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テーマ:猫のいる生活(136873)
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私は超常現象なるものを一切信じてません。
あんなモンは、単に科学的解明がまだか、そもそもバカバカしくて学者が解明しようとしないか、たまたまの偶然か、体験した人の勘違いか、それともウソを云ってたりペテンだったり。 それでも世の中には信じてる人もいるし、またTVが面白おかしくドキュメンタリータッチで放映しますからね。 例の黄金のマスクで象徴される。 マスクはカイロのエジプト考古学博物館に収蔵されてます。 このマスク、顔と首の部分は、明るい色合いの18.4カラットの金が、マスクの他の領域は22.5カラットの金が使われているそうです。 マスクの両肩部分には、古代エジプトで死者とともに埋葬されたパピルスの巻き物「死者の書」にある古代の呪文が神聖象形文字で刻印されています。 黄金のマスクがあまりに有名になり過ぎて、ツタンカーメン王そのものの人気がイマイチですが、ツタンカーメンのミイラは防腐処理が失敗したらしくって、保存状態が良くなかったのですね。 結果的にはミイラするのに失敗に近い形に終わってしまったようです。 体には包帯が巻かれていましたが、その中に大量の護符が織り込まれていました。 それ以外にきわめて多くの装飾品がミイラの中に織り込まれていたのですね。 ツタンカーメンの死因は記録がなく、長らく論争の的になってました。 ミイラの頭部についてた傷やいくつかの骨の裂傷などから暗殺説が有力だったのですね。 ところが近年の研究で、悪性マラリアを引き起こす寄生虫「熱帯熱マラリア原虫」の痕跡がミイラより発見されたり、先天的な虚弱性疾患があったことも分かって、骨の骨折は何らかの原因で落下したのでは?と考えられるようになりました。 墓を見つけたのはハワード・カーターと云うイギリス人のエジプト考古学者です。 カーターはイギリス貴族カーナヴォン伯ジョージ・ハーバート(カーナーヴォン卿)の資金援助で、王家の谷の発掘調査に着手。 そして第一次世界大戦による中断を挟みつつ、援助契約の切れる1922年、ついに「世紀の発見」と云われるツタンカーメン王の墓を発見したのです。 発掘作業員の取りまとめ役だった祖父とともに現場へ通ってた12歳のエジプト人少年フセイン・アブドルラスールが連れてたロバがつまずいてしまったのですね。 このロバには水甕を載せていたのですが、この甕が壊れて水がこぼれて、地下墓地への階段が露わになったのです。 1922年11月1日、ハワード カーターと彼のスタッフは瓦礫の撤去を開始し、その3日後に岩に刻まれた段差を発見したのです。 彼らは階段を下りていき、屋根があり漆喰で覆われ、シールが貼られた出入り口を発見しました。 扉を開けると、そこには少年王「ツタンカーメン」の名前が。 しかもジョージが死亡した時刻、彼の自宅では飼い犬が大きな遠吠えをあげて死んだのです。 遺体で発見されたホテルの部屋は、以来誰も使用していません。 この急死は「王家の呪い」「ツタンカーメンの呪い」と呼ばれて大きな話題となりました。 実際には、ジョージの死の約1ヵ月前、彼はアスワンで数日間の静養を取っています。 そのとき蚊に刺された頬の腫れ痕を、ひげ剃りの時にうっかり傷つけてしまいました。 傷跡は処置したものの直後に発熱、2日後には回復しましたが間も無く再発しました。 治療の為にコンティネンタルサヴォイホテルに搬送されたのですが、家族や友人の見守る中、息を引き取ったのです。 死因は虫さされにより丹毒を患い、出血の際に菌血症になった結果、肺炎を惹き起したのですね。 そもそも王家の呪いなんてもの存在しないのです。 なぜなら、墓の発見者張本人ハワード・カーターは1939年、64歳で息を引き取ってます。 「王家の呪い」は、当時のマスメディアが発掘報道を独占したタイムズに反発して、発掘と少しでも関わりある者が死ぬたびに「呪いによる死」とまことしやかに報道したことで広まったのです。 発見者カーターにまでこの害は及び、同姓同名の別人が交通事故で死亡したときには、あたかもハワード・カーター本人が事故死したかのように書き立てられたのですね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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