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3ヶ月ほど前にこちらの地元紙の中日新聞に 載っていた話です。 歴史に興味のない方には少々難しい話になりま すが、よかったらお読みくださいね。 名古屋城 水のない内堀 (2008-04-21 中日新聞より抜粋) 名古屋城(名古屋市中区本丸1-1)には本丸を 囲んで内堀があり、二の丸と西の丸、御深井丸 を囲むように東西南北に外堀がある。 三の丸の外側にもう一重の堀。 このうち水があるのは、西と北の外堀だけ。 他は水のない空堀だ。 そもそもこの水はどこから来るのか。 1610年の築城当初は、堀は湧き水などで満たさ れていたが、水が減少したため庄内川から 「御用水」とよばれる水路が、1663年に開削 された。 しかし御用水も、時代とともに汚れた。 1974年(昭和49年)に埋め立てられ、御用水跡 街園として散策路となった。 1999年(平成11年)以降は工業用水から十数万 トンを堀に流しているが、川と堀を結んでいた のはこの御用水だけ。 堀川上流(黒川)は堀には近いが、堀に水を 運ぶ役目はもっていない。 さて本題。 内堀に水があったのか。 『元禄十年御城絵図』によると、絵図では城の 北と西、南の外堀が青く塗られているのに対し、 内堀などは草色。 つまり築城当初から空堀だったのだろうとの、 名古屋城管理事務所の見解がある。 名古屋城は名古屋台地の北西端に作られた。 台地の北は土地が低い湿地帯。 ゆえに北西の外堀は水堀となった。 一方で台地の上の内堀は、底部でも水堀の 水面よりも海抜が約2m高い。 構造上、内堀に水を引ける水源はない。 防御性でも、矢や弾が届かない距離なら、 船で渡れてしまう水堀より、視認性が高い空堀 のほうが有利との見方が強い、と学芸員の 木村氏は考える。 水堀か空堀かが微妙な、二の丸の南を囲む 外堀と三の丸南東部の堀。 台地の上であるのは内堀と同じなのに、絵図 では青い。 これは雨水や排水で湿った状態だったのでは? と木村氏は推測する。 つまり内堀は、築城当初からずっと空堀だった。 という話が載っていました。 名古屋城を訪れ、この内堀を覗くと数頭の鹿が いるのがわかります。 鹿にとってこの内堀は、水が溜まることがない なかなか居心地のいい場所のようですね 名古屋城の南側の外掘(正門に入る手前)。 桜が咲く季節には、名古屋城と桜がコラボした、より いっそう美しい風景を見ることができます。
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