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Mr.H'sBLOG・・好日夢譚

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November 5, 2020
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カテゴリ:不易流行 

​​​​​元禄四年当時四十七歳の芭蕉が第二の故郷と慣れ親しんだ大津を立ち、​江戸へ向かった目的は何であったのか・・  
          
色々考えられるが
、当初​​俳名「桃青」と名乗った二十九歳​​、​寛永十二(1672)年の春​
初めて江戸に​下って以来、活動した永年の来歴や蓄積もあり、​​​​​​​​その折々弟子入りし​​​た、江戸蕉風門下の高弟杉風・其角・嵐蘭・曾良らの​、​​​たっての催促も並々ならぬものだったのであろう・・​​​​​

​​​流石に芭蕉の名声は江戸中に知れ渡っていたとは言え、​元禄四~五年当時の江戸の俳諧は​​元禄景気に沸きかえり座敷芸で、出来不出来に点附けして金銭を授受し、江戸商人受けす​る御用俳諧師が横行する風潮があり​​​​​

​​​​​​​「軽み」を良しとする蕉風とは中々相容れぬほど退廃後退し、芭蕉には苦々しい限りであったようだ​​​​​​​​

​​​​​​​​​​​​​元禄五年五月杉風らの尽力で新築なった芭蕉庵に転居し後に蕉風門下の重要な支柱となる、彦根藩の森川許六が​​、桃隣の紹介でほどなく入門し、​芭蕉の心強い弟子も増えたりはしたが​江戸での芭蕉自身の私生活面では、​思ったほど経済的にも精神的にも余り恵まれなかったようで、色々あって江戸に見切りをつけたのか​​​​​​​​​​​

 ​​奥の細道​​​​​​​最終稿を曾良に書かせそれを基に第五代将軍徳川綱吉の側用人柳沢吉保に仕え能書家で蕉門下でもある柏木素竜(儀左衛門)へ、清書依頼し、やっと清書が完成したのは、江戸下向三年の元禄七年四月のこと、​​​​​

 翌五月には江戸での選別句会を催し​​その清書を江戸で発行するでもなく大事に持ったまま​​曾良と、親戚?の二郎兵衛を同道し伊賀へ帰郷の途についている。​​​






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Last updated  November 5, 2020 03:43:04 PM
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