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2007/12/22
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カテゴリ:歴史

秦の始皇帝は匈奴の侵入に備えて万里の長城をつくったといいますが

漢の時代、匈奴が突然強力になって漢を臣従させたことを考えると

匈奴は元来孤立していたわけではなく、秦の始皇帝以前からシルクロードと

中国内陸を支配し、秦によって塞外に追放されたと考えられます。

そうすると匈奴のニ族というのはシルクロードを支配したキンメリ人と

内陸を支配したチュルク族だったことになります。高令は山東にいて、チュルク人は

先住のツングースを排除して中国内陸に侵入し、後にアレキサンダー王に追放されて

満州に逃れ、かつて追放したツングースと混血し、やがてほとんどツングース化したらしい。

海から侵入したカルデラ人と原住チュルク族によって建てられた殷の時代、及びそれに

続く内陸のチュルク族による支配の後も、南海諸族は、マレー半島を越えて中国大陸に

入植していました。BC十世紀以降には、陸路、シルクロードをカッシート(月氏)、アッシリア

キンメリ(匈奴)=ウラルトゥ連合、アケメネス・ペルシヤなどの諸族が相次いで東遷し

BC331年アレキサンダーは、アケメネス・ペルシヤを滅ぼしてバクトリアに侵入し

さらに洛陽を建設したのでした。






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最終更新日  2007/12/22 04:16:03 PM
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