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カテゴリ:教授の読書日記
サッカーの日本代表が選出され、いよいよWカップが近づいてきたという感じがしますね。 ところでサッカーと言うと、いつも私は思うのですが、たとえば一人の選手がボールを受けたら、その選手を味方選手が十重二十重に取り囲んで護衛し、その集団のまま相手ゴールにゆっくり近づいていって、そのままゴールになだれ込むというのでは、ダメなんでしょうか? なまじパスしたりするから相手ディフェンスにボールをインターセプトされちゃうので、最初から「パスはしない」方針で行けばいいのでは? その場合、護衛用の選手には、日本が誇る「フィジカルに強い」連中、つまり力士を使うわけですよ。そういうのはルール違反なのか知らん? さて、それはともかく、楽天ブックスで注文しておいた千葉敦子著『ニューヨークの24時』が今日届きました。で、夕食後、ざっと半分くらい読み終わったのですが、まあ予想していたような本でしたね。つまり、そこそこ面白い、という意味ですが。 この本、故・千葉敦子さんが、ニューヨークでフリー・ジャーナリストとして生きてきたその経験を踏まえながら、取材・調査・情報整理・執筆・息抜き・健康管理・・・といった、ジャーナリストとして生き延びるためのノウハウを縦横に語りつつ、さらに24時間眠らない街・ニューヨークの魅力を語り尽くすという趣向なんです。 ところで、この種の本というのは「時代性」というか、「タイムラグ」という弱点から逃れることはできません。千葉さんのこの本にしても、それが書かれたのは1986年で、今からちょうど20年前ということになる。ですから書かれていることのところどころに、時代を感じさせるところがあるんですね。たとえば、「日本人は手書きが好きで、プロのジャーナリストでも今だに手書きで原稿を書いている人がいるけれど、ワープロを使えばもっと早く書けるようになるのだから、早くワープロに習熟すべきだ」なんて趣旨のことが書いてあったりする。もちろん、今どきのジャーナリストがパソコンを使っていないはずはないので、千葉さんの先進性は認めつつも、この種のアドバイスに関しては、それが現代を生きる我々にとって参考になる、というものではありません。 また、「ジャーナリストの朝は、新聞の切り抜きから始まる」、みたいなことが書いてあると、今のようにインターネットが普及している現在、昔ながらの切り抜きというのは、果たして有効なのだろうか、などとちょっと思ってしまったりして。 ま、そんな調子で、ところどころに時代の古さを感じるところはあるんです。が、それ以外の部分に関しては、今読んでもとても興味深いし、千葉さんのニューヨーク生活の充実ぶりには、ただただ目を見張るばかり。 何に目を見張るかというと、やはり「時間の使い方」が日本人離れしてエネルギッシュ、ということですね。とにかく、時間を無駄にしない、というのが千葉さんの習い性なんです。 いや、それは千葉さんの習い性、というより、ニューヨークの習い性、と言った方がいいのかな? ニューヨークのエグゼキュティヴは、朝8時にはエンジン全開で働いているといいますから、そういう連中をつかまえてインタビューする、なんてことになると、彼らが働き始める直前の10分、15分という時間しかないわけ。そういう時間でツボを押さえた取材をするとなれば、それはもう事前の調査が十分でなければならないし、「~についてどう思いますか?」なんてアバウトな質問ではどうしようもない。ですから、こういう街で、しかも収入は自分が書いた記事の印税だけなんて状態で生きていくとなれば、時間の使い方だって必然的に研ぎ澄まされた、エネルギッシュなものにならざるを得ないのでしょう。 でまた、のらくらしていたらサバイバルできない街であるだけに、そこに生きる人々の厳しい日常をサポートする環境が整っているんですな、ニューヨークってところは・・・。たとえば食生活にしたって、毎日凝った料理なんて作っている暇はないので、時間のある時にある程度まとめて料理し、できた惣菜を巨大な冷凍庫で保存して、必要に応じてそれを解凍して食べる、というような効率的なものにならざるを得ないわけですけど、そういう単調な食生活をサポートするように、ニューヨークの街では、毎日どこかしらで新鮮な野菜や果物の市が立つ。ですから、仕事帰りにそういうところにちょっと立ち寄れば、たちまち身体にいい生鮮食品を簡単に手に入れることができるわけ。 また仕事面でも、ニューヨークでは公共図書館が充実していて、しかもそこに勤めている司書が飛び切り有能なので、ジャーナリストとして何か調べ物をするとなれば、これほど恵まれた環境もない。 さらに仕事の後のお楽しみもふんだんにあるんですな。たとえば14時間ぶっつづけで仕事した後、夜11時開演のお芝居を見に行くこともできたりする。それに彼の地では各種パーティーがやたらに開かれますから、気が向けばそういうところに参加して、楽しむこともできるし、人脈を広げることもできる。 とまあ、ニューヨークという環境が提供してくれる様々な便宜を最大限活用しながら、そこでフリー・ジャーナリスト千葉敦子がいかに生きてきたか、ということが、この本を読むとよく分かります。その充実度たるや、単なる読者である我々まで、何だか楽しくなってくるような感じですから、ジャーナリストとしてのノウハウがどうのこうということよりも、「俺もうかうかしてはおれん! 千葉さんみたいに頑張らねば!」という気にさせるところにこそ、この本の価値があるのかも知れません。私のようなのらくら者にはふさわしい、いわば「カンフル剤」のような本ですな。 ま、とにかく、まだ全部読み終わったわけではありませんが、『ニューヨークの24時間』というこの本、上に述べてきたような意味で、なかなか面白いです。文筆業を目指している人はもちろんのこと、ただ単に「ニューヨークでの生活」なーんてものに漠然と憧れを抱いている人にも、教授のおすすめ!と言っておきましょう。なーに、「漠然とした憧れ」と言ったって、馬鹿にしたもんでもありません。そこからスタートして頑張ればいいんですから。 ・・・しかし、それにしても、ちょっと千葉さんは忙しすぎたんじゃないでしょうかね。この本の冒頭で千葉さんご自身、人間というものは「忙しくしている人」と「暇な人」に二分され、自分は明らかに前者であって、こういう忙しい人間に「もう少しリラックスしろ」といっても無駄だ、と書かれていますが、千葉さんにはそういうふうに忙しくも充実した生活をされた挙げ句、癌に倒れて早世されてしまった。それは残念なことだけれど、早死にする人というのは、やはりそれだけ人生を早回しで生きなければならなかったんでしょうな。それに引き換え、きっと私のようなのらくら者は、のらりくらりと仕事して、無駄に長生きするのでしょう。 ま、「忙しくしている人」と「暇な人」、それぞれ、そういうふうにしか生きられないということなんでしょうけどね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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