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Mr.H'sBLOG・・好日夢譚

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October 4, 2017
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広島への原爆投下と、ソ連の参戦により、8 月9 日午前10時50分、最高戦争指導者会議が開かれた。
最高戦争指導者会議は鈴木首相・東郷外相と、阿南陸軍大臣、米内海軍大臣、梅津陸軍参謀総長、豊田海軍軍令総長の6人で構成され、戦争に対する最高の意思決定機関であった。

広島への新型爆弾(原爆)投下も、その折は甚大な被害の全容が掴めておらず、一番の問題は、密かにあてにしていたソ連を通じての講和交渉が瓦解し、逆に参戦の事態に6名とも暗澹たる思いで席に着いたその折、
長崎にも同日11時2分に新型爆弾投下の第一報が入り、皆 青ざめて咳として声も出ぬ中

鈴木首相が「この事態に至り 四囲の情勢上、ポツダム宣言を受諾せざるを得ないと私は思っている。皆さんのご意見を聞きたい」と声を絞り出した。すかさず、東郷外相が立ち上がり、二つの案を出して採決を迫った。

①国体護持だけを要求して、ポツダム宣言を受け入れる。 
②国体護持に加え「戦争犯罪人の処罰」「武装解除の方法」「保障占領(占領軍の進駐)」の4条件を付加した上で、ポツダム宣言を受け入れる


鈴木と東郷に続いて、既に特攻機以外に戦力の無い米内海軍大臣も、①案に賛成。
本土決戦論だった残りの三人は、会議のテンポに付いていけず、なんとか②案を支持するのが精一杯。3対3の対決で議論は堂々巡りとなって、2時半、閣議が予定されていたので中断。

続く閣議では、「ソ連を介した一般講和」を掲げていた鈴木首相に諸大臣より非難 罷免要求が集中するも、何とか持ちこたえ、議論に決着が付かぬまま午後10時半に休憩。
休憩時間に、彼は東郷とともに皇居に参内、天皇に直接御前会議の開催を申し入れ了承された。

(本来当時の制度では、御前会議の開催には、出席者全員の署名と花押が必要で、国際関係に関する決議は、通常の閣議で決定した事項を、枢密院の審議にかけ、その結果を天皇に報告するという仕組みの所、実務的に先に作成していた「白紙委任状」を書記官長と相談し借用、枢密院議長の平沼騏一郎を、御前会議のゲストとして迎え、いわば強制的に御前会議を開催)。

午後11時50分、天皇臨席の元 東郷が提示した①案と②案を巡って、激しい議論の応酬が戦われた。
① 案支持は、鈴木、東郷、米内、平沼。②案支持は、阿南、梅津、豊田。
② 両者は真っ向からぶつかり一歩も退かず、ついに時刻は、翌8月10日午前2時。 

そのとき。鈴木首相が立ち上がり、異例中の異例の事にて天皇の前に進み出て
「すでに長時間にわたって論議を尽くして参りましたが、結論を得るに至りません。しかし、事は極めて重大であり、かつ一刻の猶予も許されない状態であります。前例も無く、はなはだ畏れ多い極みでございますが、このさい陛下の思し召しをうかがい、それをもって本会議の決定と致したいと存じます」と申し述べた。
天皇があくまで「意見」を言うのであれば、憲法違反ではなく、鈴木は、憲法の規程解釈ギリギリの線で、勝負に出た。

「それならば、私が意見を言おう。さきほどから外務大臣の申しているところ(①案)に同意である。
 念のために理由を申しておく。戦争が始まって以来、陸海軍の行動は、どうも予定と結果が違う場合が多い。いま陸海軍は本土決戦の準備をしていて、その勝算もあるように申しているが、その点についても心配している。先日、参謀総長から九十九里浜の防衛について話を聞いたが、侍従武官が現地を見てきての報告では、総長の話とは違い、防御対策はほとんどできていないようである。また、新編成の師団について、総長は装備完了といっていたが、実際には、兵士に銃剣さえも支給されていない有様であることも分かった。こういうことで本土決戦に突入したら、どうなるか。私は、非常に心配である。
 あるいは、日本民族はみんな死んでしまわなければならないことになるのではないか。そうなったら、先祖から受け継いできたこの日本という国を、子孫に伝えることができなくなる。日本を子孫に伝えるためには、一人でも多くの国民に生き残ってもらい、その人たちに再び立ち上がってもらうほかに道はない。また、これ以上、戦争を続ければ、日本国民だけでなく、外国の人々も多くの損害を受けることになる。
私としては、忠勇なる軍隊の降伏や武装解除は忍び難いことであり、戦争責任者の処罰ということも、その人たちがみな忠誠を尽くした人であることを思うと、堪え難いことである。
しかし、国民全体を救い、国家を維持するためには、この忍び難いことも忍ばねばならないと思う。私はいま、日清戦争のあとの三国干渉のときの明治天皇のお心持ち(臥薪嘗胆)を考えている。
 皆のものは、私のことを心配しているようだが、私はどうなっても構わない。私は、こう考えて、戦争を速やかに終結する決心をしたのだ。
 兵士や国民は良く戦った。多くの人が戦死し、傷つき、空襲で死傷し、財産を失った。その人たちや遺族の事を考えると、まことに胸がかきむしられるようだ。また、外地にいる人たちのことも心配でたまらない・・・・」

天皇のお言葉は30分以上も続き、御前会議は要人たちの嗚咽で埋め尽くされた。

午前3時から再開された閣議で、ポツダム宣言の受諾が正式に決定。午前4時、東郷外相はその足で外務省に走り、連合軍への通告電文を起草した

同日08/10 同盟通信社と日本放送協会は午後8時過ぎにこれを海外向けに打電、放送。 08/12 日本のポツダム宣言受諾(国体護持)の条件に対し、有条件降伏を実質承認のバーンズ回答が到達。

08/13 御前会議・閣議が、連合国回答の解釈をめぐり紛糾するも 08/14 再度 御前会議でポツダム宣言受諾を改めて決定し、天皇が終戦詔書を発布。玉音盤の 争奪を巡る将校の反乱も起こる中 
08/15 未明 阿南惟幾陸軍大将が、未明、「一死ヲ以テ大罪ヲ謝シ奉ル」の遺書を残して割腹自殺。

同日 正午 終戦勅書がラジオ放送(玉音放送)され、太平洋戦争が終結した。
新聞は 08/15付け 終戦勅書を記載の毎日新聞及び終戦勅書コピー )





08/09 深夜、最高戦争指導会議構成員による御前会議で、ポツダム宣言受諾に国体維持(天皇制維持)だけを条件とする東郷外相案と、他に3条件を加える阿南陸省の案が対立する。
1945/08/09,昭和20/08/09
B29ボックス・カー号は、小倉市を目標として飛来したが、上空が曇天のため、午前11時2分、長崎市にプルトニウム型の原爆「ファット・マン」を投下する。原爆は地上503mで炸裂し、12月までの死者の数は8万人以上になる

08/10
午前2時半、御前会議が国体維持だけを条件とするポツダム宣言受諾を決定する。同盟通信社と日本放送協会は午後8時過ぎにこれを海外向けに打電、放送する。
08/12
日本のポツダム宣言受諾の条件に対し、実質承認のバーンズ回答が到達する。
1945/08/13,昭和20/08/13
御前会議・閣議が、連合国の回答をめぐり紛糾する。
08/14
御前会議でポツダム宣言受諾を改めて決定し、天皇が終戦詔書を発布する。
08/15
阿南惟幾陸軍大将が、未明、「一死ヲ以テ大罪ヲ謝シ奉ル」の遺書を残して割腹自殺する。59歳(誕生:明治20(1887)/02/21)。
1945/08/15,昭和20/08/15
天皇が終戦勅書をラジオ放送(玉音放送)し、太平洋戦争が終結する。

08/17
東久迩宮稔彦内閣が成立する。
08/18
内務省が、占領軍向けの特殊慰安施設を設置するよう指示する。
1945/08/18,昭和20/08/18
満州国皇帝が退位し、満州国が消滅する。
1945/08/18,昭和20/08/18
チャンドラ・ボース(Bose,Subhas Chandra)の乗った日本軍の飛行機が墜落し、ボースは重傷を負う(まもなく死亡)。48歳(誕生:1897/01/23)。インド独立に貢献した。
08/23
ソ連が、日本人50万人のシベリア抑留の指令を発する(9898号指令)。
08/28
連合軍先遣隊が厚木に到着する。
1945/08/28,昭和20/08/28
東久迩宮稔彦首相が記者会見し、敗戦の原因の一つが国民の道義の欠落にあると述べる。
1945/08/28,昭和20/08/28
連合国軍総指令部(GHQ)が横浜に設置される。
08/30
マッカーサー元帥が連合軍最高指令寛として厚木に上陸する。

1945/08/30,昭和20/08/30
ソ連が、北海道占領への樺太での軍事活動を停止する。





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Last updated  October 4, 2017 08:56:46 PM
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