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テーマ:暮らしを楽しむ(385319)
カテゴリ:今日もいい日だ
私の大学の研究室は建物の3階にあるのですが、そこの窓辺に大きな欅の木が立っていて、これが精一杯、好き勝手に枝を張っているんです。ですから夏場はもう窓一面が風にそよぐ緑に埋まり、木の向こう側なんか見えなくなってしまう。もちろん、それはそれでなかなか良い感じです。 しかしこれが今時分になりますと、あれよ、あれよという間に葉が散っていって、日一日と見通しがよくなってくるんです。もう半分くらい落葉したかな? 多分来週あたりには、この木も完全な裸木となって、ビュッフェの絵に出てくるような輪郭鋭い放射状の枝を、冬の寒空に向かって突き出すようになるでしょう。そうするとまたしばらくぶりで、木の枝越しに遠くの景色がこの部屋からもはっきりと見えてくることになる。それもまた善きかな、なんですけどね。 ところで、そうやって窓から見える冬の景色がどんどん広がって来る頃になると、私はジャニス・イアンというアメリカの女性歌手の歌が妙に聴きたくなってくるんです。ま、彼女の場合、季節としての冬、あるいは心の中の冬を歌った名曲が多いせいでしょう。ということで、ここ数日、家でも彼女のCDをよくかけています。 ところでジャニス・イアンって、ご存じでしょうか。かつて多摩川の氾濫で家を失う家族を描いた山田太一のテレビ・ドラマ、『岸辺のアルバム』をご覧になっていた方なら、テーマソングとして使われていた「ウィル・ユー・ダンス?」という歌を覚えておられると思いますが、あれを歌っていたのがジャニス・イアンです。1970年代に活躍したシンガー&ソングライターで、私もちょうど洋楽を聴き始めた頃ですし、こう言っては何ですが、どちらかというと「素人受け」する曲調の曲を作る人ですから、子供の頃の私にとっては好きな歌手の一人でしたね。もちろん、その頃は歌詞の意味なんて分かりませんから、曲調で好き嫌いを決めるしかないんですけど、しかし、当時も「何となく寂しい曲だなぁ」という感じはしたので、夏に聴きたいとは思わなかった。私の中で「ジャニス・イアン=冬」というイメージは昔からあったんです。 で、歌詞の意味が分かるようになってから改めて聴いてみると、これがやっぱり寂しく哀しい歌なんですわ。例えば、男の子たちから見向きもされないような、パッとしない17歳の女の子の歌、とかね。ボーイフレンドが一人もいないことを知られないように、わざと人前で、切れている電話に向かって架空のボーイフレンドとおしゃべりを続ける17歳の女の子の思いを歌った歌なんて、もう最高に哀しいじゃないですか。ま、そんな感じの歌ばっかですわ。しかも、それが本人の体験に基づく実話だっていう噂ですから、ますます哀しい。 でも、世の名曲っていうのは、大抵、寂しい歌・哀しい歌ですからね。特に女性が歌う歌の場合、惨めったらしい歌の方が名曲である場合が多いような気がする。「着てはもらえぬセーターを、涙こらえて編んでます」とかね。また私は荒井由美時代のユーミンを高く評価するものですが、当時の彼女の歌の歌詞なんて、哀しいのばっかですよ。「輝きは戻らない、私が今死んでも」とか、「悲しいことがあると、開く革の表紙。卒業写真のあの人は優しい目をしてる」とか、そんな過去を引きずったネガティヴな歌ばっかりでしょう? だから良かったんですよねー。逆に松任谷由美になってからはポジティヴな歌が増えてしまって、その結果、今日の人気の凋落ですからね(ボカッ! 痛! あ、ファンの方でしたか・・・)。 ま、都はるみやユーミンはともかくとして、ジャニス・イアンの歌というのは、冬の寒空を背景に聴くとぴったり来るんですなあ。実は私のゼミ生で、アメリカン・ポップスの歴史を卒論のテーマに選んでいる優秀な奴がいるもので、1970年代のことを述べる時に、ほんの一言でもジャニス・イアンに言及させようかなと思い、今日、これから紹介しようと思っているのです。 ということで、彼に紹介するついでに、ブログをお読みの皆さんにも紹介してしまいましょう。 冬の寒空にジャニス・イアン。これ、教授のおすすめ! です。 これこれ! ↓ ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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