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2024.06
2024.05.05
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他人のために医療を受けるというのは、どこまでが許容されるのか。


精神疾患で、本人が特に困っていない場合だと、本人のためではなく、周囲との人間関係や社会のために受ける医療であったりすることが想像できる。
アルコール中毒や薬物中毒では、本人はこのままで良いと思っている場合が多々ある。
自殺企図における救命救急では、救命を含む医療を本人は望んでいない場合もある。
将来的に高脂血症や心筋梗塞を発症することが予測される肥満への治療で、本人が「今はなにも困っていない」という場合では、誰のために医療になるのか明確にしにくい。
しかし、知的な問題で病識がない場合に「本人からの訴えがない」との理由で放置することが正しいとも思えない。




さて、自分の家庭環境に於いてだが、SSRIを治療量で内服していたときのほうが、平穏だった気がしている。
SSRIでは患者が「多幸感」を期待している場合があるが、内服した実感としては「あるかないかの幸福感」だと受け止めている。
多幸感を「パーリーピーポーな幸福」とするならば、SSRIによる幸福感は「アルカイックな幸福感」ではないか。
アルカイックな幸福感が不正確ならば、いわゆるChillな幸福感だと思う。
ちなみにアルカイックスマイルは「あるかないかのような微笑」と表現されることが多いが、アルカイックに「あるかないかのような」という意味は無い。アルカイック美術における微笑をアルカイックスマイルと称しているのであって、アルカイックには「古典的な」「古風な」という意味しかない。「アルカイックな幸福感」は不正確だが、ここでは「アルカイックスマイルを浮かべるような幸福感」として使わせてもらった。
この穏やかな幸福感では、攻撃的にならず、穏やかでいられる。つまり、人間関係に波風が立たない。


いま、自分としてはSSRIは必ずしも必要でなく、日常生活に支障はないと思っている。しかし、SSRIを内服している方が人間関係が円滑であるならば、内服治療の対象なのだろうか。もしそうであれば、それは誰のための医療ということになるのだろう。





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最終更新日  2024.05.09 22:29:10
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