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2024.06
2024.05.18
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銀河鉄道999のー特に目新しくもない感想


劇場版999→さようなら銀河鉄道999→劇場版999と観た。
当時に、リアルタイムに観たひとたちならわかると思うが、「さようなら銀河鉄道999」は評価が低かった。
後付け設定,金儲け主義,模倣(パクリ)など、映画そのものの質よりも周辺事情で評価されていた。これは、「さらば宇宙戦艦ヤマト→TV宇宙戦艦ヤマト2→宇宙戦艦ヤマト:新たなる旅立ち」という一連の出来事のせいでもある。ヤマトに関しては、さらに「完結編」なるものもあるのだけれど…。
いま、999を見直すと、よく練られているなぁと。
後付けの黒騎士や生命の灯など、当時は胡散臭いというかご都合主義としか感じなかった。しかし、いま見直すと「劇場版999(1作目)」では哲郎の父親が死んだとは言ってない。「お父さんがいたらねぇ」というが、「死んだお父さんがいたら…」「お父さんが生きていたら…」ではない。まるで、黒騎士の登場を予定していたかのようだ。そして、鉄郎の「父さんが付けてくれた名前なんだ」というのも、「さようならー」を観た後でもう一度観ると、感慨深いものがある。プロメシュームにしても、劇場版1作目のときから「さようならー」の制作が決まっていたかのようだ。


そして、劇場版999(1作目)が後の作品に与えた決定的な影響は、「限りある命だからこそ、ひとは優しく強くなれる」だろう。いまとなっては、珍しくもなく、ありふれた主張だが、当時のインパクトは強かった。ヤマトシリーズの
「男なら戦って、戦って、戦い抜いて、1つでも多くの敵をやっつけて死ぬべきじゃないんですか」ー「男なら明日のために泥水をすすり、草を噛んでも生きるんだ」
「お前にはまだ武器が残されているではないか、戦うための武器が。命だよ。お前にはまだ命が残っているじゃないか。」
と共に、強く刻まれたんだ。


もう、今は戦後の生命の重さと軽さー生きる重さと死んでいく軽さーを知っている創作者は、なかなかいない。ちばてつや氏くらいなのだろう。
阪神淡路大震災や東日本大震災のような天災による死と、ひとが自ら突き進む悪意と愛の死は異なっている。いまの少年少女に訴える力を持った生命賛歌が生まれると良いのだがなぁ。





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最終更新日  2024.05.19 00:46:41
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