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Bar UK Official HP & Blog(酒とPianoとエトセトラ)since 2004.11.

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2020/05/23
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カテゴリ:音楽
【2005年7月17日の記事の再投稿です。原則として、当時書いたままの文章を再録しています】
 キリンのお茶「茶来」のCMに、芸能界に復帰した中山美穂が登場している。ミポリンには特別興味はない私だが、バックに流れている曲を聴いて、思わず「あぁ、懐かしいなぁ…。いい曲だなぁ…。でも、40歳以下の人はこの曲、誰の曲か分からないだろうなぁ…」と独りつぶやいていた。GARO:1st Album

 曲名はCM画面の片隅にも出ている通り、「地球はメリー・ゴーランド」。1972年、GARO(ガロ)という3人組のグループが出した2枚目のシングル曲(デビューアルバム=写真左=にも入っている)である。GAROと言ってもすぐピンと来ない人でも、「『学生街の喫茶店』を歌っていたグループ…」と言えば、思い出されるかもしれない。

 GAROは、1971年にデビューした。堀内護(愛称「マーク」、当時22歳)、日高富明(同「トミー」、同21歳)、大野真澄(同「ボーカル」、同22歳)の3人からなるグループ。当時は「フォーク・ロック」というジャンルに入っていたかと思う。アコースティック・ギターによるコーラス・バンドで、カバー曲以外の、オリジナル曲づくりも自分たちでこなした。

 当時、同じくギター・バンドをやっていた私にとっても、GAROはお手本でもあり、目標でもあった。彼らの曲もよくコピーし、歌った(写真右=GAROが残した唯一のライブ・アルバム。CS&Nなどの洋楽を演奏したライブ音源も、ぜひCD化してほしいが…)。

 当時GAROは、単に「フォーク・グループ」と呼ばれることが多かったが、私は今でもこの言い方には馴染めない。高いコーラス・ワークとギター・テクニックを誇った彼らは、メジャー・デビュー前から、「和製CS&N(クロスビー、スティルス&ナッシュ)」とも言われ、注目されていた。実際、彼らが目指していたのも、フォークとかいう狭いジャンルにとらわれない音楽だった。GARO:Live Album

 デビュー・アルバムでは、曲づくりやコーラスで、その素晴らしい才能があちこちに垣間見れる。初期の頃は、冒頭で触れた「地球は…」のほかにも「1人で行くさ」「涙はいらない」など、音楽的にもレベルの高い、クオリティの高い曲が多かった。しかし、大ヒットという訳にはいかず、GAROは一部の熱狂的なファンの間での存在だった。

 それが一転したのが1973年、3枚目(4枚目説も)のシングルとして発売された「学生街の喫茶店」の大ヒットだった。実は当初、この曲は「美しすぎて」というシングル曲のB面だった。それが、GAROの「大衆化路線」を目論むレコード会社やプロデューサーの方針で、発売直前、B面の「学生街…」がA面に差し替えられたという(このためジャケットの裏面の歌詞では、A面は元の「美しすぎて」のままだった)。

 この曲をつくったのは、すぎやまこういちという当時の売れっ子作曲家・編曲家だった(代表曲にタイガースの「花の首飾り」、ヴィレッジ・シンガースの「亜麻色の髪の乙女」などGS<グループサウンズ>に数多くの曲を提供していた)。GAROのメンバーは、この「歌謡ポップス」のような曲を、最初あまり歌いたくなかったと聞く。しかし、デビュー間もない3人に大レコード会社、大作曲家に抵抗できるはずもなく、言われるがまま「学生街…」がA面として売り出された。GARO:Best Album

 それが幸か不幸か、それがオリコン・チャートで1位になり、70万枚を超える大ヒットになってしまった。その年のNHK紅白歌合戦にも出場し、この曲を歌わされることになる。そしてそれ以後、GAROと言えば、「学生街…」というレッテルが付いて回った。もともと洋楽志向だった3人にとって、「歌謡ポップス」のグループのように見られるのは、辛い現実だったに違いない(写真左=GAROのアルバムはほとんどが廃盤になっていて、現在はこのベスト盤のみが発売されている)。

 GAROはライブなどでは、思い切り、洋楽のカバーや洋楽をルーツにしたオリジナル曲を歌っていたが、テレビではやはり、「『学生街…』を歌ってください」ということになる。しばらくは我慢していた3人だが、結局は、「これは僕らの求めていた音楽ではない」と気づく。そして、12枚のシングルと8枚のオリジナル・アルバムを残して、3年後の1976年に解散。3人はそれぞれの道を歩むことになる。

 マークは、その後3枚ほどソロ・アルバムを出したが、その後は芸能界から姿を消した。しかし、90年代半ばからは再び音楽活動も再開し、様々なユニットでアルバムも出した。だが、残念ながら2014年12月、病気(胃がん)のため65歳で亡くなった(この箇所は2015年に追記)。
 トミーは解散後、ロック・バンドを結成し、ライブ活動をしていたが、皆さんもご存じのように、1986年、飛び降り自殺をして、36年の短い生涯を終えた。音楽的な行き詰まりが原因とも聞くが、本当のところは分からない(私も詳しいことは知らない)。

 ボーカルは、レコード・プロデューサー、ディレクターに転じて、現在も音楽業界にいる。7、8年前にはテレビに出て、「学生街…」を1人で歌っていたのを見たことがあるが、私は切なくて、悲しくて、途中でチャンネルを変えてしまった(自分たちの音楽の原点を壊してしまった曲を歌うことに、心に抵抗はないのだろうか)。

 実質5年余の活動で音楽界から消えた伝説のバンド、GARO。その解散も、トミーの死も、私は今でも残念でならない。もし彼らが「望む道」を歩んでいたら、きっと、60代の今も現役で活躍しているCS&Nのように、息の長いバンドになっていたにかもしれない。彼らを間違った運命へ導いたレコード会社の幹部やプロデューサー、そしてGAROのために「学生街…」をつくったすぎやまこういちなる作曲家を、私は今も恨む。

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Last updated  2020/11/15 07:43:45 PM
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うらんかんろ

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