明日は68年目の広島原爆の記念日である。
今年4月の国際的な『核兵器の人道的影響に関する共同声明』に、日本は署名しなかった。核兵器を「爆発による即死や破壊のみならず、環境を破壊し、次世代から健康や資源を奪う」と定義した調子の高い声明であったにもかかわらず、被爆国日本はそれに同調しようとはしなかったのだ。
愚かな首相や元首相をはじめ、愛国面をした戦争愛好者たちが、国民の経済的疲弊感と、一方では飽食と享楽に慣れきった、相反する感覚を利用して、国をひっくり返そうと目論んでいる。愚か者の自己肥大化した心は、自分の目論見が国を眞に危機にさらし、若者達の屍体の山を築くことには無頓着だ。
ドイツのように第二次大戦を徹底的に自己批判をして「二度と過ちをくりかえしません」(これは広島原爆碑に刻まれてある言葉)と、厳しい自己規制の憲法を布いてきた国でさへ、戦後68年も経てば、ネオ・ナチなどという野蛮が芽を吹く。我国は太平洋戦争で300万の自国民を死なせた愚劣な国策の歴史を一向に顧みないできた。顧みようという良心的愛国心を、文部省が手先となって潰して来た。それを楯にして悪喨々のラッパが鳴り響く。ひどい国だ。
終戦前夜にこの世に生まれた私は、まさに戦後とともに生きて来た。いまや私の関心はこの国の精神病理にある。非常にやっかいな病を病んでいる。
かつて銃後の愛国国防婦人会のように、狂気となって我が子を、他人の子を、死地に駆立てるようなことを、68歳という老人の域に入りつつある私もやってしまうだろうか。母親や女たちが戦争に反対する力になる、というのは嘘だ。いやいや、そう言ってしまってはいけない。我々は自分が戦場に行かなくてもよい立場になると、悲しみの顔をして他人を(若者を)戦地におもむかせるものだ。きれいごとを言って、戦時法というワナで彼らをからめとって、背中をどやしつけ、蹴り出すのだ。
いま、内閣は、・・・まさにその戦時法への足固めをしようとしている。先日、政府の憲法解釈の番人であるはずの内閣法制局長官を、第9条を改悪して集団的自衛権を容認する(すなわち国防軍を創設する)に積極的な人物にすげかえる人事を発表した。つまり政府の立法的な暴走を阻止する番人がいなくなってしまったということだ。この人事は見過ごしにできない。麻生副総理はある馬鹿者どもの集まりで、憲法改悪はナチスのやりくちに学べと演説した。「誰も気づかないうちに、やれ」ということだ。一見遠い濠から埋めて、なし崩しに既成事実をつくって本丸を落とすやりかた。私は以前から指摘しているが、そのやりくちは、とっくに始まっているのだ。もう、笑っている場合じゃない。
Tadami Yamada "The Crown of The World, 1"
CG, 5 August, 2013 for The Memory of Hiroshima.
山田維史《世界の王冠(1)》
CG,2013年8月5日、広島原爆の日記念