カテゴリ:酒
僕が子どもの頃、亡き父(父は21年前に亡くなった)がウイスキーを飲んでいた姿の記憶は、あまりない。もっぱらビールや日本酒で、ときどき紹興酒だった。
しかしリビングルームの一角に、扉付きの上等そうな木製キャビネットがあり、その中の棚に、いつもウイスキーが何本か並んでいたことは、今でもよく覚えている。 必ずいつもあったのは、サントリーの角瓶。そしてジョニー・ウォーカーの赤や黒。そしてモルト・ウイスキーも、1本あった(もちろん、それがモルトであると知ったのはかなり後になってからだ)。 そのモルト・ウイスキーが「グレンフィディック」(写真左)という銘柄だった。独特の三角形をした緑色のボトルは、一度見たら忘れないフォルム。それが、僕が初めて見たスコッチモルト・ウイスキーでもあった。 おそらく1960年代、日本で一番出回っていて、有名だったモルト・ウイスキーは「グレンフィディック」だったろう。当時、日本国内で出回るウイスキーは、国産のを除けば、すべて「舶来の酒」と呼ばれていた。 「舶来の酒」は高かった。当時は従価税時代。ウイスキーの値段の半分は税金だった時代だ。それが、80年代後半、サッチャー英首相の圧力のおかげで日本の従価税は撤廃され、それまで、例えばジョニ赤で6~7千円していたのが、驚異的に安くなった。 父はそう酒に強い方ではなかった。しかし、モルトの瓶が棚に並んでいたということは、スコッチは好きだったのだろう。きっと、子どもが寝静まった夜中に、一人しみじみとこのモルトを飲んでいたのだろうなと想像すると、なんだか楽しい。 だからという訳でもないが、亡き父の思い出につながる「グレンフィディック」には、格別の思い入れがある。今でこそ、マッカランやボウモアなどの有力銘柄に埋没してしまっているが、僕は今でも、「グレンフィディック」は大好きだ。 グレンフィディック蒸留所(写真右上 (C)公式HPから)は1887年、それまでモートラック蒸留所で働いていたウィリアム・グラントという男性が独立して創業した。グレンフィディックとはゲール語で「鹿の谷」を意味する。 彼が目指したのは(おそらく)大衆の支持を得る欠点の少ないモルト・ウイスキー。そしてレモンや洋梨を思わせる香りを持ち、ライトでスムースで、芳醇な味わいを漂わせる素晴らしいモルトを産み出した(写真左=多彩な商品ラインナップも魅力。これは1972年もの限定ボトル)。 しかし当初は、ブレンディド・ウイスキーのキーモルトとして出荷するだけで、シングルモルトとして独自の製品は市場に出さなかった。実際、オフィシャル・ボトルのモルトが発売されたのは1963年と意外と新しい。 海外旅行に出ると、帰国時の最後の空港の免税店で、必ずと言っていいほど、グレンフィディックは大きなスペースを占めて売られている。それほど全世界でお馴染みの銘柄。シングルモルトとしての年間生産量(約1万kl)も、実はスコットランドではナンバー1だという。 グレンフィディックは、オフィシャル・ボトルでも、いろんな個性を持った商品を造り出していることでも知られている。とくにシェリー樽熟成の「長熟もの」(15年以上の)に素晴らしい商品が多い。 僕がとくに好きなのはシェリー樽熟成のボトルの「ソレラ・リザーブ」(写真右)というグレンフィディック。シェリー造り特徴でもある「ソレラ・システム」(詳しい説明は長くなるので、御免)で造られた長熟モルト。 豊かなアロマ、なめらかで奥行きのある旨さ。上品なシェリー香もよく出ている。まだ味わったことのない方には、ぜひおすすめしたいモルトの一つである。 こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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