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テーマ:猫のいる生活(138411)
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モロッコ北部に「タンジール」と云う風光明媚な港町があります。
ジブラルタル海峡に面し、スペインやジブラルタルから多くのフェリーが行き来し、国際都市として昔から栄えている街です。 スペインまでだったら高速フェリーで1時間の近さです。 タンジールは英語読みで、モロッコの公用語であるアラビア語では「タンジェ」と呼ばれてます。 このタンジールは第2次大戦中は立地から、各国のスパイが暗躍した土地でもあります。 それは「タンジェ アメリカ公使館」です。 公使館が国定歴史建造物と云うのも奇妙な話ですが、タンジェのアメリカ公使館はアメリカ政府が所有する初めての外国の土地であるとともに、その歴史が国定歴史建造物に成らしめてるのです。 この建物は1821年にモロッコのスルタンから米国政府に寄贈されました。 この当時、アメリカはまだ新興国で、一方、ほとんどのヨーロッパ列強はタンジールに常勤代表を置いてたのですね。 そこで、スルタン・アブデラフマンは新興国アメリカに小さな家を提供してくれたのです。 その建物は人気ある不動産でもなければ、初期の隣人には売春宿まで有りました。 アメリカがここに領事館を設置した当初、ネズミと湿気で領事館のファイルや書籍が荒らされたほどです。 この建物寄贈の裏にはモロッコ側の非常な配慮があったのですね。 1777年、ヨーロッパ列強がアメリカ独立戦争に介入するか否かを議論する中、モロッコのスルタン、ムーレイ・モハメッド・ベン・アブダラはイギリスからのアメリカの独立を認める宣言を出してくれたのです。 これがアメリカにとって、イギリスからの独立を認める最初の国でした。 さらにスルタンは、アメリカの船舶がモロッコの港に来て「自由に航行する」ことを認めました。 スルタンは、海上貿易と関税収入に関して、アメリカと云う新しい国家を潜在的な貿易相手国と見ていたのです。 現在は「アラブの春」によってスルタンの権限は極端に制限されましたが 今なを国民には根強い人気があります スタルタンは「イスラム教信徒たちの長」とも呼ばれてます タンジェ アメリカ公使館は長年にわたり外交官邸、在外領事館、平和部隊訓練センター、スパイ活動本部、博物館、図書館、コミュニティ・センターとして使われてきました。 それはアメリカの文化外交とともに、モロッコとアメリカの友好関係の強力な象徴として存在してきたのです。 そのため1976年に元アメリカ外交官らがこの建物の修復と保存を目的とした非営利団体タンジェ アメリカ公使館博物館協会を設立したのですね。 それ以来、この建物は文化センター、博物館、研究図書館として機能し、アラビア語の研究に重点を置いてます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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