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カテゴリ:教授の読書日記
4月の下旬に行った学会で、私はあるシンポジウムに司会兼講師として参加していたのですが、そのシンポジウムで私が発言したのは、「文学研究者よ、もっと大衆化せよ」ということでした。 よく「研究職に就いている」というと、「いいですね、好きなことばっかりやれて」なんて人から言われるのですが、それは大きな大きな誤解でありまして、学者というのは、実は自分の好きな研究ばかりやっているわけではないんです。 たとえば、まず勤務先の大学で「授業」をやらなければならない。それも、自分の専門の授業だけをやるのならいいですが、必ずしも専門の授業ばかり持てるばかりではありません。私だって、専門は「アメリカ文学」ですが、勤務校では「アメリカ文化概説」もやれば、「アメリカ映画論」もやれば、語学としての「英語」もやります。ということは、それらの授業をするための予習というのが必要なわけで、自分の専門外の本も沢山読まなくてはならない・・・。 それから「学会活動」も時間をとられることの一つですね。たとえば学会の方から、ある本を書評してくれと言われれば、当該の本を読んで書評しなければならない。その他、学会の運営に携われば、それはそれで膨大な時間をとられてしまいます。 また、これらに加えて種々の雑用がある。たとえば勤務先大学での「委員会」なんていうのがそれに当たりますが、これがモノによってはすごく時間をとられることがあるんですな。 というわけで、学者もなかなか忙しいんですよ。ですから、どうしても自分の研究のための時間には、研究に必要な本しか読まなくなってしまったりするわけ。つまり、自分の研究に差し当たり関係のない本は読まない、というふうに、どうしてもなってしまうんです。 これがいわゆる「専門バカ」への道であります。もちろん、超人的に能力のある研究者であれば、そういう限られた時間の中でも幅広い読書をしていますけど、私を含め、普通の研究者レベルでは、なかなかそういうわけにもいかない。「専門じゃないので、よく知りません」というセリフが、大手を振って通用してしまうんですよ、この業界では・・・。 でも、そういう状況って、他の文化研究のジャンルではあまり通用しないんじゃないかと思うんですよね。 たとえばアメリカ映画の研究者がいたとして、「私はジェームズ・ディーンの映画が専門ですから、『ダ・ヴィンチ・コード』は見ません」と言ったとしたら、それは多分通用しないんじゃないかと思うんです。その場合、やっぱりジェームズ・ディーン映画に限らず、古いところから最新作に至るまで、とりあえず色々見てないとまずいでしょ? 映画評論家って、そういうことですよね? とまあ、そんな思いもあって、先日のシンポジウムでは、「我々アメリカ文学研究者も、もう少し大衆小説なんかも読んだ方がいいんじゃないの? そして、あんまり仲間内の言葉ばかり使わず、一般の人が分かる言葉で、アメリカ文学の魅力を語った方がいいんじゃないの?」というような趣旨のことを、私は発言したんですね。 しかし、こういう発言は、もちろん諸刃の刃でありまして、「なら、自分からやれ」と言われることは当然、覚悟の上です。 というわけで、このところ私は、文学史には絶対に載らないような、ベストセラー的な大衆小説を、時間を見つけてはちょこちょこ読んでいるんです。ちなみに今読んでいるのは、Grace Metalious という人(女性)の書いた大ベストセラー小説『Peyton Place』。 で、これが・・・面白い! うーん、やっぱりベストセラーって、ベストセラーになるだけのことはありますね。私はこれまで、一つの方針として「ベストセラーは原則として読まない」ということを守ってきたのですが、少なくとも自分の研究対象であるアメリカのベストセラー本に関しては、この原則をとっぱらって、あれこれ読んでみようという気になってきましたよ。その意味で、少なくとも私にとっては、シンポジウムに参加したのは良かったかな。有言実行したおかげで、今まで自ら閉ざしていた世界が、目の前に広がりましたからね。 さて、それではこれからまた少し、この本の虜になってくるとしますか。それでは、皆さんも、よい週末をお過ごし下さい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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