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釈迦楽

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April 21, 2005
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カテゴリ:教授の追悼記
皆さんは朝、新聞を開くとき、どこから読み始めますか? 私は「訃報欄」にまず目が行きます。というと何だか不謹慎なようですが、やはりどんな形であれ、自分の知っている人が亡くなった、というニュースほど大きなニュースはないと思うからです。

今朝、丹羽文雄さんの亡くなられたことが報道されていましたね。しかし、それ以上に私を驚かせたのは、岡本敏子さんが亡くなったというニュースでした。

ご存じのように、岡本敏子さんは岡本太郎さんの秘書を長く務められ、そしてその後、生涯結婚されなかった太郎さんの養女となられました。そんな彼女の存在がにわかに輝き出したのは、太郎さんが亡くなられてからだったと思います。それはそうでしょう。岡本太郎という人があまりにも強烈に人生を燃焼させていたので、その陰にいた敏子さんのことは、彼が亡くなるまで世間の人はその存在すら知らなかったのです。

しかし、太郎さんが亡くなってから、敏子さんの活躍が始まりました。今まで抑えに抑えていた力を一気に解放したかのように、敏子さんの精力的な活動が始まったのです。ちょうど太陽が沈んだ後に、月が輝き出すように。その活動は、岡本太郎記念館の館長としての仕事の他、『岡本太郎に乾杯』『岡本太郎が、いる』その他、太郎との思い出を綴ったもの、太郎の残した原稿を編纂したものなど、岡本太郎に係わる本を次々と出版することに注がれました。振り返ってみればこの10年ほどの間の敏子さんの活動は、そのすべてが岡本太郎の芸術・岡本太郎の人生を後世に伝えること、ただそのことだけに捧げられたと言ってもいいでしょう。長い間、常に岡本太郎の側に控えていた者として、それをご自身の使命と考えておられたのだろうと思います。そしてその使命は十分に果たされました。私たちは敏子さんの描く太郎像を通して、彼のことをよりよく知ることができるようになったのですから。

それにしても敏子さんの書かれた本を読むと、この人は本当に無邪気に、心の底から岡本太郎という男に惚れていたんだなあ、と思います。こういう人に支えられていたからこそ、太郎も存分にやんちゃができたのでしょう。

もしあの世というものがあるなら、敏子さんは今頃、また「爆発」している太郎を見つけて、その世話を焼いているのかも知れません。そうであったらいいな、と私は思います。





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Last updated  April 21, 2005 10:44:50 AM
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