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pretty物欲

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September 21, 2008
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カテゴリ:意見・提言
相変わらず、
テレビ番組の主張はアホだなぁ
と思ったことがある。

嬬恋村が地熱発電所設置のための試掘をはじめることを、
隣町の草津町が、温泉資源の枯渇の恐れがあるとして大反対をする、
というニュース。

それを伝える昼時のワイドショーは、
試掘は嬬恋村のあるまじき行動で、許されない、
という論調で伝えている。
最初にマスコミによって論調が作られているのだ。

それを深く追うとされる「ニュースレポーター」というタレント崩れも、
スタジオにいる似非コメンテーター連中も、
番組の論調に沿って一面からの意見を正当と決めつけたうえで、
個人的感情でモノを話す。

「温泉は公共の財産だ」とか、
「だってぼくは温泉が好きだから」
などと笑いながら話す状況を放送しているのである。

取材引用された地下開発の専門家の意見として
「何でもまず反対する態度はいかがなものか」
という、番組の論調の反対発言を放送するも、
それはまったく無視して、
ただ、だらだらと感情的意見で塗りたくって、放送。

仮にも「ニュース」を標榜する番組が、
公共の電波で、
モノを言えばこの程度。

しかもこれらアホ番組に洗脳されて、
感情的にモノを言うことが正しいとされる国民意識が、
醸成されていることに危機感すら覚える。

(ま、時間的に暇で物を考えない主婦しか見ないと思うけどさ)

そして、
テレビはアホだ、見るに値しない、
とボクは毎回思い、こうしてブログで糾弾することになる。
いつになっても、テレビの論調なんてこんなものだ。

まず、番組による問題の掘り下げ方が、幼稚なのだ。
マスコミは中立でなければならない、とは全く考えないようだ。
論調はマスコミが偏ってつけて、
おもしろければいい、みたいなところがある。

ボクが思うに、マスコミのまず最初にあるべき姿とは、
たくさんの情報を集め、
各方面の利益に基づいたバイアスを徹底的に排除して、
誰の視点に立って物を考えるか、を常に意識して報道することである。

それはつまり、科学的手法をもって、
問題は論理的に整理されるべきである。

今回のケースでいえば、
温泉がなくなる(恐れがある)から試掘が悪い、
という、科学的裏付けのない感情的な1意見に
番組が「のっかる」のではなく、
何が行われようとしているのか、を正確に知り、
それによってどうかわることになるのか、
という結果を科学的に検証し、
評価することである。

つまり、
いまある草津温泉に群がる利権から出た、
「温泉が無くなるかもしれない」
という非科学的な言葉を、排除するところから始まるべきなのだ。

「温泉は国民の財産」
「年間xx万人の観光客の皆様のために」
「日本一を誇る温泉湧出量」
「xx年続いた湯を守るのが我々の使命」

草津温泉の関係者から発せられたこれらの言葉は、
安易な自らの利権絡みの言葉だと、気づかなければならない。

国民とは、千差万別である。
温泉が好きではないひともいるし、
嫌いどころか、あの硫黄臭を体質が受け付けないというひともいる。

「温泉は国民の財産」などというたいそうなものではない、
とボクは断じる。
一部の温泉ファンが、愛で憧れる対象。その程度である。
1億総温泉好き、という安易な論調は、
マスコミはまず切り捨てるべきだ。

「xx年の歴史」という言い方も、それは実はたいしたものではない。
歴史を尊ぶ傾向のある日本人、
特に中年以降のジジィババァが、
この手の論調に堕いりがちだけれども。

なんでも、続けば、「歴史」扱い。
コケの一念岩をも通す、
というのは日本人の悪い癖である。

続けたことが自動的に価値になるのでは、断じて、ない。
それが本当に守るべき「歴史」なのか、という思考があってしかるべきだ。
それが、まったく抜け落ちている。
過去の亡霊の判断を流用し、自分の心で考えていない。

ボクの一番きらいな思考パターンである。
オヤクニンの異常思考にそっくりである。

その歴史がたとえ数百年、数千年続いたものであっても、
現在の価値観で再評価して不要であれば、
それは消えていくべきなのだ。

歴史をなりふりかまわず「聖域」にすることで、
不要なものまで積み上がって、
歴史は「秩序」という名前に姿を変え、
根拠のない「ルール」と化していく。
ヒト自らが自由を束縛する法則である。

「日本一」という言い方にも、日本国民は弱い。
他国でもやはり、なんでもナンバーワンに憧れる傾向があるので、
これは人間全般の特性かもしれない。

なんでも上から数え、そのなかでも”1番”というものに、
なにか怪しげな付加価値をつけて取り扱う。
宗教的な色をつけたりもするのが、日本人の特性でもある。
神様だの、歴史上いたとされる人物だの、
誰かの口伝による奇跡だの、
現在となっては科学的に検証しようのないことを
引き合いに出しているのが、
まったく胡散臭いという根拠である。

だいたいどれも、そうである。
それによって、ブランド=権威を保とうとするのである。
ブランドという盾の向こう側には、必ず、
それにまつわる利権を得ている連中が、こっそり群れている。

そういうことがあるのでは?と、
「歴史」は疑ってかかった方がいい。
これは、ちょっと考えればわかることだ。

今回の草津温泉の件に対しては、
「観光客」というのもひきあいに出すにはあてが外れている。
観光客は、自分の住む場所にない観光スポットのある場所を
「観光地」と定め、物珍しさにひかれて
目指してくるだけのことである。
今回の深い問題を考える当事者にはなり得ない。

草津の観光利権当事者の考えるほど、
名指しで草津にきたいと思う観光客だって、
そうはいないのである。

さて、論点の核心に入る。
古い温泉と新しい発電所、
どちらをとるのが日本国の、世界の、地球の利益になるのか?

温泉資源はそれの利権に群がる一部の国民の利益、
発電所は電気を必要としている、ほぼ全国民の利益になる。
どちらに公共性があるか、といえば
そんなことは一見してわかる。

エネルギー面から見ると、
草津の温泉湧出現場は、
地熱という地球エネルギーの垂れ流しをしている。
高温で湧出した湯を、大気に放出して冷まして、
ヒトが湯に入るためだけのために使っている。

もしあの熱エネルギーを集めてタービンを回せれば、
あるいは改良された熱電素子で、
お湯程度の温度からも効率的に電子を取り出す方法が確立されれば、
そのエネルギーを電気に変換して、全国民によって活用できる。
自然エネルギーの活用促進で、
いまある環境負荷の高い火力発電所を、止められるかもしれない。
CO2排出量を今後抑えられる可能性を秘めている。

その地熱発電所とはいえ、金銭面でいえば
投資コストに対して回収ができなければならないという論調がある。
CO2排出量面でいっても、
建設における総排出量と、発電所寿命における発電量をCO2相当換算して、
回収できなければならない。
たしかにそういう視点は、重要だ。
作った、無駄だった、では困るのである。
その計算には、相当の調査が必要だろう。

その場所その深さで、どれだけの地熱エネルギーが取り出せるのか。
それによる発電所建設コスト、CO2排出量はどうか。
科学に実験はつきものである。
だから、調査のために試掘からはじめるのは、
理にかなっている。

だからボクは試掘に大賛成である。

試掘さえ、草津に言わせれば
「地下をいじめる」などという
科学的根拠のない感情的反対を展開する。

草津は、何もしないことで過去を引き継ぎ、
自らだけの利益構造を守り、
安泰でいようとする。
草津のステークホルダー連中のこのような態度に、
ボクは強い嫌悪感を覚える。
もう一度言う、
事なかれ主義のオヤクニンと、思考方法がまったく同じだからだ。

たとえ試掘によって、一温泉地の湧出量変動のリスクがあろうとも、
しょせんは、一温泉地。
国民からみれば、草津が枯れても、ほかがある。
しかも、いま、日本一の湧出量を誇るならば、
多少減っても、不便はない。
湯もみと称して、源泉を冷ますくらいなんだから。

ボクは主張する。
試掘、調査はされるべきだ。
草津のような懐古主義主張が許されれば、
日本は過去を尊重しすぎる傾向が強くなる。

その結果、日本は古いものといっしょに、衰退、自滅に向かうのである。
その、もっと巨大なリスクに考えを及ばせる想像力が、
いまの日本人には必要だ。





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最終更新日  September 21, 2008 12:55:51 PM


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