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テーマ:暮らしを楽しむ(385318)
カテゴリ:今日もいい日だ
昨日、ついに年賀状を購入しました! って、遅いですか? 大抵の方はもうとっくに買ってあるのかな? しかし、この前お正月だと思ってたら、もう来年用の年賀状を書くシーズンになったんですなー。いやはや、早いもんだ。 ところで、ま、これは一つの自慢というか、自負なんですけど、私はいまだにすべての年賀状を手書きで書きます。宛名から何からぜーんぶ。さすがに自宅の住所はハンコをペッタンペッタン押しますが、本文は基本的に全部万年筆による手書き。 しかも、「旧年中はお世話になりました。今年もよろしくお願いします」なんていい加減なもんじゃないですよ。相手に合わせて全部話題を変えますから。 しかも、小学校1年生の時の担任から始めて、2年生の時の担任、3年生の時の担任・・・という感じで、お世話になった担任の先生方にはいまだに出し続けているという気合いの入り方。どうです、すごいでしょ? 自分でも「すごいな」と思います。 ま、実際には、10年ぐらい前から年賀状を差し上げなくなった担任の先生も何人かいますが、これはその先生方が私が差し上げた年賀状への返事として、ずっと印刷した年賀状ばかりを下さったからです。卒業後、20年経ってもまだ細々と近況を報告してくる教え子の年賀状に対し、毎回形式的な印刷物で対応する、その心根に共感が持てなくなったためなんです。 私は私自身が教職に就いていますから、卒業後までも手紙をくれる教え子がいかに少ないか、よく分かっています。逆に、卒業後もずっと年賀状をくれる教え子は、私と共に過ごした学生時代のことを楽しかったと思っていてくれているはずですから、そういう卒業生を私は何より大切にします。それが人情というものでしょう。ですから、私が年賀状を差し上げるのを止めたかつての担任の先生たちというのは、その辺の人情が通じない方なんだ、と私なりに判断させていただいた方々なんです。ま、人のことをとやかく言うつもりはありませんが、あえて言わせていただくならば、こんな簡単で素朴な人情も分からない人に、教師の資格なんかありません。 ま、それはともかく、そんな調子ですから、たかだか百数十枚の年賀状を書くにしても、1日数枚ずつ書いてまるまる1ヶ月掛かります。しかも年末の忙しい時にやるものですから、なかなか大変です。 でも、それはまた楽しい作業でもあります。何しろ私は、時代錯誤的に筆まめな人間なので。それに、親しい人の顔を思い浮かべながら、自分とその人との間で通じる話題について書くのは、本来的に楽しいもんですよ。 ちなみに、小学校時代の担任の先生方に書く場合は「自慢」をすることが多いかな。「昨年はこんな本を出版しました」とか、「今度○○社から出版される辞書には、私も執筆しています」とか、そんな感じですね。これは、私の成長ぶりを見ていただきたいためでもありますが、子供の頃にお世話になった先生方というのは、いわば自分の親みたいなところがありますから、要するに甘えているんですね。 また大学時代・大学院時代の先輩や友人に対しては、「昨年読んだ本・ベスト10」みたいな感じの年賀状を出すことが多いですね。もちろん映画好きの先輩や友人に対しては「昨年見た映画・ベスト10」に変えたりもします。 一方、仕事上の同僚や、日頃お世話になっている方々に対しては、これはもういつも身近に接している方々ばかりですから、ケース・バイ・ケースで話題を変えます。 そして教え子からの年賀状については、逆に彼らの「甘え」を楽しく聞いてあげるようにしています。それが「順番」だと思っていますから。 ま、そんなこんなで、今年もこれから毎日、年賀状を書き続ける日々となるわけですわ。愛用のウォーターマンの万年筆に新たにインクを注入して、さあ、今日から取りかかりますか。 今日から「師走」、ですね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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