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カテゴリ:教授の読書日記
アメリカ大衆文学を読む試みの第○弾として選んだ『ダヴィンチ・コード』、あと残り10ページというところまで来ていたんですけど、今朝読了しました! 映画版は先に見ていたのですが、原作を読んでみたらやはり微妙に異なるところがありますね。もちろん原作の方が詳しいし、謎解きの部分がより明確になっているので、原作の方がよほど面白いです。実際、映画版だけではよく分からない事情が、原作を読むとよく分かりますからね。たとえばアリンガローザ司教がなぜ聖杯の入手を目指すのかとか、ソニエール館長と孫娘ソフィーの仲違いの事情、あるいは銀行の貸し金庫に隠されていた「キー・ストーン」をラングドン教授とソフィーが取りに行った時、なぜ銀行の支店長がそれを阻止しようとするのか、など映画版ではよく分からないことが多いですから。 また警察に追われたラングドン教授とソフィーが、もともと聖杯を狙っていたサー・ティービングの家に匿ってもらうというのは、あまりにも都合が良過ぎるように思っていましたが、原作を読むと、二人が彼の家を訪れたことは、むしろティービングにとっては不都合だったんだ、ということも分かります。それを言えば、サー・ティービングがなぜ聖杯の秘密の公表にこだわるのか、ということも原作を読んでようやく分かりました。 さらに映画版では、確かソフィーは血縁の身寄りをすべて失っていたと思いますが、原作ではそうではないんだなー。なーんて、あまり詳しく言うと、これから読もうという人に悪いですね。 とにかく『ダヴィンチ・コード』、なかなかよく書けたサスペンスものだと思います。英語も易しいので、ちょっと心得のある人ならあっさり読めるのではないでしょうか。映画版と同じく、原作も短い章ごとにどんどん場面展開がなされるので、飽きることなくどんどん読み進めることが出来ます。 ただ・・・。ま、こういう短い章建てでどんどん場面展開していく書き方自体は、この種のベストセラー・サスペンスの常套手段ですから、ああ、またね、という感じは否めません。またこの種の大衆小説の常で、読んでいる時は面白くて止められないんですけど、読み終わった後、なーんも残らないんだよなー。その辺が、ねー。しばしの読書のスリルに7ドル99セントを支払って、ああ面白かった、で、あとはポイッ、ということにならざるを得ないというか。何度も何度も読み返して、その都度新しい発見をし、自らの心の糧になるっていうようなもんじゃないんですよね・・・。 うーん、やっぱり大衆小説って、限界があるのかな・・・。それとも、大衆小説の中にも松・竹・梅があるってことか・・・。 ま、そうは言っても、まだまだ読みますよ、大衆小説。ちなみに次に狙いを定めたのはジョン・オハラ(John O'Hara)の『サマラで会おう(Appointment In Samarra)』です。ジョン・オハラは、アメリカ文学史に残る作家ではありますが、大衆性が強いためか、研究対象になるようなタイプの作家ではなく、多分、専門に研究している人なんて、今、いないんじゃないかと思います。『ダヴィンチ・コード』がちょっと娯楽的過ぎたので、方向性を若干修正してみたわけなんですが、さて、この作品、面白いんでしょうか。また読み終わったら報告しますね。 さて、今日の私ですが、野暮用で外へ出たついでにCDショップに寄り、アメリカのバンド、「シカゴ」のベスト盤を買ってしまいました。ちなみに私、ベスト盤というのが嫌いで、個々の曲はアルバムというコンテキストの中で聴くべきだという主義なんですけど、シカゴみたいにキャリアの長いバンドになると、すべてのアルバムを買うのも剣呑なので、ね。 で、さっきからこのベストアルバムを聴きながら仕事をしているんですけど、もう70年代~80年代のサウンドの炸裂で、アメリカのポップス界もこの頃が一番良かったなあ、と涙しているところでございます。ブラス・セクションが懐かしいし、ボーカルのピーター・セテラの声も若々しくて・・・。 こういう音楽を同時代のものとして知っているだけ、年寄りであることが嬉しく、また誇らしくなりますな。今どきの、音楽だかなんだか分からんもの聞いて悦に入っている若者どもが馬鹿に見えてくるこの優越感。あっはっは! ということで、しばらくは70年代、80年代サウンドに酔うつもりです。一応、イメージ的には長髪・髭もじゃ・ラブ&ピースって感じなので、ひとつよろしく! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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