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カテゴリ:戦中・戦後
もうあれから77年も経つのだ。 77年前の8月15日、学徒動員先の海軍航空技術廠で朝職場の責任者からお昼に重大発表があるので事務所に全員集合するようにとの指示があった。 12時に事務所の拡声器(スピーカー)から流れ出たのは今上天皇(昭和天皇)のあの独特のイントネーションの声だった。 大本営発表の戦況報道では日本は勝っていたはず。 でも日本は負けた。 ショックだった。 これから日本はどうなるのだろうと。 この海軍航空技術廠には旧制中学の1年2学期から学徒動員令で勉学を打ち切り、総務部発電工場に勤労動員で来ていた。 その間、米軍の急降下爆撃機による爆撃で爆風を浴びたこともある。 また横浜の自宅周辺も空襲で焼け野原になってしまったこともある。 米軍だって罪のない一般人を対象に攻撃していたのだ。 昔も今も戦争でやることには変わりはない。 ま、かくして学徒動員は1年で終わりとなった。 この終戦の日から数日後だったろうか、ラジオから「警戒警報解除」のアナウンスが流れたときのあの「ほっと」した安堵感は今も忘れられない。 もうこれで敵機の空襲で逃げ惑うこともないのだと。 ただ今回のウクライナ紛争で、77年経った現在、またまた戦争を身近に感じるようになってしまった。 ウクライナの方々も一日も早く戦争が終わって、安心して生活が出来るようになって貰いたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.08.16 22:01:51
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