さきほどまで(27日23時)TVでソフィア・コッポラ監督の映画『ロスト・イン・トランスレーション』(2003年)を観ていた。東京にウィスキーのCM撮影にやってきたビル・マーレー演じるアメリカ人俳優と、スカーレット・ヨハンソン演じる写真家の夫について日本にやってきた若妻とが、恋愛感情とまではゆかないが心のつながりを感じるようになって互いの日常の中に別れてゆく。一種のロード・ムービーのような作品。ソフィア・コッポラはこれによって2004年度のアメリカ・アカデミー賞オリジナル脚本賞を獲った。
あいもかわらぬ軽薄日本人群像については何も言うまい。外国人の目に映った日本人、と突き放してもいいが、凝縮すると現代の日本人はあんなものだとも思えなくもない。
ただ、オイオイまだこんなミステイクをしているのかよ、と呆れたカットがある。
ビル・マーレーが新宿のホテル・ハイアットのエレーベーターに乗っているシーン。同様のシーンは何度かあるが、その一つで、日本人客のなかに黒留袖の中年婦人が隅に乗っている。その留袖の着付けが左前だ。
外国映画のなかで外国人女性が日本の着物を部屋着として左前に着ていることはしばしば見受ける。洋服の感覚と同じに着ているのだが、これはしかし文句を言う筋合いではない。だが、日本人女性が着物を左前に着ているのは断じて許せない。たとえエキストラ出演でも、準備段階で着付けが間違っていると言わなければいかんよ。作品のなかでは制作スタッフのせいにすることはできないのだからね、ホテル客の日本婦人が奇妙な左前着付けをしていることになるのだから。エキストラ俳優さん、あなたはホテル客なんですよ。
しかし、こういう日本の常識がこわされているのは外国作品のなかだけではない。最近、やはりTVで観て気がついたのだが、若い俳優の日本語に対する無知だ。工藤栄一監督によるリメイク映画『十三人の刺客』のなかで、狂気の殿様を演じた稲垣吾郎さんが、藩境の橋を強引に突破しようとする自分に相手が何も手を出さないまま立ちふさがるのに対して言い放つ言葉。「手をタバネテ」と稲垣さんは言った。台本にはたぶん「手を束ねて」と書いてあるのだろう。しかし、「手をツカネテ」と言うのが正しい。意味はたしかにタバネルことなのだが、「ツカネル」と言う。監督もスクリプターも、制作スタッフの誰もが間違いに気がつかなかったというわけ。面白い映画なのに、玉に瑕、ですな。
それからNHK・BSで再放送された『刑事コロンボ、構想の死角』のなかで、犯人役のジャック・キャシティが殺される小説家に言う。「小説家はいつもムメイの闇の中にいる」と。
ただしこれは日本語吹き替えだから、声優が間違っているのだ。台本にはおそらく「無明の闇」と書かれていたはず。「ムミョウの闇」と言わなければならない。仏教語です。
決して揚げ足をとるわけではないが、作品として残ってゆきますから、聞き流しているわけにもゆかないと私は思うのだ。やっぱりキズモノだもの。
『十三人の刺客』と『構想の死角』。両者ともにシカク,シカクと並んだのは偶然だが、韻を踏んだかのようでここは私は気に入っている。
ついでながら先日G20に出席した麻生太郎財務大臣の服装が、自らは英国紳士流と思っているのかもしれないが、「ギャング・スタイル」と揶揄されたようだ。冠った帽子がボルサリーノ、しかも斜に冠ったのが災いしたか。一流好みもTPOを心得て粋(イキ)に着こなすのは難しい。爺様の吉田茂のようにはゆかなかった。エレベーターの中の黒留袖の左前を指摘してばかりもいられない文化ギャップ。
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Last updated
Feb 28, 2013 06:12:44 PM
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