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カテゴリ:わけ分からん
私が毎日大学まで通う通勤路の途中に、一部小高い丘のようなところがありまして、以前はそこにちょっとした林があり、なかなか爽やかないい眺めだったんです。ところが、その林が昨年の秋頃、無惨に刈り取られてしまった。で、おやおや、また無粋なマンションでも建つのかしらと思っていたら、それよりももっと無粋なものが建ってしまったんです。巨大なパチンコ屋さんです。 で、これがまたでっかい、でっかい。パチンコ屋さんそのものも大きいけれど、駐車場がものすごい。いくら何でもこんな広大な駐車場が必要なの? と思えるほど広大で、丘の上にあることもあって、パッと見たところ、文字通り、地平線まで駐車場という感じ。 ところが、最近そのパチンコ屋さんがオープンしたところ、その地平線まで続く駐車場が見事に満杯になるんですな。いや、それどころか、どうもそれだけでは足りなかったらしく、急遽隣接地まで買収して、臨時駐車場を作っている様子。満杯の駐車場に入ろうとする車の列を捌くため、何人もの警備員が汗だくになっています。といってこれは土曜日・日曜日のことではなく、平日の午後5時とか6時の話ですよ。 名古屋ってのはパチンコ発祥の地だと聞きますが、それにしても一体何なんでしょう、この騒ぎは・・・。平日の5時、6時といった時間帯に、駐車場の空き待ちまでしてまでパチンコに興じたいというこの群衆は、一体どういう人たちなのか・・・。 いや、もちろんパチンコをするのが一概に悪いというわけではありません。私の親友にも好きなのがいますからね。彼曰く、パチンコというのは、それをやっている間はなーんにも考えなくていいので、仕事のストレスを発散させるのには最適だ、と言うんですな。ま、そう言われれば、パチンコも立派に世のため人のためになっているのかな、とも思います。 しかし・・・仕事のストレスを発散するためなんだか、何のためなんだか、とにかくなーんにも考えず、無表情にもくもくとパチンコをしている群衆という図というのは、想像するだにシュールな感じがしませんかね。 映画『マトリックス』では、この世界は実は単なる夢に過ぎず、実際には人間は使い捨ての電池のように、生命エネルギーの供給源として機械につながれ、消費されている未来社会が描かれていますが、パチンコだのスロットだのといった「機械」につながれ、我を忘れて呆然とお金と時間を費やしている群衆というのは、ある意味、『マトリックス』が描く未来世界そのもののようではありませぬか。 でも、こういうところに来るのが好きな人たちに向かって「パチンコ以外で、もっとマシな時間の過ごし方、ないの?」と尋ねたとしても、ないんでしょうね。何も思いつかないんだろうな。 結局、生活のために仕事をする、あるいは稼いだお金を消費する、ということ以外で、何をすればいいか、ということを教わる場がないということなんでしょう。となれば、自分でそれを見つけられない人は、パチンコでもする以外ないのも致し方ないのかも知れません。もちろん、日曜日に家族でショッピングセンターに出かけてしまう人たちも、無為に時間を潰しているという点では、パチンコ組と同じです。 アメリカに住む私のイラン人の友人夫妻は、異国にあってイランの伝統文化を忘れないよう、イラン独特の楽器の演奏法を習い、時に演奏会に参加して楽しんでいます。またアメリカ人の友人の女性は、80歳になってもまだボランティアとして病院で看護婦の仕事をなさっていました。その他にも、何か意義のあることをして自ら楽しみ、また他人の役に立ちたいと考え、行動している外国人の友人を沢山持っている私としては、上に述べてきたような、日本人一般の余暇の過ごし方に関して、とても大きな疑問を抱かざるを得ない・・・。私は日本という国を愛することにかけては人後に落ちないつもりなんですけれど、こういう面での彼我の違いを見せつけられてしまうと、トホホな気分になってしまいます。 かくして、今日も大学からの帰り道、パチンコ渋滞を横目で見ながら、「マトリックス」ならぬ「パチスロリックス」につながれた人々の無味乾燥な生活ぶりを思いつつ、ついつい余計な思いを馳せてしまったワタクシなのでした。それが余計なお世話だ、ということは重々承知しているんですけどね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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