ある(韓国)二世の考え --No.2
No.1からの続きです。 (文字数の書き込み制限のため) 16歳の時に愛を失い、生活の中で何の目的も見つからないまま前後に迷いながら生きて、17歳の時から前より教会にもっと熱心に通いながら、いくつかの多くの活動を経験してみ、原理の言葉を勉強しながら、私は神本当に存在おられるということを胸の中に深く悟るようになりました。そして、この世界を創造された神の御心と夢が何なのか分かるようになってから私の人生はますます変わってきました。私の胸の中には "夢"を植えさせており、その夢を叶えるために生きていく私の考えと性格と私の人生は少しずつ変わってきました。しかし、2年前までは夢と現実の間で乖離感を感じ、現実に轢かれて生きながらその夢を成し遂げようとする切実な心もなく、ただ漠然とした夢でした。しかし、今、この年齢がなってようやく、本当にその夢の切実な心を持つようになり、その夢が確実私の夢になりました。初めて自分が夢の "主人"になったものであり、夢の "切実さ"と成すことができるという "確信"を持つようになったのです。私がこんなに夢の主人になって、夢を叶えることができるという確信を持ったのには何かのきっかけがあります。 2010年度にあった事です。その当時私は21歳でした。天国という夢をかなえて出すことができる人になるために希望に満ちた未来を準備して努力していた時でした。しかし、その当時の私には夢と現実の間で感じられる乖離感があまりにも大きかった。そうしたら誘惑に揺れることになりながら、神の御心とは別の人生を生きるました。また、私は神を失ってしまうしました。失ってしまったというよりは、私が神を捨てたとする表現がより合いそうです。その後、私はすべてのことを手放してしまったかったです。16歳の時、神を知った後から私の人生は、神の夢をかなえていただくための人生を生きてきたが、神を忘れてしまった後、私は人生の理由を失ってしまうしました。人生の理由を失ってしまうので、私は続けてさまようことをするようになり、私の人生は放蕩な生活がしました。罪のピットの中に抜けて罪悪感を感じてもがい改ざん。そのような目的のない人生を生きていく私は毎日のように痛みを伴う生活の連続でした。神の夢をかなえいたしますと決心し努力していた姿は跡形もなくだ消えて何のこともなく、何の能力もなく、何の希望もなく、何の生活の理由もなしに生きていく私の姿を眺めながら限りなくソグルポました。半年の間は生きていて買うことがありませんでした。それとともに、毎日自殺を考えました。私にはそう悲惨に生きていくが、現実は地獄でした。しばらく地獄とも同じ人生を生きて行く途中、私は私を立て直し立ててくださる方に出会いました。彼はすぐに過去に私がたたきつけてしまいた神がおられました。神は御言葉を通して私にもう一度人生の理由を持たいただきました。神の御言葉は、私を再び生きるように作成されており、その御言葉を通して私は、神の深い温かな愛を感じました。そして私の胸の中には、もう一度失ってしまった夢が植えられました。今、私は時々このような考えをしたりしています。 "もしあの時、私はすべてのことをあきらめてしまって死んでしまった場合はどうだろうか?自殺したらどうだろうか?過去に私がもし死んだなら、今この時間も、元はないものでしだろう.... "ということを考えながら、私は生きていること自体に感謝の気持ちを感じました。「感死」を介して「感谢」を感じました。死を感じながら生活の感謝の気持ちを感じるようになっています。それとともに、私は私にもう一度夢を持つことができ、夢をかなえることができる一日一日を生きていけるようくださった神様のために私のすべての人生をすべて捧げるとする決心と一緒にモットーを立てるようになりました。その時立てた私のモットーは "我旣死身意为尽力"です。この言葉の意味は "私はすでに死んだ身だから、天の意味のためにすべての力を尽くしたい。"という意味です。私のすべての力と私の人生のすべてを神と世界のために捧げると誓っするために作成された言葉です。過去に私がもし間違って考えて自殺をしたならば、私は今、すでに死んでたも同然ないでしょう。しかし、私はこのように生きているので言葉を通して私を生きているようくださった神様のために、そして世界に苦しんでいるすべての人のために私の人生を捧げることです。神の御心と夢は天国を現実に作り出すことです。世の中すべての人が平和で幸せに生きていける世の中を現実に作り出すことが、まさに神様の願いです。だから私は "天国を現実にするために、私は一体何をする必要があり、どのように生きなければならだろうか?"という質問を投げて夢を叶えるために継続して悩んで考えていきました。悩んだ末に下ろされた私の結論はただ一つです。その結論は、まさに "真の父母様の御言葉通りに生きながらその言葉を広めること"です。なぜなら真の父母様の夢と私の夢は同じだからであり、その夢を今この時代に現実に行われていきいらっしゃる方が、まさしく真の父母様だからです。この世の中で最も遠大で偉大な夢を現実に行われている真の御父母様の御言葉通りに生きることが私の夢をかなえる方法であり、また、真の父母様バラシは意味なので、私はそうは生きることを決心しました。どこかで、これらの記事を読んだことがあります。 "一人の夢はただの夢にしかなれないだろうが、万人の夢は現実になることができる。"は言葉です。真の御父母様は "ことば"を通って195カ国以上の多くの世界の人々に "天国"という夢を与えてくれておられます。私は真の父母様の悪口を言って、精神病扱いする世界の人々に必ず真の父母様が "メシア"様である事実を証明するものであり、それらの人々に夢を植え付けることです。夢を持って確実な人生の目標を持つようにされた後、私の一日一日はそのまま流れるしまう時間ではなく、夢をかなえるための大切な時間たちに変わっています。ご飯を食べて、寝て、人に会い、活動するすべてのものがすべてだ "夢をかなえるためのもの"としてますます変わっています。私はその夢を叶えるためにこの地に "実体の神様"として来られた真の父母様を世に知らせ、真の父母様の御言葉を宣べ伝えることに命を捧げることです。だから世の中の多くの人々に "天国"という夢を植え付けることです。そう、一人一人が集まって、世界のすべての人が同じ夢を見て生きていくことになるときに、その夢は必ず "現実"になることです。天国はイエスを信じるばかりして行くことができるところがありません。良心的に生きながら今後の未来の死をひたすら待つだけしても天国には行けません。それではどうすれば天国に行くことができるか?今自分が生きているこの現実の世界を自分の生きている肉体を通した血と汗と涙をこぼし出して天国に作らなければなら万初めて死んでも天国に行くことができます。自分自身の努力を通じ、これ生きているこの現実の世界を天国に作らなければなら万死んでも天国に行くことができるでしょう。私たちが住んでいるが、現実の世界が天国にならないと地獄は絶対に消えません。現実の世界で罪を浮かべて亡くなった人々が行く所が地獄であるため、この現実を必ず天国で作らなければならないだけです。今生きている現実の世界が天国になったら地獄は当然消えることになるだろうし、また、過去に地獄に行ったすべての人々も皆一緒に天国に入ることができるでしょう。私は天国に行くことができる具体的な方法を説明しようとこの記事を書いた。だから私はこの記事のタイトルを "死んで死後の世界に天国に行くか、生きて現実の世界に天国を作る方法は、現実世界と死後の世界のすべての地獄をなくす方法"を減らし、 "天国に行くか、天国を作る方法、地獄をなくす方法 "と名付けた。私がこんなに文を書いて多くの人々に読ましようとする理由は、まさに天国を現実に作るとする私の "夢をかなえるために"です。私は "天国に行くか、天国を作る方法は、地獄をなくす方法"というこの記事を通って、必ず全国の多くの人々に、神の御心が込められた夢を植え付けることです。だから私は "夢を植える人"という呼称を作って活動しようとしています。この言葉には "世界の人々に心情を介して、神の御心が込められた夢を植える人になる。"という私の心が込められています。また、この記事では、私の汗と涙と私の人生の一部が含まれています。私はこの記事に私のすべてを歩いて、2013年1月13日までに、全国の多くの人々にこの記事を知らせることです。私がいつ死ぬかも知れない仕事だから多分私の "遺言"になるかもしれないこの記事を私が知っているすべての人々と全国の多くの世界の人々に必ず読んですることです。 2013年1月13日までの私の目標はこの記事を読んだ人々に所感文を4,000枚以上受け止めることです。(2013年1月13日は、神が結婚式をされる日です。その日から、この世界は"新天新地"の新しい世界となるでしょう。天国が開始される日なのです。 "神が結婚をするなんてこれ何でもいい話しか "とする方もいらっしゃるようです。詳細については、第3章で説明しましょう。)私が今死んでいない生きている理由が、まさに "夢"です。自分の命よりも大切な天国という夢を叶えるためであり、この世のすべての人々に天国に行くことができ、天国を作ることができる方法である神の "言葉"を伝えるためです。死ぬ前に必ずこの記事だけ残して死ななければならないという心情で文を書いている。私はこの記事をお読みになっすべての方々と一緒に私たちが住んでいるが、現実の世界を天国にしていきたいです。また、今生きている世界のすべての70億の人類だけでなく、過去に生きて死んだ人々もみんなが一緒に天国に行くことを願っています。今この記事を読んでいるあなたと私、死んでも天国で一緒に会うことができることを切に願います。是非この記事が長く感じられる場合でも、最初から最後まで全部お読みに懇願、切に、切にお願いいたします。ありがとうございます。2012年7月夢を植える人書く 訪問ありがとうございますにほんブログ村・統一教会