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May 22, 2019
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カテゴリ:気になるTV番組
2019年NHK大河ドラマ 『いだてん~東京オリムピック噺』
第19回の部分的な感想です。

今回は最初の箱根駅伝が舞台でした。
現代のスポーツでは、TVの中継で見る「戦っている
選手たちが作りだすドラマ」がメインです。
でも何をどう対策したらいいのかもわからない第1回の
箱根駅伝では、走る選手だけでなく沿道の人々の側にも
いろいろなエピソードがあったのですね。

そして今回は、自分自身も含めて世の中いろんな性格の
人がいるけれど、役所広司さん演じる嘉納治五郎先生に
「人間あるある」を見ました。

私が思うに、つい情に流されてしまうタイプの人は、何も
知らずに喜んでいる相手の顔を見ると、その人にとって
辛くなる真実が言えなくなるのです。
さらには治五郎さん、正論にイラついてました。

果ては選手の増員を訴える金栗四三(中村勘九郎さん)に
対して、「わかった、検討しよう!」、おまけに「箱根、
楽しみにしとるぞ。」とまで。

相手の言うことを否定せず(できず)受け入れ、たしかに
ウソは言ってないしその気持ちは本当・・・なんだけど、
肝心の真実を言えないまま相手は喜んで去っていく。

受け入れるのは優しさかもしれないけど、下手をすれば
相手に期待をもたせただけの結末に。
喜んで舞い上がった分だけ、それが叶わなかったときの
落差はある意味悲し過ぎるものに。

それがさらりと流れていくストーリー。
クドカンさん、すごい脚本です。


日本全国をほぼ走りつくした金栗四三(中村勘九郎さん)は、次に太平洋を渡って
アメリカを走って横断したいとふと思い立ちました。
とはいえ、さすがに4000kmは自分一人では走れないので、駅伝方式で何人かで
走ろう、そのメンバーを選出するために東京~箱根間で駅伝レースをしてそれを
予選会にしよう、という案がまとまりました。



さて昭和36年・正月の古今亭志ん生の家では、新年の挨拶で弟子たちが訪れていて、
“駅伝落語” の稽古をしていました。
そして五りんはなぜか創作落語『箱根駅伝』のネタの帳面をもっていました。



四三は箱根駅伝の計画を大日本体育協会の嘉納治五郎(役所広司さん)のところに
報告に行き、そのときに嘉納から来年(1920)の夏にベルギーのアントワープで
オリンピックが開催されることを聞かされました。
1916年のベルリンオリンピックが戦争で中止となったときに失意のドン底に落ちた
四三にとって、たまらなく嬉しい知らせでした。



オリンピックという目標が再びできた四三は、本当は正月返上で東京でトレーニングに
励みたかったのでしたが、長らく妻子をほったらかしでこの正月に熊本に帰らないと
渡航スポンサーの母・池部幾江(大竹しのぶさん)を怒激させることになります。
そこで四三は帰郷。四三は結婚によって実兄の実次(中村獅童さん)から人前では
「四三さん」と呼ばれるようになりました。



四三が熊本に帰郷している頃、東京では来年のオリンピックで競技種目からマラソンが
外されたことを受け、教授陣たちは大騒ぎになっていました。
戦後間もないベルギーは市街地が荒廃していて、競技場を出て走るマラソンはまだ
無理であろうという委員会側の判断だったのでした。



今度こそストックホルムでの雪辱を果たさんと後輩たちとともにトレーニングに励む
金栗四三が、意気揚々と嘉納のところにやってきました。
トレーニングが順調であまりに嬉しそうに話す四三に、来年は種目からマラソンが
外れたことを嘉納は言うに言えず、それどころか嘉納の口から出るのは四三たちに
無駄に期待を持たせることばかりでした。



運営を任された四三は出場する4校(高等師範、明治、早稲田、慶応)の選手たちを
集め、コース決めや開催日時の決定をしていきました。



そして大正9年(1920)2月14日午後1時、東京有楽町の報知新聞社前に集合した
選手たちは、四三の合図の号砲とともに一斉に駆け出していきました。



この競技会はオリンピック選手の選考も兼ねているので、四三は車に乗り込んで
選手たちを追いかけ、激励しながら走りを見ていました。



さて昭和36年の駅伝落語のほうでは、高座に上がった五りんと今松の噺がうまく
つながらず、古今亭志ん生のところに新年の挨拶にやってきた志ん生の長男:清
(金原亭馬生)と次男:強次(古今亭朝太:森山未來さん2役)に急遽、高座に
上がってもらうことになりました。
清も強次もネタの帳面を読んで少し練習しただけで、立派に座を務めました。



当時の箱根駅伝ではコースの途中に見張りがいなかったので、選手によっては
コースを下見して近道(ズル)をしてやろうと考える人もいました。
でも結局、当時は夜になるとあたりは真っ暗で近道の目印は見えないわ、地元の
中学生たちが松明を用意してご丁寧に道案内してくれるわで、ズルしたかったのに
できなかった、なんてこともありました。



さて翌朝は復路スタートなのですが、その日の箱根は6cmの積雪でした。
本部からは中止の検討があったけど、地元の青年団や中学生たち、さらには箱根の
湯治客までもが走る選手たちのために雪かきをして、選手たちを支えてくれました。
また四三は足袋のゴム底に彫刻刀で溝を作って滑り止めにするよう皆に言い、大会は
予定どおり朝7時にスタートしました。



小雪が降る中、自動車が使えなくなった四三は走って選手たちを追いかけていき、
それぞれに激励の言葉をかけていきました。
また沿道の人々は雪が選手たちに当たらないよう、傘でトンネルを作ってくれました。



今の時代のように運営側に十分な準備や対策がない中だったけど、選手たちが走る
道の地元民の方々の温かい支援によって、選手たちは無事に有楽町に戻ってきました。
そして選手たちの熱い戦いに心を動かされた大日本体育協会の岸と武田は、矢も楯も
たまらず有楽町のゴール地点まで戻ってくる選手たちを迎えに行きました。



選手たちの必死な走りを目の前で見て心底感動した岸 清一(岩松 了さん)は、ゴール
目前で脚を痛めて走れなくなった明治大学の西岡を我を忘れて激励し続けました。
脚を引きずりながら西岡がゴールした後、岸は嘉納に「こんなに感動的なレースなら
アントワープでマラソンをやるべき、直訴しましょう!」と強く訴えました。
このシーンの岩松 了さん自身の演技も感動でした。
『興味がわいてLIVEを見に行く⇒LIVEを見て感動と興奮に包まれる⇒自分にできる
ことで応援をしたくなる』
~~スポーツや音楽等で「人間あるある」ですね。






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Last updated  May 22, 2019 09:45:26 AM


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