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カテゴリ:国際問題
去る3月6日、ベルリン国立歌劇場(シュターツカペレ・ウンターデンリンデン)において、同歌劇場交響楽団がダニエル・バレンボイム指揮によるウクライナ支援コンサートを開催した。スポンサーは欧州中央銀行(ECB)社長クリスティーヌ・ラガルド氏とドイツ連邦銀行銀行の社長ヨアヒム・ネーゲル氏。 指揮者ダニエル・バレンボイム氏はベルリン国立歌劇場の総監督でいられる。申すまでもなく、現在活躍中の世界的な偉大な指揮者であり、また偉大なピアニストである。 このコンサートのプログラムは、ウクライナ国家に始まり、バレンボイム氏のスピーチ、そしてシューベルト作曲「交響曲第8番 未完成」、ベートーベン作曲「交響曲第8番 英雄」。 私はYouTubeでバレンボイム氏のスピーチを感銘深く聴いた。ドイツ語で話されたが、英語の字幕が付いていた。 ・・・それを日本語に訳してお目にかけたいが、著作権の問題があろう。その指摘があったときには,即座に削除するとして、私は拙訳して重要な意義あるダニエル・バレンボイム氏のスピーチを掲載する。 後に述べようと思うが、国家が、世界が、戦争という重大な危機に瀕しているときに、芸術家が如何なる姿勢をとるべきかということを、私自身芸術家のはしくれとして常々吾が胸に問いかけて来た。 ダニエル・バレンボイム氏のスピーチ 〈 私の祖父母はベラルーシとウクライナの出身で、20世紀初めに反ユダヤ主義計画を免れるためアルゼンチンに逃げました。ヨーロッパは非常な苦難を経験したわけですが、私は第2次世界大戦後に再びここで争いが起ろうとは夢にも思いませんでした。第2次世界戦争がヨーロッパにおける最後の戦争だと信じたのは、おそらく私一人ではありません。 ウクライナの人々の、彼らの国,彼らの生命、そして彼らの自由のために、巨大な力の残虐な侵略に対する勇敢さと決意によって、私たち皆が非常なる感動をさせられました。しかし、それ以上に、ウクライナの人々が私たちの自由と私たちの価値観を頼りにしていることに気付くのです。 私たちは皆さんに、観客の方々に、その共感と支援に感謝いたします。そしてウクライナの国民の皆さんが私たちの連帯を感じてくださることを希望します。しかし、私はまた、いまやロシア人すべてを疑いの目に曝すという罠に陥らないようにと、警告いたします。私たちは、そのような方針を大声ではっきりと非難し、その方針から距離を置く必要があります。私たちは、ロシアの人々や文化に対する魔女狩りを許してはなりません。たとえば、ヨーロッパのさまざまな国でのロシアの音楽や文学などの新たな禁止やボイコットは、私に最悪な団体を思い起こさせます。イタリアにおいてドストイエーフスキーに関するあるシンポジウムが中止になりました。彼がロシア人だという理由です。ポーランドでは昨日からロシア音楽を演奏することが禁止されました。今日のこのコンサートは、このステージ上の音楽家全員からのウクライナのための支援と連帯のしるしです。 私たちの願いは、人々ができるだけ早急に互いを銃撃することを止め、お互いが話し合うことを始めることです。もし音楽から学ぶことが一つあるとすれば、私たちは対比と違いをもって生きることができ、そしてそのように生きなければならないということです。しかし、あらゆる違いにもかかわらず、最終的に調和のとれた共存を達成することが、私たち人間の目標でなければなりません。 これが私たちが戦争の終結とヨーロッパと世界に平和を呼びかける理由です。〉 ベルリン国立歌劇場交響楽団ウクライナ支援コンサート 国家が戦争の危機に瀕したとき、芸術家が如何なる姿勢をとったか、過去を顧みれば多くの事例で知ることができる。 たとば音楽家で言うなら、バレンボイム氏の前世代の巨匠フルトベングラーはナチスの意向に添うてあの時代を生き抜いた。 俳優で言うなら、トーマス・マンの息子クラウス・マンがその小説のモデルとした実在の優秀な俳優グスタフ・グリュントゲンスは、ナチス政権の領袖である宣伝相ゲッペルスとプロイセン州知事ゲーリングとの互いに監督する芸術劇場をめぐる縄張り争いにまきこまれ、自らの栄達への欲望を利用されて、ナチス権力の操り人形になった。・・・クラウス・マンのこの小説を映画化したイシュトヴァーン・サボー監督作品『メフィスト』(1981年、ハンガリー)を私は食い入るように観た。実在のグリュントゲンスは映画の中ではヘンドリック・ヘフゲンという名になっている。ヘフゲンがナチスが操る強烈なスポット・ライトの中央に行くように命じられ、何が何だかわからず右往左往しながら言う。「いったい彼らは私に何を望んでいるのだ。私はただの役者にすぎないのだ」 そのとおり。ただの俳優、ただの音楽家、ただの小説家、ただの画家。それが権力の掌中に墜ちると、自らの意志は容易に無効化され、デマゴーグの手先となり、残虐な殺人指向者の意向を体現して民衆を死へと駆り立てる、ただの操り人形になるのだ。 フランスではどうだっただろう。ジャン・コクトーはナチスに占領されたパリで、ナチスの横暴も戦火もまるで意に返さないかのように、自ら創作した演劇の上演に傾注していた。すくなくともコクトーの戦時下日記から、私はそのように思う。 映画史上に特筆されるマルセル・カルネ監督の『天井桟敷の人々』も、戦時下に3年数ヶ月をついやしての撮影である。1820年代を再現したパリの「犯罪大通り」のすばらしいこと! 私は映画作家の芸術家としての良心と、時勢におもねらない、否、時勢に屈しない真のプライドを感じる。 わが日本ではどうだったか。木下恵介監督の『陸軍』(1944年)は、特筆しなければならない。言論統制が激しく、憲兵によるほとんど恣意的な残虐行為が横行していたときにあって、出征兵士として行進する息子の姿をどこまでもどこまでも追いつづける田中絹代が演じた悲しい母親像は、同時期の日本映画に類例をみない。 芸術作品とは不思議なものだ。作者の意志・意図とはまるで正反対のことを表現してしまうことが少なくない。たとえば藤田嗣治の戦争画は、戦意昂揚を目的として描かれたとされている。そしてそのような意識が藤田になかったとは言いきれない。しかし兵士の転がる屍体の存在に目を向けると、あるいは藤田は戦争というものの実相を描きたかったのではないかとも思える。つまり、藤田が戦争画を描いた当時、藤田の意図がどうあろうと、人々はたしかにその絵により戦意昂揚したのである。 芸術作品とは、プロパガンダを意図したものでないかぎり、宿命のように二面性をそなえているのだ。 また、小林秀雄は真珠湾奇襲による開戦をこおどりして喜んだ。その喜びを雑誌に寄稿した。しかしながら、終戦と同時にそのような文章を発表したことに口を噤んだ。生前出版された数度にわたる全集にも収録しなかった。この文章は完全に作者自身のずる賢い生き方のために、作者自身が履歴から抹消した。・・・つもりだったのだろう。しかし国会図書館のような書庫の掲載誌まで抹消はできなかった。 このような小林秀雄の生き方について、友人だった大岡昇平は『成城だより』のなかで、「過去をふりかえらない」と、やんわり評している。 小林秀雄は修辞が巧みな評論家だ。しかしながら、対談や対論において自分が不得意な問題に入ると、その修辞的な物言いで巧みに主題を変えてしまう。私がずる賢いと言う由縁だ。自ら時流に乗って生きると言い、日本の偉大な知性と言われ、文学評論家としてまことに幸福な生涯をおくった。はは、日本人の知性とはそんな程度? 21世紀の主権国家に対して、現在、のぼせあがった首長の欲望による残虐非道な侵略戦争がしかけられるとは、バレンボイム氏が言うように、夢にも思わなかった人は少なくないかもしれない。私もその一人だっただろうか? いや、私はずっと戦争が起ることを警戒してきた。私のこのブログ日記を読んでくださっている方は、きっとお気付きであろう。私は、「おまえの取り越し苦労だよ」とからかわれようとも、戦争を指向する人たちとはまったく逆の立場で戦争が起る可能性が大きいことを語って来た。吾が日本では、すでに昭和の終戦直後いくばくもたたないうちに、着々と再軍備の道へ進もうと「努力」していた政治家や民間団体はあったのだ。そのなかの年寄連中は昔ながらの白兵戦を夢想しているようだった。戦争のセの字からも遠い若者は、自分が兵隊にとられることになるとも想わないのか、マンガや電子ゲームのなかの戦争が実際の戦争と同じだと想っているのか・・・戦争指向(嗜好)者が以外にも多いらしい。私には、自分のみじめな戦死を想像できない若者がまったく理解できない。若者が戦争を娯楽のように望むのだから、若者を戦場に送らないようにしなければならないという私の願いは、まったくの無駄なのだろうか? そのような日本の現状で、少なくとも、・・・あるいは、おそらく、・・・芸術的な表現活動にかかわっている人は、言論統制が現実的であることと、その底にキナ臭いものがうごめいていることを実感しているに違いない。 私は、いま、私自身の姿勢を自らに問い、糾している。 イシュトヴァーン・サボー監督作品『メフィスト』の 日本公開パンフレット(シネマスクエアとうきゅう) イシュトヴァーン・サボー監督作品『メフィスト』の オリジナル・ポスター お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Mar 28, 2022 08:28:15 PM
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