その時その時
先日、角田光代さんの「さがしもの」という本を拝読しました。 短編集なのですが、さすが売れっ子作家さん、もしかしてこれノンフィクション?というくらいリアルな描写でした。この最初の作品である「旅する本」まず、東京の古本屋さんに、翻訳物の本を作者は売りますが、店主の老人に「これ本当に売るの?」と念を押されるのですが、結局売却します。そしてその後ネパールに旅行して、古本屋さんをうろうろしていたら、その本を見つけるのですね。後ろの方に何気なくお花のイラストを書いていたので、作者は確信します。そして読んだ後また古本屋さんに売却します。その後アイルランドの本屋さんでも同じことが起こるのですね。で、作者は買った後必ずその本を読むのですが、その度に読後感が違う。本は皆同じですが、結局作者の中身が変わる-というか成長するのではないかというオチでした。本ではないのですが、似たような経験が私にもある。京都太秦の広隆寺にある、国宝第一号と言われる「弥勒菩薩 半迦思惟像」 これ初めて見たのは十代、修学旅行でしたが、あのときの衝撃は覚えている、美しい!そして京都に訪れたときは行けるときは行っていたのですが、微妙に受けるインパクトが違うのですよね。何とも思わないという時もありましたり、泣きたくなるような心持ちであったり、懐かしい人を思い出したり等別に審美眼というものはありませんし、仏像にはほぼ造詣がありませんが、これは別モノなのですよ。ジャンルは違えど、優れた芸術は人の心を反映するものなのかと思えてしまいますね。ところで京都には少なくとももう20年は行っていない。旅行というと温泉一択というスタイルになってしまったからなのかもしれません。でも足腰立つうちに行ってみたいかな?太秦広隆寺。