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カテゴリ:不易流行
寿貞尼を弔う二郎兵衛一行の東下りを見送った後、一週間程は何も手が付かず 落柿舎の一室に篭って今は亡き寿貞尼への読経三昧の芭蕉に 見かねた門人の内、膳所藩々士としての格式 からも最上位の曲水が「ひとまずは義仲寺無名庵にお移りになられて、二郎兵衛殿の帰京をお待ちしては如何?」 芭蕉は「それも道理」とやっと気を取り直し、 とつおいつ身辺整理し、溜まった手紙に目をやり、それとは書かず彦根の許六や同じ彦根の僧侶 李由に、いずれ彦根に伺う積りつもり との手紙を書く気になり、筆を取ってはみたが、無常を思い、ため息ばかりで考えも纏まらないのか、その折はことのほか誤字も多く、 その予定も、李由には「当年中には」と書き、許六には、「来春には」と記す始末、いずれも実現はしなかった幻の予定となった訳だが・・ とにあれ所用中のため同行できぬ去来に見送られ京都落柿舎を辞し、義仲寺無名庵に六月十五日帰り着き、一晩滞在の後 翌十六日は曲水亭で、支考・維然・臥高・曲水に芭蕉で五吟歌仙が盛大に催される事となった。 主人格の曲水は、師匠の憂さ晴らしの意趣もあり、先ずは差し障りなき題に「田家」を選び 芭蕉もその軽みを、沈んだ師匠への弟子の心と感じ入り 飯あふぐ嬶が馳走や夕涼み(めしあふぐ かかがちそうや ゆうすずみ) と軽妙に詠み込んだ。 「これはこれは 」と喜ぶ弟子どものさんざめきを多とし、歌仙は結局終夜に及んだ。 折からの蒸し暑さを払う曲水の計らいで「冷やし物」としてそうめんや水菓子も十二分に用意され翌朝も食べきれぬまま残り、それすらも お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
November 8, 2020 03:04:38 PM
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