁を結んでいます。地球を探って見るときも、我々はこの地球が自ら存在できないことを知っています。即ち、全体と切っても切れない因縁を結んでいって、自然法度によって運行されるときにのみ、地球としての存在要件を完備するのです。このように地球を中心にして見るときにも、地球の原因者である創造主がいることを是認するなら、この宇宙は創造主である神によって生じ、地球は宇宙によって生じ、この地上に存在している万物は、地球によって生じているということを、皆さんは否定することができません。

 それでは今日この地上に存在している万物の根源者、即ち人間の父母のような存在は何であるか? 宇宙ということを否定できません。ところで天宙の父母(根源者)が何であるかに対しては、未だに解明されていないのが事実です。

 すべての万物はこのように、必ず父母の因縁と同じ原因的な過程を経た結果物として存在しているにもかかわらず、結果世界自体としてのみに満足しているのは歴史的な矛盾であり、現実的な矛盾であることを皆さんが今、悟らなければなりません。

 それではこのような立場に処している宇宙万象と皆さんに、最後にどのような解決策がなければならないでしょうか? このすべてのものを解明することができる人間、即ちすべての因縁に通じることができ、宇宙全体の価値と全体的な理念、福音的な理念を代身することができる一つの実体を立て、宇宙に対して出て行くことができる人格者が、この終末の時代に現れなければならないのです。もしもこのような存在が現れないとしたなら、神様が人間を中心として摂理されたと断定できないということを、皆さんははっきりと知らねばなりません。

 今日この見える万物世界を主管している人間、いわゆる万物の霊長であると自任している人間が、自身のものであると思っているなら、それは誤解です。皆さんの体は皆さんのものではありません。皆さんの心もまた皆さんのものではありません。皆さんのものであると認定する根拠が何かと反問してみれば、皆さんは答えることができない立場に至るのです。

 もしもこの問題が解決されれば、これが歴史的な一つの起点になって、同時にすべての問題を解くことができる解決点になるのです。しかし今日この地上に生きている人間は、この問題を忘れたままで、生きているのです。

 神様は宇宙を失って悲しむよりも、このような人間になってしまった事実を、より悲しまれるのです。ですからこのような神の心情を感じて、体恤する人間がいたとしたなら、彼から根本的な宗教の摂理が出発するようになるのです。ここから神を再び捜し求める道が開拓されることを、知らねばなりません。

 この地上に存在しているすべてのものが、地を父母として、全体を父母としているのであり、さらには創造主を父母としているように、皆さんの一身も皆さん一身として終わるものではないのです。

 皆さんは、地が自分の父母であると感じたことがありますか。我々の体は地のすべての元素で結合されています。地が我々の根源であることを否定できない人間であるのです。ところが人間は自分を、地が抱いているという事実を忘れて生きている時が多いのです。今皆さんは物質の父母が地であることを知っているのですが、さらに自身を一つの人格体として生んだ、父母があるという事実までも知らねばなりません。


 人間の構造と価値、そして生の標準

 それでは人間はどのような存在として創られたのか? 物質的なすべての要素を持っている存在、天の理念を代身することができる実体形状として立てるということが、神様が人間を土と水と空気で創られた理由であったのです。このような創造主の理念を通して創造された人間ですから、人間自体に神の神性に和することができる、ある要素がなかったとしたならば、この人間自体にはどんな理想も希望も所願もあり得ないことが、創造の原則となっているのです。

 神様は人間を創られるとき、すべての物質と通じることができる物質的な要素の結実体として肉身をこしらえ、この肉身を主管する霊を吹き込んで人間を創ったのです。

 物質が一つの存在性を現すためには、地球や満宇宙と通じる因縁を持っているように、人間も地を父母としていて、さらには理念的な主体である天を父母としていることを信じる人間にならねばならないことを、皆さんははっきりと知らねばなりません。

 それでは人間は、何であるか? 物質的なすべての因縁を代身した実体(肉身)と、神霊的なすべての因縁を代身した実体(霊)が結合した、一つの実体として創られた自体が正に人間であるのです。このような価値を持つ人間ですから、創造主のまえに愉むことができ、敬礼することができ、創造主を讃えることができるのです。このように人間自体は極めて小さな一個人ですが、全宇宙を代身して天の栄光を現すことができる宇宙的な価値を持つ存在なのです。また天はこのような価値を持つ完成された人間に対することを、願っておられるのです。

 それゆえ今皆さんは、自身を立てて何を主張しようという、心を持ってはならないのです。体が自分のものではなく、心が自分のものではない立場で、自分のものを主張していったなら、歴史が許さないのです。過去の歴史においてこんな個人、こんな民族、こんな国家が滅んだ事実を、皆さんはよく知っているのです。

 人間が必然的にこんな道を行かねばならないので、天は人間に善の道理を捜し立てさせ善の方向を提示して、歴史を今日まで率いてきたのです。氏族社会時代にはこの氏族の習慣、民族国家時代には民族主義や国家主義、今日では国家の次元を越えて世界的な主義を中心として生きています。

 今ここに終わりの日になるのではなく、最後には天道を中心とした摂理のみ旨の為に生きなければなりません。そうではなくて自分の主義や、自分の国家理念を指向する人間は必ず壊されるのです。

 これを考えてみるとき、皆さんはどこに安定圏を求めるのか? 皆さん自らが幸福を感じ、皆さん自らが満足して、全被造世界のまえに自信を持って神を代身して現れることができる安息圏は、たやすく得ることはできません。しかしこれが人間が捜し求める、共通的な目標であるのです。

 今心は天上に向かい、体は万物に対する立場に立っている皆さんは、このすべての万象は私のものであると、自信を持って言うことのできる境地を感じてみましたか? 血統的な因縁による氏族・国家、そして世界の人類に向かって、そのものたちは私のものという感じを持ってみましたか? さらには地上の人間のみならず、霊界にあるすべての霊人たちに向かって、そのものたちは私のものとすることのできる皆さんになっていますか?

 このようなことを考えてみるとき、そうではなしに自慢して、自身の何かを立てて誇る人間、自身のある主義主張を押し立てる人間、その人間は必ず倒れます。

 このような事実を皆さんは否定することができないなら、皆さんはどんな標準を持って生きるべきかということが、重要な問題になるのです。


 父子関係の回復のための宗教の教え

 元来、人間が堕落しなかったなら、善の価値を持つ天の相対的な立場に立っていたのです。ところが堕落することによって、善の父母との因縁が切れてしまったのです。それ以後、人間は悲しみの道を歩んでいったのです。人間は死の峠を越えてでも、この善の父母との切れた因縁を回復しなければなりません。

 それではこの因縁をどのように結ぶのか? この因縁はある世界的な主義主張や、ある国家理念、社会的なある体制で結ばれるものではありません。ですから皆さんの心の底から、この一つの事実が決定されなかったなら、どんなにこの世界が幸福らしい世界、善の世界になったとしても、皆さんとは何らの関係がなくなってしまうことを、皆さんは知らねばなりません。

 ところが今日の皆さんの欲望は、皆さん一個体を越えて国家、あるいは世界に向かって動いているのです。このような所有の欲望を持つそれ自体も尊いのですが、それよりもさらに尊いものが何でしょうか? まず自身を永遠不変の主体に属する自体であることを認定して、その次に宇宙的な欲望を充足させることです。正にこのような人間がいたなら、この地上には彼を打ち滅ぼすどんな権勢や、勢力もないのです。

 ところが今日人間は、これを考えないでいるのです。自身の本当の価値を主張しない人間が、万物を取り、宇宙を主管して何の役に立つでしょうか。

 ですから今日人間世界において、天宙的な理念を現す主義主張があるなら、それは宗教です。宗教理想の主義主張がないというのです。見えざる創造主に対し、このお方が我々の父であり、我々は彼の息子・娘であると言うことができる関係、そして切っても切れない父子の因縁と、その価値を土台として出発するものが宗教です。従って真の宗教は、その時のある民族を支配する次元に留まっているものではありません。未来の国家、未来の世界、さらには天宙を望み見るものです。そして創造主の理想を通して創られた地と人間が、三位一体的な関係として一つになろうとする、目的に向かって動いて行くのです。

 正にこれを求め求めて回復するためのものが宗教ですから、宗教は今まで主従の関係を重視してきたのです。また何が先で何が後かという前後の関係などの、秩序的な因縁を結んできたのです。天倫がこのようになっているのです。

 それでは悪というものは、どこから出発したのでしょうか? 天倫を中心とする秩序的な因縁を外れたところから、悪は出発したのです。それで天は皆さんが満宇宙のものであり、創造主のものであり、皆さん自身のものであるという、この一基準を立てさせるために今日まで、苦労されてこられたのです。

 皆さんは、未来の中心になろうと願いますか? 神との因縁がなしに立てられた人間世界の中心は、永遠ではありません。あるいは民族の中心になりたいですか? 皆さんが思いどうりに民族の中心になったとしても、皆さんは堕落した人間ですから、いつか一度は折られる時があるのです。世界のまえに堂々と出たとしても、一度は折られる時が近づいて来るのです。それで宗教の道、即ち修道の道を行くという人間には、すべてのものを捨てよと教えるのです。しかしこの御言は、いつも捨てなさいということではありません。 堕落した人間が善の路程を経てゆくときにおいては、言うこともできない紆余曲折の路程を経て、革命と闘争の過程を経なければなりません。神様はこのような過程を経る人間ですから、どんな民族でもある主義にかたよって固着してしまったら壊れることを知られて、そのすべてのものを捨てなさいとされるのです。

 それでキリスト教がこの地上に、天を云々して現れるとき、言うこともできない迫害を受けたのです。またどの時代においても、天を現す個人や民族は、歓迎されなかったのです。二千年前にもイエス様の新約の福音を聞いたのですが、彼を国家的にみな追い出したのです。さらにはイエス様以後、今までどの時代においてもキリスト教を迫害しなかった民族は、一つもありません。

 しかし神様は、この地上にキリスト教の理念を立てるために、どんな国家の政策的な理念であっても、イエス様が主張される内容と一致しないときは容赦されなかったのです。


 神が所有すべき個人、家庭、国家、世界

 イエス様は持つべき民族を持たず、持つべき国家を持たず、持つべき世界を持たなかったので、神様はこれを取り戻すために、今まで苦労されておられるのです。それではこのみ旨を、誰が成就させるのですか? このみ旨を成就しなければならない人間は、天でもなく、地でもなく、正に皆さん自身なのです。

 神様はこの宇宙を取り戻すための摂理をされ、一度に全宇宙を求めることはできないので、まず一人の人間を捜し求めるための苦労の歴史を経るのですが、これが正にアダムの堕落の後、ノアを求める一六〇〇年の期間であったのです。アダムが失敗することによって、神様はノアを立てたのですが、ノアもこのみ旨に対する責任を果たすことができず、これが四百年延長され、アブラハム・イサク・ヤコブのときに至って、初めて一人の個人を求め、一つの家庭を捜し求めたのです。

 神様はこのヤコブ家庭を中心に、エジプト路程を経ていって、モ-セを立ててイスラエル民族を率いさせたのです。ところが民族を中心としてイスラエルの国を求めるために来られたイエス様が、この国を自身のものとして求められず、天のものとして立てられない立場で逝かれることによって、選ばれたイスラエル民族はどうなったでしょうか? 世界を流浪する民族になったのです。

 こうしてイエス様が来て行って後、今日まで天はこの地上の人間のまえに新約の摂理路程を立てて何をされたかといえば、イエス様が捜し求めた神を中心とする民族と国家を建設し、さらには天宙的な天の理念を運行できる世界を建設されようとしているのです。

 このような足場を持っていないので、今日イエス様を信じている信者たちには未だに自分たちが捜し立てるべき国家の理念が残っているのです。しかしこのような事実を、彼らは知らないのです。

 それではイエス様が今日、この時代に要求することが何でしょうか? 天が四千年の間苦労して立てたイスラエル民族を失ってしまったので、このイスラエル民族を代身することができる第二のイスラエルの使命を、今日キリスト教が担うことを願っておられるのです。ところがこれをキリスト教徒が忘れていることを、皆さんは知らねばなりません。

 このような際に天性に向かってゆく皆さん自身を考えてみれば、皆さんは哀れな人々です。人間が天性の道理を正し、善なる姿になっていないので、天性の道理に通じることができる家庭がなく、社会がなく、民族がなく、国家がなく、世界がないのです。正にこのような立場に処している自分たちであることを、皆さんが考えてみなければなりません。 皆さんがこのすべてのことを捜し立てることが最後の目的ですから、天は今まで皆さんがこれを捜し立てる前には、あるものに属してそれに頼む存在にならないことを望んでおられるのです。即ち、ある民族、ある主義にも属さないことを望んでこられたのです。ですから今日皆さんは、このようなことを心の底に刻んで歩んで行くべき運命におかれているのです。

 そして今日皆さんに、皆さんの体がこの地を代身する体になり、民族を代身する体になり、永遠の生命を代身する体になっているかと問うとき、皆さんはそのようになっていると答えることができないのです。それゆえ皆さんは、皆さんの一身を自身のものと主張しては駄目です。皆さんは、ヤコブに十二子息を中心とする七十食口があったように、神が臨在することができる家庭を成さねばなりません。そして皆さんの家庭は、神が統治される国のものであり、その国は神が支配する世界のものにならねばならないのです。さらには天上のすべての霊人たちまでも、神が主管される理念圏内に属するようにしなければなりません。

 これを考えてみるとき、今日皆さんはどんな立場、どんな位置で召命を受けたのかを知らねばなりません。また、皆さんがどんな立場で自身の理念を、自身の欲望を、また自身の行動をどのように展開させてきたかを、反省してみなければなりません。こうして今日皆さんの立場がこのように天倫の全体的なみ旨、創造的、全体的な摂理のみ旨において、どのような位置にあるかということを、皆さんは明白に知らねばなりません。

 神のキリスト教に対する摂理のみ旨は、神様が喜ぶことができる個人を捜し求め、神が支配することができる家庭を求めるためであり、この家庭を合わせて天の民族を成そうとすることなのです。正にこのみ旨を成す責任を、選民イスラエルが完遂しなければならなかったのですが、彼らがこれをぶち壊すことによって、神様は世界キリスト教徒を動員して、第二イスラエルを建設されてきたのです。ですから今日、全世界キリスト教徒が一つに団結して、この地上の悪に対して進撃することができる一日、キリスト教で言う最後の審判の日を、迎えなければならないのです。

 神のものとして所有されるためには

 天倫のみ旨のまえに完全に和して、天上の認定を受けた人間、神秘的な体験をした人間は知るのです。神が私に対してお前はわたしのもの、と認定するのを感じると同時に、万物が私に対して頭を下げるのを見るのです。全被造万物がお前は神の息子であると、神のものであると認定する日には、霊界の数多くの霊人たちは勿論、地上の万物までも彼に頭を下げ、讃えるようになるという事実を、今日人間は知らないのです。神が認定し、万物が認定する立場に入るならば、真の良心を持つ人々もやはり、彼のまえに自然に和して入ってくるのです。

 そして皆さんは自身の存在位置と存在意識をもっても、自分のものという所有観念を捨て、自分が万物のみ旨を代身し、人類のみ旨を代身し、天倫のみ旨を代身するという考えを持たねばなりません。自身がこんな理念を持ってゆくことを自覚する人間が、いわゆる道人です。皆さんがこのような修道の道を歩むには、この地上で持つものをみな持ち、やることをみなやって、享受することはみな受ける生活をしては駄目です。

 皆さんが本当に天倫による存在の価値を捜し立てようと願うなら、まず皆さん自身を無慈悲に否定して、自分の家庭や社会、罪悪なるこの世の中に対して無慈悲に闘ってゆくという、敵愾心を持ってゆく覚悟がなければなりません。だからといって腕力でやるのではなく、奉仕と犠牲によって罪悪に相対し、攻撃していかなければなりません。こんな過程を経ていって、天は六千年の長い歳月を、無言で闘っておられるのです。

 それではこのような創造主たる神が、人間を再び捜し求めるために苦労していることを知るとき、皆さんは今どうすべきか? 皆さん自身が正にこの宇宙のもの、すべての人間のもの、さらにはすべての万物のものとして、和する存在にならねばなりません。また神のものとして所有されねばなりません。

 それでは皆さんが神のものとして所有されるためには、どのようにしなければならないか。まずこのすべての被造万物を創られた創造主神が、正に我々のアボジであることを感じなければなりません。それで創造主神は、永遠不変の絶対者として、創世から今まで、切っても切れない父子の関係を回復するために苦労してこられた、我々のアボジであることを知らねばなりません。

 肉親の父母が我々に血肉を与える父母なら、創造主はいかなる父母か。我々の永遠不変の霊的な真の父母なのです。私の心の父母であると同時に、永世を与える霊の父母なのです。今日まで人倫的には血肉の父母を尊び、また孝行せよと教えてきたのですが、天倫の創造主に対してはどんな法度もないので、人倫と天倫がそれぞれ違う道を歩んできたのです。こうして人類を代表して、天倫を代身する創造主神に対し、天倫的な真の父母の道理を叫んで行くものがなければならないのですが、このお方がいわゆるイエス様であったのです。

 イエス様は地上に来られ、創造主はわたしの父であると語られました。神はわたしの父であり、わたしと一体であるとされたのです。夫婦一体、父子一体の内容を持って、イエスはこのように主張されたのです。ですから他のどんな主張よりも、天倫のために孝子・孝女の道理を立てたことが偉大であったのです。


 イエス様がメシアとなり得た理由

 今日イエス様を信じる皆さん、皆さんは歴史の終末期に処しているのです。ところでここまで来るには、数多くの革命の過程を経てきました。個人を中心に、あるいは宗族を中心に主張した習慣や風習は、より大きな民族が現れるとき、みな壊されたのです。一つの個別的な国家は、やはり全体的な統一の理念を追求する摂理によって、より大きく強い国に吸収される歴史過程を経てきたのです。

 地球も一つであり、人間も一つであり、神も唯一ですから、最後にはこの三者が同席して喜ぶことができる一日を成すために、神は苦労されているのです。そしてある指導的な権限を持って命令する神ではなく、自身の欲望で主管するための神ではないのです。

 神様は六千年の間、個人は家庭のためにという心、父母が子に対する以上の心をもって人間に対してこられたのです。人間が神に対して、孝子以上の孝誠の心でアボジと呼ぶ一日を捜し求めることが、人類に対する神の苦労の歴史なのです。ところが今日人間は、このような事実をよく知らないでいるのです。

 今皆さんがこのような考えを心に抱いて祈祷したなら、多くの祈祷が必要ないのです。「天のお父様!」というこの一言と共に、数千年間役事されたアボジの心情を感じるようになるのです。六千年の歴史の中で、神様が闘争の過程を経てこられたのも、今日の私を捜し求めるためであったことを、感じるようになるのです。

 ですからこの神様が自分に対して「愛する息子よ」と呼ぶことを願うなら、皆さんは創世時に持たれたアボジの心情、人間の堕落によって感じた悲しい心情、再び全世界万民を救援するためのその心情を感じて、神を父とする人間にならねばなりません。

 そして皆さんは、神様が今日皆さんに対して摂理されるこの事実を見て、満足して喜ぶのではなく、未だにこの地上に残っている悪と対決して、千辛万苦の苦労の路程を経て、カナンの目的地まで行かなければならない人類を案じるアボジの心情を感じ、愛するアボジを呼ぶならば、このアボジという一言は歴史的な全体のみ旨に通じる言葉になるということを、知らねばなりません。

 ところが今日皆さんがいつも祈祷するとき「ご在天のお父様」と呼んでいますが、世の中ではこのアボジの名を汚す人間が多いのです。アボジと呼ぶ言葉には、六千年の歴史の血の祭壇を通して往来した、先知先烈たちの叫びが込められていることを、知らねばなりません。ここには十字架の要所が宿っているのです。我々の先知先烈たちの無限の苦しみと、残酷な歴史的因縁が現れているという事実を、知らねばなりません。

 ですからこの創造主が、自分と切っても切れない因縁を結んでいるアボジであることを皆さんが認識したなら、そんな人間はサタンがどんなに強くても、奪ってゆくことができないのです。どんなに地獄の火が恐ろしくても、そんな人間は溶かすことができないのです。

 それではイエス様がメシアとなる原因が、どこにあったのでしょうか? 父母のまえに孝道を尽くすという信念が、人類の歴史を代身することができるように、イエス様は自分一身で人倫を捨てても天倫を代身するという覚悟を持って、万物を創造された神をアボジと受けとめ、即ち自分が滅んでも興っても自身の威信と体面を省みず、神を父して侍っていったからなのです。

 イエス様は自身の家庭において歓迎されず、自身の宗族から冷遇されたのです。また、洗礼ヨハネの一団から歓迎されず、さらにはユダヤ教から排斥され、イスラエル民族から逆賊として追われたのです。しかし歴史的に結ばれたアボジの怨恨の心情を解いてあげるべき使命を悟っていたので、人類のすべてが自分を見忘れ、またそれらから排斥されたとしても、ここに落胆しなかったのです。ここにイエス様が、メシアとなる資格があったのです。人類歴史上、誰もが持つことのなかった心情、即ち神の為に自身の骨肉親戚よりもより骨と肉に染みる心情を、イエス様は感じたのです。

 こうして神様は、四千年の歴史を終結させるべき立場ですべての人間が反対するとき、ご自分の威信を忘れてイエスを抱きかかえ、涙されたのです。四千年の歴史の中で、数多くの先知先烈たちが来ては行ったのですが、神の心情を真に知る人間は、イエス様ただ一人だったのです。

 即ち、イエス様は自身の人生路程において、人間のまえに天倫の法度を教えたのです。神はわたしの父という心情に、体が通じ、血が通じるそんな場で、五感を通して万象を見やるとき、即ち神を捜し求めてさまよう人間と天上の因縁を結ぼうとする万物を見やるとき、イエス様の哀しい心情はこれを語ることができなかったのです。


 神の真の子女-心情の相続者

 ですから今日の人類は、イエス様と神が四千年の歴史を総決算するために出会った、その一瞬の出会いの心情を感じなければならないのですが、これを今日の人類は考えてもみないのです。イエス様がゲッセマネの園で血の汗を流して祈祷された時、背反する民族、不信する祭壇を思って、世界の摂理を代身していったイエス様の哀しい心情は、これを語ることができないのです。

 このようにイエス様は教団と民族、国と世界が反対しても、神を愛する心がより大きかったので、人間として感じる心情、神様のすべての心情を感じることができたので、ゴルゴダの道を自信をもって行かれたのです。

 ですから今日皆さんも「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい(マタイ二六:三九)」と祈祷されたイエス様の心情と共に祈祷するなら、地獄に行く人間はいないのです。ところがイエス様がこのように神の愛の心情を持って現れたように、イエス様の愛の心情を知る人間が、当時一人もいなかったのです。それでイエス様はこの地上に、新郎・新婦という名詞を残していったのです。

 それではどうしてキリスト教の中に、マクダラのマリアの名が残ったのか? 千秋万代に彼女の名が伝えられてきたのは、何ゆえでしょうか? それはイエス様が彼女の名を、紹介されたからです。その当時、一人の卑しい女の身で三百デナリもする香油を、独身のイエスの足に注ぎ、頭を拭うという事を、誰が許したでしょうか?

 弟子たちまで嘲り、ユダが抗議し、皆なが反対したのですが、イエス様はどうして福音の報せにマグダラのマリアの名が記念されるようにしたのか? イエス様は愛する弟子、また多くの人々よりも、この一時のマグダラのマリアの誠精が、神様にご自分の誠精をすべて捧げると同じ条件になったので、このように語られてのです。イエス様が十字架につかれるや、従ってきた弟子たちはみな逃げてしまったのです。しかしマグダラのマリアとイエス様の母は、イエス様の墓を捜したのです。彼女らにも家庭と夫があって、固有の旧約思想を中心にしたユダヤ教の風習がありました。ところがこのような事をすべて度外視して、即ち自分の社会的な威信や体面を考えないで、死んだ独り身のイエスの墓を捜してさまよったのです。それでマグダラのマリアは、イエス様に出会ったのです。

 それでは天上の審判は、どこで決定されるのか? 皆さんが天の為の功労と苦労が多いからといって、誇るのではありません。それによって決定されるのではありません。ただ神の心情とイエス様の心情が、皆さん自身の体に体恤されて結実して、それが神様やイエス様と切っても切れない因縁となっているものだけが、永世不死の条件になるのです。

 これを考えてみるとき、今日全人類はどのようにしなければならないか? 神に通じる真理の御言を追究し、霊的な体験を追究することも良いのですが、神の心中深くに留まっている愛の因縁に結びつけ、イエス様の心情と愛の因縁に結びつけなければなりません。そんなときに皆さんが、イエス様の新婦、神の息子・娘として立つことができるのです。 ところが今日我々は、悲しい人間たちです。大韓民国三千万民族が、イスラエル民族にならねばならないのですが、そうはなっていないのです。この社会に教会がどんなに多くても、神の教会がなく、信じる人間がどんなに多くても、神の息子・娘がいないことを知るのです。それゆえ今、この地上に何が出てこなければならないのか? この民族を生かす神の息子・娘が出てこなればなりません。神の教会がなければなりません。神の民族がなければなりません。従ってこのような涙の道、捨てられる道で神の息子になることができる道が開かれたなら、我々はここに感謝しなればなりません。

 イスラエル民族が一つの民族を建設するために、エジプト苦役の四百年期間に天を中心とした一つの標準と理念を立てて、民族が団結して変わらぬ信仰の期間を経た後にこそ、初めて所望の一日を迎えることができたように、今日皆さんもこのような立場に処しているのです。

 また今日皆さんはエジプトの地のような、そんな地で生きているということを骨身に染みて感じてみなければなりません。

 それゆえ今皆さんは、選ばれたイスラエル民族を蔑視したパロ宮中に対して、敵愾心を持って闘ったモ-セの心情を抱く人間にならねばなりません。一日に決心した心を、ミデアンの荒野四〇年の路程をさまよっても、変わらなかったモ-セの心情を、我々は持たねばなりません。

 三代父母に対する責任

 それでは今皆さんが、このような長い期間を耐えてゆくならどうすべきでしょうか?

 皆さんの何かの真理、何かの運動、何かの主義をもってしては駄目なのです。皆さんは天の心情を代身して、民族を望み見なければならず、イエス様が民族と教会の為に、ユダヤの国が滅んだ事実を精算する為に、祈祷されたその心情を持たねばなりません。こうしてユダヤの国の初代教会と同じく、手に手を取って自身の立場と威信を忘れて、天を代身してゆかねばなりません。こんな時に、この民族は生きるのです。

 イエス様は反対するイスラエル民族に対し、その時は呪咀したい心があったのですが、四千年間というもの耐えてこられ、摂理された神の心情を感じるがゆえに、むしろ彼らの為に福を乞うたのでした。即ちゲッセマネの園で、あるいはカルバリの山頂で、または十字架上で、怨讐たちのために涙を流して祈祷されたのでした。

 当時ロ-マの市民権を持っていて、その国のすべての慣習や法度を固く守っていたパウロが、どうして自身の名誉と信ずるユダヤ教を捨て、自身の知識もみな捨て、ユダヤ教から追われる立場に立ったのでしょうか? それはパウロがイエス様の偉大なる愛の心情を知ったからです。こうしてどこにも頼る所がなく、身を横たえる所もなく、世の荒波にさらされながら一身の安楽を忘れ、イエス様の御言を伝播していったのでした。

 パウロが使徒の職分を果たすことができたのは、彼の人格のゆえではありません。彼が他の人が持っていない、即ち神の愛を代身して現れたイエス・キリストの心情に通じる一つの基準を持っていたので、使徒パウロになることができたことを、皆さんは知らねばなりません。どんなに博識で、お金が沢山あっても、それをもってしては駄目なのです。それゆえ今、皆さんもこんな天的な法度で歩んで生き、心と体がそこに向かって動かなければなりません。

 我々は天と地と人間の、三代の父母の因縁から外れることができません。それではこの三代の父母の恩に何をもって報いるのか。今までの人類・民族・民はみな滅びました。こんな理念を捜し立てるべき摂理が残っているので、今日世界的な物質の運勢が人間に訪れてくるのです。物質が人間を打つときが近づいて来ました。なぜならば、人間が自分の位置を失って万物のまえに犯した罪があり、これを終わりの日に世界と人間のまえに蕩減復帰しなければならないみ旨があるからです。それで今日人間が、世界的に物質的な苦痛を受ける立場に処しているのです。それゆえこの物質的な苦痛を踏み越える人間が、出てこなればならないのです。そして初代教会的な神の愛に通じる使徒たちが、出てこなければならないのです。

 今日先進国家であるアメリカも、民主主義的な内容を持って動いているのですが、物質万能主義だけを叫ぶ立場になれば、物質にやられてしまうのです。この物質を全人類の為に使用する方法を考えないと駄目な時にきているので、アメリカのような国では他の国のために援助するのです。ところが援助しても、裏面で自分たちの利益を得るために援助するなら、これは天倫が許さないのです。

 このような理念を成すために、人類は民主主義の経済社会を経て、本然の物質文化、経済社会を指向していっているのです。従って人間が物質の価値を主張して、本性の理念を代身することができる実体の基準の者となって、物質と人間と天の三者が同席する型を持たなければならないのです。


 天国の民の伝統

 今日のすべての信仰生活を推し量って見るとき、我々は物質に隷属する信仰観念を持っていては駄目です。もしもこのような宗教団体があったなら、天が良心的な人々を動員して、そんな信仰観念を修正するのです。そんな時が近づいて来ています。また天倫を忘れて自分の正当性を主張する人々の意識も、是正すべき時に来ているのです。

 地球も一つの存在ですから、意識があり、存在の目的があるのです。そして地球も被造物ですから、一人の主人がいるのです。その主人が、正に神様なのです。それで神がおられる限り、一つの理念の下に動くことができる世界は、必ず成就するのです。

 また人類のすべての思想を支配することができる、統一的な宇宙観が出なければなりません。神の実存性を中心とした理念が、人間世界を支配できるようになり、人間と父子の関係を結んでおかなければ、神は地球と人類の父母としての責任を果たさないことになってしまうのです。それゆえ万物も一つの中心のために動いているのであり、地も宇宙の理念を中心にして動いていて、人間もやはり一つの主義を中心にして動いてゆく、その日が来てこそなのです。

 今日数多くの人々は「私はこんな人間だ」「私はこんな国の民だ」と自慢しています。今日アメリカ人は、大きな国の民であると威張っています。しかしこれをもってしては、永遠ではありません。アメリカは自分の国の為に生きていますが、他の国の為に生きなければならないことを知らないのです。その昔、ギリシャ文明がロ-マの為にあったことを知らなかったようなものです。ロ-マも自分の国の文明が、イギリスを経て現代文明の為にあったことを知らなかったのです。ですから今日アメリカ国民は、自分の国の為に働くことは勿論ですが、他の国の為にも働くべきことを知らねばなりません。ところが大部分のアメリカ人はこれを知らないでいるのです。そんな中でも一部の人々が、自分たちの為だけに生きるのではなく、天倫の為に働かねばならないという理念が立っていることは、不幸中の幸いです。

 それゆえ今皆さんは天性を代身して、世界的な摂理のまえに新たに武装して行かなければなりません。今までは物質文明が人間を支配し、人間の理性に通じる主義が世界を支配してきたのですが、それで終わってしまうのではなく、天性に通じ、イエス様に通じ、天的な理念に通じ、神の心情に通じることができる一つの主義が、この地のどこかに現れる時が必ず来るのです。

 ところで今日、我々はどんな主義も持たず、我々の国は世界的な先進国家でもありません。しかしこの民族が、最後に残る天宙的な神の心情を代身し、神のものとして捧げることができ、全人類が頼み希望するもの、神主義として現れる理念を感じることができる所に立ったとしたら、皆さんは気を落とさないでください。

 今日統一教会に集まる皆さん、皆さんはたとえこの小さな教会に座っていても、これを広げれば世界を代身し、さらには天上を代身することができるという心情を感じるなら、問題は解決されるのです。何であっても解決できるのです。皆さんは神のみ旨を代身する子女ですから、神をこの世界の主人として侍る天国の民になるというのです。そして皆さんはいつ、どこでもアボジのみ旨に外れないことを、肝に銘じなければなりません。

 さっき読んだ聖書の御言の中に、こんな御言がありました。「人がその友のために命を捨てること、これよりも大きな愛はない」そして「怨讐のために祈れ」とされました。

 イエス様が主張されたことは、我々が立てるべき法度と、永遠であるアボジの民族が誇るべき伝統的な風習です。そしてイエス様が主張された道理は、その当時にのみ限られたことではなく、人類を復帰させるにおいて必要な天倫の法度であったのです。従って今、皆さんが神の息子になり、神の娘になるには神の愛を感じ、神の愛を所有しなければなりません。そうするためには、神様が六千年を耐えて愛の息子・娘を捜し求め、今まで闘ってきたのですから、皆さんも闘ってゆかなければならないのです。


 聖霊の九つの性禀

 皆さん自身が天のものとなりたいなら、まず涙を流される神の立場に立ってみなさい。神様が切ない歴史過程を経てこられたことを感じて、皆さんも涙を流すのです。聞いているこの耳もやはり同じです。食べている一杯のめしも通らないのです。このように切ない天の心情に通じることができる皆さんになったなら、この民族は生きるのです。神様は正にこのような人間を捜し求めておられることを、皆さんは知らねばなりません。

 聖書には、聖霊の九つの実に対する記録があります。「愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制(ガラテヤ五:二二)」を言います。この聖霊の九つの性禀、これが神が主張し、神が建設し、神が立てようとされる御国の標準であり、その社会の制度であり、生活の理念であって、これを皆さんは心身に染みて感じたことがありますか。もしも皆さんにこのように染みる心があったなら、イエス様がエルサレムに向かって、石を抱えて言いたかったことを泰山のように口を閉ざして耐えた、その心情を感じるのです。 今日皆さんは統一教会に入っていますが、皆さんのための統一教会を願わないでください。今日我々があるのはこの民族の為であり、今日この民族があるのは世界の為であり、世界があるのは天の為であることを皆さんは知らねばなりません。また皆さんがこのみ旨の為に苦労し、祭壇の前に何かを捧げるものがあっても、神はそれよりもこのみ旨を案じてくれることを、より喜ばしく思われるということを知らねばなりません。

 イエス様に平安な休み所を用意し、あるいは山海の珍味を並べた宴を催すよりも、イエス様の心に代って案じ、世界を抱えて涙を流すことを、神もイエス様もより喜ばれるという事実を、皆さんはまた知らねばなりません。

 イエス様は十二弟子が自身を敬うことよりも、自身のことをすべて忘れても、ユダヤの民をより愛することを求めたのです。イエス様の三〇余年の生涯の路程がそうであり、モ-セもやはりそうであり、神もやはりそうであったのです。

 それゆえ孝子・忠臣・烈女たちにならねばならない皆さんは、天のまえに弁明しようにも弁明できない心苦しさを感じなければなりません。また自分が何かをやったと主張できない自身の不足なることを感じ、天性のまえに恐れ多いことを感じなければならず、自分が自分のものではなく、アボジのものになるために闘ってゆかねばなりません。もしもこのような皆さんになっていったなら、歴史は民族を経て、国家・世界を経て、天宙主義時代に越えてゆくのです。

 今日人間が主導的な役割をしようとしているように、天が主導的な行為をするときが来ないと、誰が言い切れるのか! 天がある限り、天が主導的な行為をするときが必ず来るのです。今日まで人倫的な一つの基準が立っていないので、天倫が干渉できないのですが人倫のまえに天倫の威信が立つ日には、その命令と法度に人間はとうてけれることはできません。

 時はこのように過ぎているのに、人間は知らないのですから、いま一度反省して見なければなりません。こうして神の愛の関門に自分が通過して「神を絶対に信じます」とする自信ある実力者になって、永遠なるアボジに侍る真の息子・娘にならねばなりません。




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2020.08.04
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韓国ニュースからです。

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2020.06.27
カテゴリ:カテゴリ未分類
韓国・世界日報

https://news.v.daum.net/v/20200627030945496

韓日関係正常化のための韓日平和連帯発足

入力2020.06.27。03:09


日本軍慰安婦問題で触発された韓日関係が悪化の一途の状況で民間レベルの関係改善のための活発な動きが目を引く。

韓日平和連帯は28日、世界平和統一家庭連合釜山本部で韓日平和連帯の発足式を持つと26日、明らかにした。

韓日平和連帯は「遠く近い隣人」日本との平和連帯を通じて韓日海底トンネルの建設などの経済交流はもちろん、北東アジアを越えて世界の覇権を狙う中国を牽制するために発足する。

バクギルナム日韓平和連帯釜山共同準備委員長は「ますます韓日関係が悪化しており、一部の政治家はこのような状況を国家利益を前面に出して利用している」とし「巨大な中国を北東アジアピョンファグォンに軟着陸させるために、日韓間の連携が非常に重要だ」と強調した。

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2020.04.27
カテゴリ:カテゴリ未分類
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韓鶴子総裁御言選集 - 目次

韓鶴子総裁御言選集 1巻
 真の父母様を中心とした一つの世界
  第1部 真の父母としての韓鶴子総裁の生涯
  第2部 国家の復帰のための世界宣教戦略
  第3部 伝統の伝承と相続
  第4部 世界平和実現の課題
  第5部 二世教育と未来の人材の養成
  第6部 孝情天苑を中心とした理想天国のモデル
  第7部 天一国安着のための祝福家庭の責任

韓鶴子総裁御言選集 2巻
 理想家庭と平和世界のモデル
  第1部 真の愛運動と女性の役割
  第2部 理想家庭と平和世界のモデル

韓鶴子総裁御言選集 3巻
 天一国と私たちの使命
  第1部 平和世界に向かう道
  第2部 神様と人類の希望 真の父母
  第3部 天一国安着のための私たちの使命

韓鶴子総裁御言選集 4巻
 愛しき君よ 花咲かせたまえ
  第1部 真の父母としての韓鶴子総裁の生涯
  第2部 国家の復帰のための世界宣教戦略
  第3部 伝統の伝承と相続
  第4部 世界平和実現の課題
  第5部 二世教育と未来の人材の養成
  第6部 孝情天苑を中心とした理想天国のモデル
  第7部 天一国安着のための祝福家庭の責任



韓鶴子総裁御言選集2 - 理想家庭と平和世界のモデル

​第1部 真の愛運動と女性の役割​

5. 理想世界の主役となる女性

*このみ言は、1992年5月11日から6月2日まで開催された「世界平和女性連合」韓国)21ヵ所市道大会で宣布されたものである。

尊敬する内外の貴貧の皆様、ならびに「世界平和女性連合」会員の皆様。きょう、このように各界の女性指導者の皆様が満場の盛況を呈してくださる中で、世界平和のための私の所信の一端をお話しできますことを、この上ない光栄と存じます。

きょう、私がお話し申し上げる題目は、「理想世界の主役となる女性」です。今日の時代は、正にイデオロギーの障壁や言語、文化の違い、また人種の葛藤を越え、一つの世界へと突入する重要な転換期を迎えています。私たちは、今やこの地上からあらゆる戦争と抑圧と搾取がなくなり、ただ真の自由と平和と繁栄の未来だけが約束されることを念願しているのです。

これまで、私の夫である文鮮明総裁が主唱してきた「神主義」の理念は、過去の力だけに基づいた男性たちの激しい反対と迫害を克服し、脱冷戦時代の門を開く決定的な役割を果たしました。今後は、和解と協力を指向するこの歴史的な転換の時代に、私は「神主義」を基本とした永遠の平和世界を建設するための大原則を提示するに際し、未来の世界を開拓していくべき女性たちの目標とするために、文総裁が発表した「頭翼思想」を、いま一度皆様にお伝えしたいと思います。

本来神様は、喜びを得るために、愛する相対を造られました。彫刻家は一つの作品を作るために、昼夜の別なく若さを燃やしながら全力を投入しますが、そのような心はいったいどこに由来するのでしようか。それは、喜びを味わうために愛の対象を創造された神様の心に似たのではないでしようか。存在世界を見ると鉱物界、植物界、動物界、そして人間世界までも、すべてペアになっていることが分かります。なぜ、すべてがペアで存在しているのか御存じですか。それは互いに作用するためなのです。

鉱物界ではプラスイオンとマイナスイオンが作用します。元素同士でも、互いに近づけたからといってすべてが結合するわけではありません。相対的要因が合わなければ、神様であっても結合させることはできません。それとは逆に、互いに相対的要件が合うときは、神様も結合をやめさせることはできません。次元は低いのですが、このように鉱物界の作用も、愛の創造理想型のモデルになるように造られたのです。

ですから、真の愛の本質を中心とするときには、神様の心情と人間の心情と万物、動物界までも互いに通じるようになっているのです。その境地に入れば、岩とも通じるのです。皆様がそのような境地に入ってみたことがないのが問題です。深い神秘の境地に入ると森羅万象のすべてが友になるのです。喜悦にあふれた愛の境地に入って自分が笑えば、すべての万物と神様までもが和動するのです。

皆様。愛する夫、愛する妻がいらっしゃるでしよう。どれくらい愛していらっしゃいますか。愛する妻を、1000億ウオンのお金をあげるからと言われて、そのお金と取り替えますか。心から愛する夫を、天地のすべてをあげるからと言われて取り替える妻がいるでしようか。実は、男性は女性のために生まれ、女性は男性のために生まれたのです。すべてがために生きようとする真の愛のためなのです。男性と女性が陰陽の調和によって愛の理想を成就するために、神様がそのように創造したのです。真の男性と女性を通してこそ、統一された真の愛を見いだすことができるのであり、神様と人間も真の愛を中心として統一が成立するのです。

結婚というものは、男性と女性の絶対価値である真の愛を横的に連結したのちに、神様の縦的絶対価値である真の愛によって占領されるのです。このように絶対者であられる神様は、真の愛を絶対価値の中心として最高の貴い位置に立てたのです。

真の男性と真の女性と神様が真の愛を中心として完全に統一されるところに、私たちの人生観、宇宙観、神観など、あらゆる問題に対する解決の糸口を見いだすことができるのです。神様の真の愛は、投入してはまた投入し、与えてはまた与えて忘れる愛なのです。与えたという記憶が残っている限り、愛は無限に回ることはできません。愛は無限に運動するものなので、与えたことが記憶にとどまってはいけないのです。続けて与え、また与えても、記憶に残っていないがゆえに流れるのです。

それでは、天地と引き換えることのできない価値のある愛を、誰が皆様に与えてくれたのでしようか。皆様の父母が与えてくれたのです。言い換えれば、根本に入ると神様が与えてくれたということです。神様はこの無限の価値をもつ愛を、父の立場で与えてくださりながらも、それをお忘れになります。その愛を受けた息子、娘たちが天を裏切るようなことがあったとしても、さらに与えようとされるがゆえに、そのような果てしない神様の愛のお陰で、きょう皆様もこの場に参加できるようになったのです。

ですから、真の愛が行く道とは、施しを受けるための道ではなく、ために生き、犠牲となる道なのです。ですから、神様御自身も愛の相対を創造されるときは、神様御自身がために生きる立場に立たれて、御自身が所有しているすべてを100パーセント投入しては、さらに投入したいと思うのです。このような心をもち得る本然の中心存在が、天地を創造された神様なのです。

ですから、真の愛は、ために生きることにおいても、100パーセント、1000パーセント、すべてを与えて真空状態になるのです。空気でいえば、絶対低気圧が生じると自動的に高気圧の循環運動が起こるのと同じことです。ですから、絶対的にために生きようとするところには無限の力が発動するのです。

親愛なる「世界平和女性連合」の会員の皆様。「女は弱し、されど母は強し」という言葉があります。女性自体はこの上なくか弱い存在でも、女性が母として愛の主体的立場に立ったり、または妻や娘として愛の中心的役割を果たしたりするときには、女性はこの上なく強くなるのです。なぜならば、女性は母、あるいは妻や娘として愛の主体的立場に立って、100パーセント相手のために与えたならば、その空白を神様の愛が満たしてくれるからなのです。神様の愛の能力が発動し始めるのです。

だからこそ女性だったとしても、神様に似て燃えるような愛の主体的立場に立つようになれば、その愛の能力は家庭を生かし、国を生かし、世界を生かす驚くべき力として現れるのです。柳寛順のような16歳(数ぇ)の少女が、国全体に独立運動の波を起こさせたことは、正に国を生かそうとする熱き愛国の衷情が起こした奇跡だったのです。

神様も、このように人間に対し、ために生きて与える愛の主体的な立場に立たれ、与えてはまた与えようとなさる本性がその作用を続けることによって永存できるのです。ですから、真の愛の道には永生の論理が成立するのです。神様にとって真の愛の同伴者として造られた人間が、神様の願いどおりに成熟し、絶対不変である真の愛を神様から相続していたなら、人間世界には、根本的な統一の歴史が展開されるのであって、戦争や血を流すような悲惨な歴史はなかったはずです。

真の愛を中心として心と体が一つになれば、皆様は神様御自身の愛の同伴者となり、永遠の対象になるのです。そればかりでなく、神様の永遠の愛を相続する人になるのです。愛の属性には、相続権があり、同居権があり、また同参(一緒に参加すること)権があります。たとえ愛する夫が大統領で、たとえ妻が小学校すら出ていなかったとしても、愛する夫婦の関係になれば、夫のものは妻のものとなり、昼夜の別なくいつでも同居できることはもちろん、同参する権限もあるのです。

愛にはこのように相続権、同居権、同参権という偉大な3大属性があるので、神様の絶対的な愛、不変的な真の愛と一致した立場に立つようになれば、神様のいらっしゃる所に私たちも加担することができ、いつでも同居、同参できる権限をもつようになるのです。

そうなれば、目を閉じなくても神様を見ることができるようになり、涙を流すようになるのです。神様の悲痛な心情を体恤した人は、道を歩いていても立ち止まって痛哭するような体恤の世界があるのです。堕落したこの世の中ですら、母の愛は、もし我が子がよその地で不慮の事故に遭えば、直感で分かるような場合がたくさんあります。寝ていても名前を呼び、大声を上げて目覚めるのです。

もし、神様の本質的な真の愛、千年、万年をために生きては、さらにまたために生きようという、そのような真の愛を自分自身の心と体に100パーセン卜吸収できる内容をもつようになるとき、心には神様の真の愛の根が生え、神様の感じるすべてのことに通じるようになり、体は自動的にそこに共鳴するようになるのです。心の世界の真の愛を中心として共鳴体になるように創造されたのが体なので、心と体の統一世界を成し遂げるためには、神様の本質的な真の愛を回復しなければならないという課題が残っていることを知らなければなりません。

このような真の愛に共鳴する論理を中心として見ると、私たち人間がそこに一体化して共同一体圏に入れば、「神様の生命が私の生命であり、神様の血統が私の血統であり、神様の所有である被造世界が私の被造世界である」と言うことができるのです。したがって、天下を抱く父母の心をもって、天国に入籍するようになるのです。

それでは、愛が先でしょうか、生命が先でしょうか。それは愛が先なのです。人間の生命は愛によって、愛の理想を中心として宿るものなので、人間の生命の本質は正に愛なのです。ですから、愛を本質として生まれた生命は、ために生きるのが天理であり、また人間は、生まれた時から他のために生まれたと言えるのです。「私は自分だけのために生まれた」、「すべてが私だけのために存在しなければならない」ということであれば、決して愛の概念は成立しません。相手のために与え、他のために犠牲になろうとするところから、愛は誘発され始めるのです。家庭のために犠牲になれる人は、家庭の愛を誘発させることができるのです。

他のために犠牲になれば、すべてを失うかのように思えますが、それは全く反対です。むしろ愛の主体となり、すべての主人となるだけではなく、さらに高い次元に飛躍するようになるのです。級友たちのために犠牲になり、奉仕する人は、そのクラスの委員長になるのであり、村のために犠牲になる人は、その村の指導者になるのです。ひいては国のために犠牲になり、奉仕する人は、その国の主人になるのです。

愛というのは、より大きなもののために犠牲になればなるほど、その愛の等級が高まっていくのが原理です。より大きなもののために犠牲になれば、それに吸収されていくのではなく、その大きなものの中心の場に立って新しい次元を迎えるようになるのです。キリスト教がイエス様の復活によって出発できたのも、他のために犠牲になりなさいと教えているからなのです。

イエス様はゲツセマネの園で、「わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」(マタィ26:39)と祈祷され、罪なく死んでいく十字架上においてさえも、自分を槍で刺すローマ兵に対しても、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」(ルカ23:34)と神様に切願したのです。これが正に神様のようにために生き、犠牲となって生きる生涯の標本であり、復活の歴史をつくり出す起源となり、キリスト教の核心的伝統思想にならなければならなかったのです。他のために命までも捧げ、犠牲になるとき、さらに高い次元の命を得るようになるのです。

親愛なる女性連合の会員の皆様。私は1991年11月30日、夫と共に北朝鮮を訪問し、金日成主席や他の多くの指導者たちと会ったことも、考えてみれば命懸けの冒険でした。

皆様もよく御存じのように、文鮮明総裁は、彼ら北朝鮮の指導者たちが最も怨讐視してきた宗教指導者であり、「国際勝共連合」の指導者だったがゆえに、彼らは私の夫を葬り去ろうと国内外においてあらゆる工作をしていました。そのようなところに、ただ神様だけを頼りに北朝鮮に入っていき、「『主体思想』では統一できない。『神主義』でのみ統一は可能である」と主張できたのは、ただただ心から彼らを生かしたい、ために生きたいと思う真の愛の心があったからです。それにまた、祖国統一の門を開くためならば、いかなる犠牲も甘受しようという、殉教者の精神をもっていたからなのです。「生きんとする者は死に、死なんとする者は生きん」という言葉を実践されたのです。

真の愛こそ、地獄までも占領できる土台となるのです。皆様が真の愛を所有するようになれば、すべての悲しみや苦痛も、真の愛の中では喜びに昇華されます。言い換えれば、この個人的な権力、知識、財力などをもって主張するそれ以上の絶対的権限として残したいと思うものが、人間の本性の欲求である真の愛なのです。

このような観点から見ると歴史を通じて、人間を救おうとされる神様の戦略戦術と、これに反対しようとする悪魔の戦略戦術は正反対に行われてきました。神様の戦略戦術は打たれて取り戻してくる作戦であるのに対して、サタンは先に打って奪われていくのです。第一次、第二次、第三次世界大戦を考えてみてください。先に打ったほうが減んでいきました。しかし、神様は、裏切られ、奪われたからといって、その人の命を奪って取り戻してくるわけではありません。神様は宇宙の主人として堂々と現れ、打って取り戻してくる能力をもちながらも、打たれてあげるのです。

父母は犠牲になることによって、不孝者を悔い改めさせる道を行くのです。神様は、天理の公道を立てるために自らサタンを訪ねていき、主人が来たらああしなさい、こうしなさいと教えてくださるのです。しかし、歴史的に見ると、教えて導こうとして行った主人が、むしろ打たれたのです。しかし、打たれたのちはどうなるか御存じですか。孔子も多くの迫害を受けました。イエス様は、ローマ帝国に、罪人として命を奪われました。みな歴史が過ぎたのちに、聖人の名がつけられたのです。在世中に聖人になった人はどこにいるでしようか。

このように、彼らは、その当時においては悲惨に死んでいきましたが、歴史の時代を経ながら、少しずつ上がっていくのです。打たれたことへの損害賠償を請求するのに、10年、20年で終わらせてほしいとは言いません。期間が延びれば延びるほど、世界を完全に占領するようになるのです。数千年の間、耐えに耐えて、損害賠償額をすべて計算してみると、銀行に預金したお金に利子がどんどんと付いて、のちにはその銀行まで買い取っても余りあるお金になるのです。

神様は待ちながら訪ねてこられる方です。打たれて取り戻してくる戦略戦術を取られる方なのです。悪なる世の中が全面的に迫害して破壊するなら、天運が助けてくれて、すべてを越えさせ、跳躍させてくれるということなのです。神様は私と夫にも、そのような多くの体験をさせてくださいました。迫害を受けるというのは、怨讐の所有権を相続する、また一つの秘法なのです。このようにして神様から愛される人は、常に天運の保護を受けるのです。殺してしまいたいような怨讐がいても、神様はなぜ罰を与えないのかというと、それでもその人を愛する父母や妻、息子、娘がいることを御存じだからです。神様も涙の谷間を越えてこられたお方であるがゆえに、その怨讐を誰よりも愛する父母や妻、そして子女たちの心情を体恤されるとき、むち打つことができないのです。

そのような神様の心情を本当に感じるようになれば、怨讐を打つことができるでしょうか。それを思うと、逆に怨讐を助けてあげなければならないのです。そうしてこそ、天理の大道である愛を中心として、一つに抱こうとするその大道の前に私たちは近づくようになり、そこに天地が振動しながら、神様も涙を流すようになるのです。神様も御自身に似たと喜ばれるのです。

このような立場で見つめられる神様であるがゆえに、「怨讐を愛しなさい」という言葉が理解できるのです。そのような力が生まれるところは、知識でもなく、お金でもありません。権力でもありません。真の愛のみにあるのです。ですから、皆様は愛する息子、娘、父母のために、南北が敵視するその峠を越え、ために生き、犠牲となる真の愛をもって統一を願わなければなりません。

私たちが願う南北統一は、あくまでも怨讐さえも愛する、ために生き、犠牲となる真の愛の精神によってのみ可能です。父母が子女の面倒を見るように、兄弟同士がいたわり合うように、北朝鮮の同胞の痛みを自分の痛みとして分かち合い、神様の変わることのない真の愛の中で共に会えるようにしなければなりません。真の愛を中心として、神様とアダムとエバが互いに会い定着できる交差点は、90度を形成するのです。なぜならば、神様と人間を縦的に連結する真の愛の道は、最短距離である垂直以外になく、完成したアダムとエバを夫婦として連結する真の愛の道は、横的で水平なので、正にこの垂直と水平が出会う点は、自動的に90度の角度になるのです。そして、この点は絶対的な価値をもった位置として、ただ一つしかない真の愛を結ぶ中心点であり、モデルとなる点なのです。

しかし、アダムとエバが成熟する前に、天使長のゆえにこの角度がねじれてしまったのですが、これが正に堕落なのです。大工が家を建てるとき、水平を先に見るでしょうか、垂直を先に見るでしょうか。水平を先に見るとすれば、それは既に垂直を認めているのです。同じように、「女性」という言葉も、男性が先にあってこそ出てくる言葉なのです。また「男性」という言葉も、女性を先有(前提)条件として出てくる言葉です。「上」という言葉は「下」を考え、「右」という言葉は「左」を先に認めて語る言葉なのです。したがって、「横的」という言葉は、「縦的」という言葉を前提としなければなりません。

このように先有存在圏を認めるということは、ために存在する相対圏を認めることであり、ここにおいて真の愛は、相対のために生きようとする目的をもって成立するものなのです。

それならば、神様と本然のアダム、エバはどこで出会うのでしょうか。神様の愛と真の父母の愛、神様の生命と真の父母の生命、神様の血統と真の父母の血統が結合する所は、垂直と水平を連結した90度の角度以外にありません。この点が真の愛を成立させる公式点なのです。

神様は縦的な真の愛の父母であられ、アダムとエバは横的な真の愛を中心とした父母なので、このような二つの父母の愛と生命と血統を受け継いで生まれた自分の心は縦的な「私」となり、体は横的な「私」となるのであり、この縦的な「私」と横的な「私」が統一体になるとき、人間は永遠な神様の「真の愛の同伴者」となるのです。​

神様は真の愛と真の生命と真の血統をもっていらっしゃり、私たちもそこから出てきたので、私たちの中にも真の愛があり、真の生命があり、真の血統がなければならないのです。人間は、神様の真の愛を中心として父子一体の関係をもって生まれたので、神様の心と体が真の愛によって自然に統一されているように、私たち人間の心と体も真の愛によって自然に統一されなければならなかったのです。

(※1992年のお母様の講演文からも「天の父母様」のことが既に語られていたものでした。「夜の神様、昼の神様」の結婚式です。)

ところが、サタンの愛と生命と血統を受け継いだ堕落人間は、サタン側の体と神側の心を分ける一線に立って、絶えず闘っているのです。このように今日、「私」を中心とした愛は、心ではなく体と関係があります。この体が悪魔の舞踏場になってしまったというのです。悪魔の錨綱が掛けられた杭のようになってしまいました。心は天に代わるプラスの位置にあるのですが、体がまた別のプラスになり、心をもてあそんでいるのです。これを是正しなければならない道が、私たちの生涯にわたる義務なのです。これを御存じであられる神様が、修理工場としてつくったのが宗教です。

ですから、宗教は断食や犠牲、奉仕をすることによって、体を心に屈服させる教育をするのです。言い換えれば、体の欲望を弱化させ、心がすることに従えるように、3年から5年以上かけて、習慣性を伝授するためのものが信仰生活なのです。また、絶えず祈祷することを強調します。

神様は縦的な立場にのみいらっしゃるので、心が通じなければ活動ができないお方です。サタンはあらゆる所で活動しています。360度いつでも活動できるので、サタンの活動に負けるようになっているのです。

心は垂直の位置にあるので、一つです。垂直は横的基盤ではないので、横的基盤に出ていくことはできません。そのため、心は環境に引っ張られやすいので、垂直の立場において精誠を尽くして祈祷し、3倍、4倍の強い力を心に受け、体を自由に制御し、3年から5年かけてそのような習慣を身につけなければならないのです。この二つの方法以外に修理できる道はありません。

そのような修養を行う宗教の門を通過しなければ、本郷の人間の道を見いだすことはできないのです。哲学の道、知識の道、良心の道だけではできないのです。縦的な心と横的な体が一つにならなければなりません。

ところで、人間の心と体が神様の理想と一つにならないようにした、その堕落の起源は何でしょうか。聖書には、善悪の実を取って食べたからだとあります。それでは、その善悪の実を取って食べたあと、どこを隠しましたか。口を隠しましたか、手を隠しましたか。違います!下半身を隠したのです。ですから、サタンを中心として結婚をしたのです。これが悪の血統を繁殖する起源になったのです。

しかし、考えてみると、人間にとって真の愛と真の生命と真の血統の根源値は、正に愛の器官です。堕落によって、この神聖であるべき愛の器官が、天理を破壊した凶悪な宮殿になってしまいました。悪の本拠地になってしまったのです。ここに偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統が植えられてしまったというのです。

10代の未成熟な時に、人間始祖アダムとエバが堕落しました。そのようにして悪を植えつけたので、歴史的に人間の世界に悪の血統が広がっていったのです。したがって終末の収穫期になれば、全世界的に青少年たちが、アダムとエバのように愛の倫理を破壊し、退廃的な風潮へと流れていくのです。このような現象を見ながら、サタンの全権時代がこの地上に到来したことを知らなければなりません。そしてこの時こそ、神様が鉄槌を下す審判の日になるのです。

歴史的に見ると、神様のみ前に淫乱の都市や淫乱の国は滅びました。ソドムとゴモラが硫黄の火によって焼かれたのも、ローマが減んだのも、他の理由で滅んだのではありません。法度を守れずに淫乱に陥り、減んでいったのです。

アメリカ、ヨーロッパ、日本など、今日の世界の先進諸国を見てください。東西、四方に広がるフリーセックスと淫乱の波を誰が防ぐことができるでしようか。乱れた愛だけでは物足らず、末梢神経を刺激する享楽主義、麻薬や覚醒剤を求める無頼漢の世界になりつつあるのです。

それはすべて、肉体が死へと引っ張っていく道なのです。決して心の願う道ではありません。心は手を上げて痛哭しているのです。天理大道において人間を本然の始発地である神様の懐へと導いていくべき良心の使命と召命は、すべて失敗してしまったのです。

誰かが現れて、世界人類をこのような堕落の環境から救いの道に導かなければなりません。堕落してサタン側に立った人類は、野生のオリーブの木に例えることができます。その中でも、神様が分立させて探し出した人類は宗教圏ですが、それは神様の所有権の中にある野生のオリーブです。

ですから、神様が自由に主管できるのです。再臨主が来られれば、一遍に切って接ぎ木しやすいように準備してきたのです。そうして、野生のオリーブが真のオリーブとなり、本然の状態に返っていくのです。

ですから、宗教を信じる人も、本来の真の父を探さなければなりません。なぜなら、彼らは本来の真の父の生命の種を受けずに生まれたからです。言い換えれば、本来の真の愛を中心として、神様の血統に連結した真の息子、娘としての一体理想を果たせなかったのです。ですからメシヤが来なければならないのです。

皆様。メシヤとは何か御存じですか。メシヤは、真の父母として来られ、偽りの父母から生まれることによって植えつけられた偽りの根を取り除き、本然の形態を復帰し、サタンを追放し、皆が歓迎する自由解放の天国世界を創建しなければならない、そのような重大な責任をもって来られるお方なのです。

皆様。皆様が神様の愛、神様の生命、神様の血統を、そして真の父母の愛と真の父母の生命と真の父母の血統を受け継いだ息子、娘になれば、神様のように、皆様にも心と体が闘うことのない真の統一の起源が生まれるでしょう。そして、「私」の心と体が統一されたところから、永遠の平和の世界は出発するのです。

尊敬する「世界平和女性連合」の会員の皆様。私たちは、父母の心情を抱き、僕の体の道理を果たしましょう。私たちの汗は地のために、涙は人類のために、血は天のために流しながら、天地創造の大いなる主人でいらっしゃる私たちの父母の恨を解放し、一つの平和世界を建設する十字架を負い、救世の道へと前進しましょう。

私たちの目的地は世界の果てですが、私たちの出発点は、正に自分の心と体が真の愛を中心として一つになるところから始まらなければならないという事実を忘れないでください。そして、自らの家庭が永遠の幸福と真の愛の定着地になるときに初めて、私たちが願う理想の国、理想の世界が結実することを肝に銘じなければなりません。

私たちの「世界平和女性連合」の運動は、遠からず世界万民が参加する「世界平和家庭連合」の運動に昇華、発展し、五色人種(すべての人種)が永生を謳歌しながら、子々孫々がために生きてはさらにために生き、与えんとする真の愛の世界を建設するでしょう。この歴史的な聖業に私たちは決起し、先頭に立つことを誓いましょう。皆様と皆様の御家庭に神様の祝福が共にあることを祈りながら、私のお話を終わります。ありがとうございました。





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Last updated  2020.04.27 23:42:51
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2020.04.08
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韓国ニュース検索からです。

韓鶴子統一教総裁自叙伝「平和の母」ベストセラー上がる





韓鶴子統一教総裁の自伝「平和の母」が永豊文庫ベストセラーになった。
 
統一教会側は、国内のいくつかの集団の非協力的な態度でコロナ19が深刻化したこの時期に韓鶴子総裁の自伝がベストセラーに上がったと述べた。また、自伝には、その中に、宗教と国家を越えて全世界を歩き回って平和運動を広げてきた平和運動家であり、女性の指導者韓鶴子総裁の人生の詳細描写と説明した。イ・スンハン記者


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2020.02.04
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https://youtu.be/fcIQRqot5TY



晩餐会のあとはリトルエンジェルスの公演です。





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ワールドサミット2020開幕

https://news.v.daum.net/v/20200204113848036







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2020.01.04
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2019.12.28
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【X JAPAN】1億円のクリスタルピアノの音に驚愕www他のピアノと響きが違う!wwww【Forever Love】




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Last updated  2019.12.28 06:11:53
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2019.12.19
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​相も変わらずのシムソン(恣意存)氏のチンプンカンプンな記事更新の「夜昼の神様論」。
2019/12/18 10:14公開記事は以下。


前回私からの「シムソン氏曰く「神様のオモチャとして人間を創造された?!」」で取り上げた矛盾点は未だそのままだ。
また、ほかの矛盾点も時間の都合で書くことが出来なかったが、


上図から受け留められることは、
夜の神様がアダムの体に臨在して「直接に」働いておられるということだ。
次に、「聖霊」も実体を持たないエネルギー、「聖霊の働き=万有原力」のような捉え方だ。

第一番目を考えてみたときに、統一原理の「間接主管圏」と「直接主管圏」に引っかかる矛盾点がここにも出てきている。成長過程における「人間の責任分担」もなく象徴的個性真理体同様に自動的に完成さるるということだ。
​ここでも「神様のオモチャとして人間を創造された?!」は、繰り返し強調された。​
もしもここに「人間の堕落」というものがあるとすれば、神様といえども絶対性・完全性を失った神様ということになる。神様が神様でなくなるという話だ。


第二番目のシムソン氏のそれも、原理講論では聖霊は「女性神」「真の母」だとの記述に矛盾するものである。まるで新しい真理(非原理)を語られているようだ。

これに先立って、「日本語聖書は「聖霊」と「御霊」を分けているが韓国語はごった煮状態!」コメント欄では私からは以下の質問を投げかけていたが、未だに満足な回答を得ていないが……
シムソンさんへ

>原理講論の主人は昼の神様という事です。

「原理講論の主人はお母様」であるとのお父様が語られたみ言は私の過去記事で何度か紹介しています。あなたはそのお父様のみ言まで否定されますか?

ところで、日本語では『聖霊』一本ですが、韓国語『原理講論』では「성령」(聖霊)と「성신」(聖神)とに分かれた記載があることをあなたが引き出してきました。当然のことながら、「昼の神様」は「성령」(聖霊)か「성신」(聖神)の両方とは言われないでしょう。では、どちらですか?
現時点でシムソン氏の記事から受け取れることは、「昼の神様」は「성령」(聖霊)か「성신」(聖神)の両方ともに該当しないということだ。
シムソン氏、それに相違はないか? 



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Last updated  2019.12.19 00:27:06
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